4 銀色の大風呂敷(非売品) フチ側 後編
――私の名前。
声を出すことができずに見つめると、名前を呼ばれたことに私が驚いているのも構わないといった風に彼はニヤリと笑った。
「お前が新江戸にいるのを見かけたときにはビックリした。あの小さな村から出てくるとは思ってなかったからな。だが、何のつてか知らないが鈴音商会だなんて面白そうな店で働いてると知って、興味がわいたんだ。だが、お前知らん振りだろ。だから、意地悪したくなった」
――覚えていた。
だんだん怒りが込み上げてくる。会いにきたなら普通「久しぶり」だとか「元気だったか?」と聞くだろう!
それがなんだ! いきなり人を抱き上げて「セキュリティが悪い」だぁ?
相変わらず無防備だなんて決め付けるなんて、失礼千万なっ!
「当店の防犯についての立入調査でしたら、どうぞご安心くださいませ」
ニッコリ笑うと、私はガーターベルトに手を伸ばし、水鉄砲のような形をした小型銃を彼の額に突きつけた。実弾こそ入っていないが、異世界で込めて貰った『睡眠弾』が入っている。破壊力はほとんどないが、即効性の筋弛緩剤と睡眠薬が配合されており、当たり所が悪ければ死に至らしめる代物だ。
「ちょっと落ち着け」
「冷静です」
笑顔のまま小型銃の安全装置を外すと、彼は渋々といった態で私を降ろした。「そんなに怒るなよ」と付け加えるけれど、これが怒らないでいられるかと声を大にして言いたい。そして、後ろで「あの冷徹な園山が袖にされてる!」と大爆笑している上司に、アナタは部下の善良なる市民へのセクハラ行為を止めさせるべきだと声を大にして言いたい。まあ……言えませんけどね。
「当店では他にも強盗防止用のセキュリティがたくさんありますから」
言い出せないなら自分で何とかするしかあるまい。あちこちの世界を飛び回って鍛えたスラリとした足をミニスカートから惜しげもなく見せ、私は仁王立ちになって微笑んだ。そして、奥の棚から猫忍者印のタバコを取り出すと、園山さんの手に握らせる。
「鈴?」
「園山さん、私も随分変わったんですよ。いつまでも昔の私じゃないんです」
そう、あなたが変わったのと同じように。
変わらざるをえなかったのと同じように。
はっきり告げると、彼はしばらく沈黙してから
「悪かったな」
と短く呟いて、渡されたタバコをポケットに入れた。その姿が少し寂しそうで、悪いことをしてしまったような気になる。けれど、声をかける前にいつの間にか近づいていた彼の上司に肩をつかまれ止められた。
「同情することはないさ。嬢ちゃんに色々あったのと同じように、あいつも色々あっただけだから」
置いていく覚悟はしたが、置いていかれる覚悟はできてないだなんて、園山もまだまだ甘いな、と彼は続ける。しかし、その眼差しは随分と優しい。多分、園山さんはこの人に目を掛けてもらっているのだろう。
冷静になったことで私は、己のことでいっぱいになってしまった自分を自覚し、赤面してしまう。これではまだまだ子供と言われても仕方ない。
少し考えて、私は小さな引き出しから名刺を取り出すと二人に渡した。くすんだ茶色の厚紙に、金色の箔押しがされた名刺は特注品である。
「園山さんと同郷の鈴と申します。ほとんど不在にしていますが、何かご入用の品がありましたらこちらにご連絡ください。知り合いのよしみで勉強させていただきますよ」
伝言屋の連絡先を指すと、園山さんの上司も異国製の万年筆を取り出し、手帳に連絡先を書き付けた。荒々しい文字であるが、芯の太いしっかりした文字だ。それを大きな手でびりっと破って私に差し出す。
「俺は園山の上司で物部という。何か困ったことがあれば訪ねてくるといい。荒事は日常茶飯事だからな」
物部さんは巨躯を揺らして「今日は面白いものを見せてもらった。じゃあな」と笑った。少し厳ついが愛嬌のある笑顔だ。どう答えて良いのか迷っていると、彼は園山さんを小突いて(彼の「小突く」は一般人の「タックル」程度の威力はあるが)、店の外へ出て行く。それを追いかけるようにして、園山さんも一礼した後、店の外へ出て行った。
私は軽い疲労を感じながら彼らを見送った。まるで台風一過である。
店を閉めたら、もう一杯紅茶を飲もうと決めて、私は鍵の束を取り出す。そして暖簾と看板を外して店の中に入れると、今度こそがっちりと内側から施錠した。
外へと続く扉にもたれかかるようにして店内を眺める。正直、会いたかったか会いたくなかったかと問われれば、会いたくなかったのが本音であった。園山さんがあの大火事のことを知らず、彼を追いかけて私が新江戸の町に出てきたのだと思っているのも、その理由の一つだ。
今回は物部さんがいたからか、あの村のことを聞かれることはなかったが、懐かしさに駆られた園山さんが、村のことについて聞いてくる確率は高いように思えた。そのとき私はどこまで正直に話すべきなのか迷ってしまうだろう。
置いてきたとはいえ、滅んで欲しいなどと望んだりしなかったはずだから。