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異世界小間物屋(鈴音商会)営業中  作者: アルタ
新江戸時代 商品番号5番
23/27

1 彼女が与えたもの

 真っ暗だと思っていたら、真っ白だった。

 綺麗に漂白された世界に、ふわりと浮かんでいる。

 これから何を見るのか、何を知るのか……分からないけれど、不思議と怖くはない。

 深呼吸をすると、どきどきしていた心臓が少しずつ落ち着きを取り戻していく。


 大丈夫。きっと、大丈夫。

 胸の前で手を握った。ぎゅっと握った。

 元の世界に戻れますように……。そんな願いをこめて。




 ―― 目の前に青い海が広がった ――


 白い船が港に着いて、錨を下ろしている。その前を栗色の髪の青年が通り過ぎた。彼は穏やかな海を眺めた後、静かに手に持っていた花束を放り投げる。彼は私の姿に気づかない。


「鈴、やっぱりまだ信じられないよ。君がいないなんて。……あまりにも突然現れて突然消えるから、本当に俺は君に会ったのか不安になる。幻だとしたらあまりにも儚すぎて」

 シムさんは、ふわふわの髪をくしゃっとつかんで大きく背伸びした。

「なぁ。好きな奴、見つかるといいな」


 好かれるよりも、やっぱり好きになりたいよな。

 絶対幸せだって、俺そう思うんだ。辛くてもさ、まだ未練あってもさ、……あの時とても楽しかったから、俺は良かったと思ってるよ。おかげでなかなか新しい彼女が出来ないって、知り合いに心配かけてしまってるけど、この切ない気持ちは……俺だけのものだし、分けてやれないから。


「今度生まれ変わったら、幸せに」




 ―― 一転、真紅の炎がはぜた ――


「修羅の道を歩くことになってしまったよ」

 スチール製の机に詰まれた書類に、もう1冊束を加えたノエルさんは、自嘲気味に笑った。北との国境にある紛争地帯に彼はいるらしい。起毛のブーツに厚いコートを羽織って、時折ランプの火で手を温めている。

 学生時代の頃のものか、写真立てに納まっている集合写真の半数近くは油性ペンで塗りつぶされていた。それが示すこと……もう、彼らはこの世にいないのではないかということに心を痛める。


 ノエルさんと出会ったあの頃は、平和でのどかだった。今の彼は軍の一員として、人を殺し、人を守る。それは散文的な作業をこなすかのように。感情を挟むほどに苦しくなるに違いないから。


「鈴、君の夢をときどき見るんだ。あの頃の君に出会えたら、すさんでいく心に潤いが戻るような気がして……。心が焦がされるような思いは、単に八つ当たりに過ぎないのかもしれないけれど」

 インクの蓋を閉めると、彼は油性ペンを取り出して写真に写った人物の一人を黒く塗りつぶした。


「初めて出会ったとき、不思議と違う世界を垣間見たような気がした。それが懐かしい」

 その扉は閉ざされて久しい。現実が変わるのはめまぐるしくて、置いていかれないようにしがみついていないと、横から手が伸びてきて頬を強かに叩かれる。

 権力を手に入れようと、力を求めると、失うものも増えていってしまう。


 君は何を失って、何を手に入れたのかな?

 全てを手に入れることは出来なくても、失った分得られるものはあっただろうか……そう問いかける彼に、聞こえるはずはないと思いつつも私は答える。


「私は手に入れた時間で、いろいろな人に出会いました。いろいろな人と話しました。いろいろな人の話を聞きました。あのまま死んでいたならば、こんな珍しい体験をすることも、好きになってもらえることも、もう一度会いたい人に会えることもなかったでしょう」


 だから十分得られるものはありましたよ。




 ―― 懐かしい風景が現れた ――


「園山さん」

 いつしか私は、もといた世界に戻っていた。半分しか手入れされていない庭に私は立っている。

 夕方の空は全てを赤く染めて、まるで燃えているかのように広がっていた。


「園山さん」

 もう一度呼びかける。

 けれど、返事はない。ああ、私の姿は見えていないんだ。

 握り締めてくしゃくしゃになった銀の風呂敷の光は、かすんで消えてしまいそう。

 ならば、その前に伝えたい。私がこうして園山さんの前に戻ってこれたのは、多分、心残りがないようにとの思し召しなのかもしれません。


 彼は縁側に座ってタバコをふかした。ふーーっと息を吐くたびに、白い煙で周りが見えなくなる。再会したあの日、私が販売したタバコだ。

「園山さん」

 シナモンの香りが少しずつ薄れていく。煙が薄くなると、園山さんはまたタバコを吸って、吐き出す。

 とぎれとぎれに見えるその疲れたような顔を見て、この人も苦労したんだろうなと思った。


 そっと手を伸ばす。もう言葉は届かないけれど。

「憧れていたんですよ。自分の運命を自分で切り開く園山さんを格好良いと思っていました」

 親同士の約束で婚約者になったとき、傍らに自分がいる夢を見ていた。園山さんにとって私がどんな存在で、必要とされているのかどうか、そんなことすら考えずに。



 火事のあったあの日のことを思い出す。途切れ途切れの記憶にかかっていたもやが晴れだして、鮮明に蘇るあの焦げる臭い。家も、作物も、着物も、人ですら飲みこんで、全てが燃えていく赤い色。

 あの時、名前を呼んでも助けに来てくれないことが悲しくて、それでもすがるようにして祈ることしかできなかった。けれど、園山さんには園山さんの人生がある。自分のことだけで手一杯の人に助けを求められるくらい、私は偉いのだろうか。そう考えると、荷物でしかない自分が情けなくなった。


 求めてばかりの自分。愛してほしいと、そればかりの自分勝手な私。

「わがままばかりでごめんなさい」

 困らせてしまって、ごめんなさい。心配させてしまって、ごめんなさい。

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