2 光を観る眼鏡 レンズ
「妾は光を見せることしかできぬ」
「では、眼鏡をどうぞ」
アルテミスが宝石箱のような細工箱に入れられた眼鏡を差し出す。見ると、軽くて黒いフレームの普通の眼鏡である。その場でかけてみるが、何の変化も起こらない。おかしいと思って眼鏡を外すと、ルナが「劇場で使わねば光を観ることはできぬよ」と笑った。
劇場は広いホールの形状をしていた。床は大理石、天井はプラネタリウムのようなドーム状、奥にステージがあって白いスクリーンがぶら下がっている。不思議なのは、通常観客席があるべきところに椅子がないこと。あるのは、大きなテーブルとその上に飾られた天体模型。
ぐるりぐるりと自転しながら大きな星の周りを回る衛星。少し仕掛けが古いのか、時折ギギギと動きがぎこちなくなる。けれどその美しさは何か心に訴えるようなものがあった。
「綺麗ね」
呟くと、アルテミスが自慢げに頷いた。
「では、その眼鏡をかけてスクリーンへ入られよ」
「スクリーンへですか?」
「そうじゃ、中に入らねば光が見えぬじゃろう。妾らもあとで参るゆえ」
体験型劇場ということなのだろうか。あたかもそうするのが当然であるといった風に促され、私は眼鏡をかけたままスクリーンへと足を踏み入れる。何か光に包まれて、ふわりと身体が浮いたような感じがあって……
目を開けると、そこは一面の青空だった。
透き通るような青い空に、ぽっかりと白い雲が浮かんでいる。下を見ると青い海。そして、私は宙に浮いていた。
「すごい……」
あまりにもだだっ広いその光景に息を呑んでいると、後ろからルナとアルテミスが入ってくる。
「うむ、絶景じゃの」
「これだけ視界を遮るものがないと圧巻だねぇ」
アルテミスは白い布手袋をはめてから、鞄から1冊のパンフレットを取り出した。映画のパンフレットのようだが、全てが真っ白のパンフレットだ。くいっとこちらに見えるよう彼が差し出してくれたが、文字も何も見えない。眼鏡を外してみようとしたら、彼にやんわりと止められた。どうやら真っ白で構わないらしい。
「鈴、あの先に何が見える?」
ルナはずっと空の向こうを指差した。
ずっと向こう、海と空とが交じり合うぐらい向こう。そんな遠く遠くずっと遠くを見つめてごらん。何が見える?
「……何といわれても。白色だけ」
私はどう答えていいのかよく分からず、見たままの色を答えた。
「水平線を越えて、ずっとずっと向こうには、自分の背中が見えるらしいのじゃ」
「星をぐるりと周った一番遠いところにあるのは、自分の背中なんだって」
「私には自分の背中は見えないわ。ルナは自分の背中が見える?」
「見えぬ。でも、鈴の背中なら見える」
「そして、もうすぐその呪いが解けそうなことも見えるよ」
「……え?」
アルテミスの言葉に目を丸くする。呪いとやらはもう解除されかかっていたのか。
突風が吹いてきて髪やスカートを巻き上げる。
「この劇場にいれば解けることはないじゃろう」
「鈴のいた世界に戻れば、呪いの効力は自然消滅するよ」
その覚悟があるのなら、このまま地平線に向かって進めば帰ることができる。
「覚悟は出来てるわ」
だって、今私が生きているのはおまけの人生なんだもの。呪いのおかげで、今こうして生きていられるならば、正しいあり様に戻るだけだろう。
ルナの言葉に私はしっかりと言葉を紡いだ。
ふわりと風が髪を撫でていく。せっせと動いているのは風に流される雲だけ……静かな空間だった。
「怖くないのか?」
「怖いよね?」
「怖いわ。でも、私には願い事があるの。叶う前に死んじゃったら未練たらたらのまま、あの世を彷徨うことになるんだもの」
願い事。
あの火事でそのまま死んじゃってたら、そんな希望も抱かず、ただただ自分は運がなかったんだってあきらめて、そのまま死んでいただろう。呪いに感謝しないといけないくらいだ。
「妾としてはあまりお勧めしたくないのう」
「呪いったって、年をとらなくて実体がないだけなら、僕たちと変わらないじゃないか」
……鈴に行ってほしくないと思うんだ。
……鈴に生きていてほしいと思うんだ。
言外にルナとアルテミスはここに留まっても構わないと言ってくれている。その気持ちが嬉しい。
「それでも、私は前に進まないといけない」
その先が真っ暗闇でも、元の世界に戻るべきなのだ。私のいるべき場所も、眠るべき場所もあの世界しかない。
呪いが解けることで、私がこんな形であっても生きながらえることが出来た理由を、知ることが出来るならば、ゴール目前で立ち止まるなんて出来ない。
「ならば前に進むとよかろう」
「その風呂敷も一緒にね」
風呂敷を取り出すと、ほんの少しだけ銀色に輝こうとしているのか、きらりと光った。最初、不動さんからもらったときに比べてその輝きは格段に弱い。あの時はよれよれでくしゃくしゃで、埃までかぶっていたのに強く輝いていた。今の風呂敷は、まるで最後の力を出そうとしているようで、その健気さに愛おしさを感じる。
「では、ごきげんよう」
「良い観光旅行を!」
元の世界まで、記憶をたどりながら戻ろう。呪いという強い願いが私にかかったあのときまで。
まっすぐ歩けば、私に会えるはずだから。たどり着いた先に答えがあるから。
そして呪いは解けるだろう。
………………………………戻ろう、あの世界に。




