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異世界小間物屋(鈴音商会)営業中  作者: アルタ
黄金の町、海と港の町 商品番号3番
20/27

6 黄金の左団扇 窓

 イザベラこと『ベラさん』は結婚式でとても幸せそうに笑っていた。

「鈴、受け取って!」

 投げられた花束を掴むと、彼女は「次に幸せになるのはあなたよ」と嬉しそうに叫ぶ。

 出会って半月も経たないのに結婚に踏み切った理由について、ベラさんは「直感に従っただけ」といった。分かれた彼氏を好きだった気持ちに偽りはないけれど、一緒に生きていくならこの人だと思ったのだそうだ。

「ベラさん、お幸せに!」

「任せといて!」


 町中の人間がこの酒場に集まっているんじゃないかというくらい賑やかなひととき。

 海に映る街灯の光も静かに揺らめき、星空は鮮やかに瞬き、月は帰りゆく人々を柔らかく照らし出す。


 遅くなると危ないから、とシムさんは家まで送ってくれた。

「イザベラの行動力には参るなぁ」

「まさに電撃結婚でしたものね」

 月明かりが反射する白い石畳のおかげで足元は比較的見えやすい。私は酒場で火を入れてもらったランタンを片手にてくてくと歩く。シムさんは柔らかそうな茶色の髪を風になびかせて、隣を歩いた。


「でも、この人と楽しく明るく幸せに暮らしたいという気持ちは分かる」

 彼の歩みが止まる。振り返ると、彼は緊張した笑みを浮かべていた。


「あのさ」

「なあに?」


「俺」

「うん」


「鈴さんがいいんだ」

「え?」


「このまま一緒にて欲しいといったら……」

 視線を受け止めて、彼の瞳を見つめたまま固まる。

 そして同時に頭の中で考えていた。私がこの世界に来た理由はなんだったのだろうと。

 ――私が強く望んだもの。念じたこと。それは、それは一体……なんだったのだろうかと。


 静かな水面に石を投げ入れたかのように、

 ゆっくりと、

 ゆっくりと、

 波紋は広がっていった。


 私はどうして生きているのだろう。何のために……生き残ったのだろう。


「鈴さん?」

 不思議そうに覗き込むシムさんの顔は、何かを期待しているようで、まぶしくて、まるで黄金の窓から若草色の草原を覗き込んでいるような気がするくらいキラキラしている。だから、直視できなくて、うつむいて手に力を込めたら、何か熱を帯びたものを握り締めていた。

 それは……あの赤い指輪だった。


 ほのかに赤い輝きを取り戻した指輪の暖かさに励まされるように、頭の中で言葉を選ぶ。

 この世界が私にくれたものを思い浮かべながら。

「シムさん」

「うん」


「わたし……」

「うん」

 光が当たってははじけて消えていくように、キラキラと指輪が輝いた。

「私、一度は死んだ人間なの。生きている時も死んでいたのとあまり変わらないような人間だった」


 ――でも、第2の人生を歩みだした。

 最初の人生は、何のための人生だったのだろう。

 何がしたくて、もう一度人生を歩んでいるのだろう。

 何を言いたくて、もう一度この世に存在しているのだろう。

 ただ、ただ、毎日を楽しく生きて、それは幸せだったのだけれど……


「でも、ずっと考えてた。誰かを喜ばせたい、幸せにしたいと強く思っていたのは前々から感じていたのだけれど、シムさんに会ってそれがどういう意味なのか分かったんです」


 ――私は、人を好きになりたい。


「その好きになりたいと鈴さんが思うのは俺じゃないのか?」

「シムさんは素敵よ」

 でも、普通の『好き』だと思う。そう思うのは、特別の『好き』な人がいると気がついたから。

「俺は一目ぼれだったけどな」

 そんなに簡単に諦められない、とシムさんは悲しそうに呟く。


「私の好きな人は故郷にいるんです……」

 懐かしい新江戸の町。人力車が走り、香を焚き染めた着物を着た人々や洋服を着た人々が行きかう町。

「だめだ」

 少し埃っぽくて乾燥した空気、瓦が連なる家、店に掛けられた暖簾、しっかりとした土蔵、赤い提灯。

「私、故郷に帰りたい」

 使い勝手の悪い土間、お気に入りのテーブル、美味しいお茶、いい匂いのする畳、そしてあの人の笑顔。

「もう、帰れない」

 全てが懐かしい。


 月は明るく輝いていた。どうせなら、もっともっと照らしてくれればいいのに。

 どうしてなんだろう、帰り道が分からない。


 灰色の風呂敷は、光を失った銀色の風呂敷だった。弱々しい光では、もう異世界へトリップすることはできない可能性が高い。帰り道を失って、けれど、それでも新江戸の町に戻りたいと願う。

 今頃ホームシックだなんて、とても不思議なのだけれど、涙が溢れた。


 ランタンの光が揺らめく。

 シムさんは少し戸惑ったように私の涙を見つめた後、おずおずとハンカチを出した。

「ごめん。やっと、弱音を言ってくれたのに受け止めてあげることができなくて」


 ポケットに入れて少ししわになったハンカチを借りると、彼はほっとしたように笑った。

「じゃあ、こうしよう。落ち着いたら鈴さんの故郷を探す旅に出ないか? 今のままじゃ鈴さんはいつまでたっても幸せになれない気がするんだ。故郷に帰って、ちゃんと好きな人と向き合って、それで鈴さんが幸せになるのであれば、俺は諦める。だけど、故郷に帰って……その上でサウスタウンが良いと、俺が良いと思ってくれたら、この島に帰ってきて欲しい」

 勿論、費用はこちらで持つよとシムさんは付け加えた。

「それだけの時間とお金をかけても惜しくはないと思ってる。その気持ちを汲み取って欲しい」


 切なくなるような瞳に、私はどう答えてよいのか分からず、明日まで待ってほしいとだけようやく伝えたのだった。

黄金の町、海と港の町 商品番号3番 黄金の左団扇 終了

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