2 銀色の大風呂敷(非売品) フチ側 前編
「まあそれはそうと、なんか仕事ねぇか? 今月も家賃払えなくて追い出されそうなのよ」
不動さんは眠そうな目で「オーナー様ぁ、できるだけラクチンでごっそり入る仕事でお願いします」と付け加えた。どこまでも怠惰な男である。
「家賃立て替えてましょうか?」
「いいって、あんたから金取る気はねーよ」
怠惰であるわりには律儀な男で、仕事を紹介しろと言いには来ても、お金を無心するようなことがないのが彼らしいのだが。
「しかしまさかここまで大きくなるとはなぁ」
ぐるっと天井まで見渡す限りの棚、棚、棚。背丈よりも高いハシゴがいくつか掛けられており、上のほうに収納されているつづらの前には、地震の際倒れてこないよう木製の柵が取り付けられている。その柵にまで見事な細工がされており、見惚れてしまうほどだ。鈴音商会の財力が伺える一例である。
「不動さんのおかげです」
感嘆する彼に、レモンの代わりに少しカボスを絞ってたらした紅茶を勧め、私はノートのようなものを引っ張り出した。
「ご利益満点だろ? 俺の風呂敷」
「ちょっと虫食ってましたけど」
「食ってねぇって」
件の風呂敷は店の一番奥に仕舞ってある。
不動さんにも出来る仕事、と考えながらノートに似た大福帳をパラパラめくると、『配達の仕事の人手が足りないので商品の発送が遅れます』という伝達事項があったため、白い紙に紹介状と地図を描き、両手でビスキットを掴んでは頬張っている無職の人に差し出した。
「3日間限定の仕事だけど、異国船からの荷物引取りと配達の仕事があるわ」
「あいあい! 俺、頑張る」
彼は調子よくニッコリ笑うと、ずずずずっと音を立てて紅茶を飲み干し、「愛人募集中ならいつでも立候補するから、お兄さんに声かけなさい」と、私のほっぺをぷにぷに突いてから逃げるように走り去ってしまった。
「もー、相変わらずなんだから」
うっかりすると見た目が親子の二人である。年の差結婚が一般的とはいえ、どこからどう見ても立派な大人がヒモでは少々どころかとんでもなく犯罪臭が漂うわよね。無論金銭的な面ではなく、世間体というか、倫理的な問題であるが。
そう、ただの店番に見えるものの「鈴音商会」の真のオーナーは実は私である。彼と会った大火事の後、異世界へと行き来する力が現れ、いくつかの幸運と優しい人々に恵まれて商売を軌道に乗せることができた。その優しい人々の最たるものが不動さんであるため、私は彼に逆らえないし、なんとか助けてあげたいと思ってる。
新江戸の通りは以前より騒がしくなった。異国人や異世界人のおかげで商売の幅が広がり、これまでの身分制度に縛られることなく商える。同時に多くの品物も手に入るようになった。
まあ、珍しいものについては、普通に暮らす庶民には手に入らないくらい高値で取引されるのが常ではあるが……。
紅茶を堪能すると、私は店を閉めるために鍵を取り出した。高価な品物は、万が一のために鍵付の棚に入れているからだ。今日は彼が来るというので店を開けたに過ぎない。そろそろ新しい商品の仕入れに行こうかと考えながら、帳簿を引き出しに入れたときだった。
――白い制服に身を包んだ2人組みが近づいてきたのは。
白い詰襟の上着にズボン、金糸で袖口と襟元に刺繍がされているその服は、新江戸の治安を守る警察の制服だ。胸元にそれぞれ小さな勲章のような飾りが付いている。端正な顔立ちの20代半ばの男性と、筋骨隆々の40代半ばの男性は、入口の暖簾をくぐって店内を見渡し、感嘆するようにほうっと息を吐いた。明らかに年上の男性の方が立派な勲章をつけているので、上官で間違いないだろう。
私は震える指先を隠して、「いらっしゃいませ」とお辞儀して近づいた。震えるのは警察が怖いからというわけではなくて、若い方の男性に見覚えがあるからだ。
彼の名前は園山 真、ずっと昔に別れた許婚である。向こうは私のことを覚えているまいと頭では分かっていても、顔を見られたくなかったと思う。
肩口で綺麗に切りそろえたショートボブを揺らして、私はこっそりとため息をついた。
「邪魔するぜ、嬢ちゃん。あの鈴音商会が珍しく開店してるって市中見回り組から聞いたものだから聞いたんでね、どんな品物があるのか気になってな」
がっしりした体格の男性が、人好きのする笑顔でがははと笑うと、少し張り詰めた空気が緩む。
「あと少しで暖簾を外そうと思っていましたので、ちょうど良かったです」
何かお探しのものはありますかと問えば、妻と娘に手ごろな菓子をというので、少しひんやりとした暗所からチョコレイトを取り出してきた。この世界では飲み物として異国で用いられているが、精製技術の発達した外国では固形の菓子として流通している。
「砂糖漬けの柚子をチョコレイトで包んだお菓子になります。甘くてさっぱりしていますし、一口サイズなのでお勧めですよ。お値段も……このくらいでいかがでしょう?」
大福3つ分程度の値段を示すと、大柄な男は財布の中身と何度か見比べてから満足そうに頷き、代金を支払った。
色とりどりの金平糖模様が印刷された包み紙でチョコレイトの入った箱をくるむ。続けて器用に異国のレースリボンでくるくると縛り、まるで花がついているかのように結ぶと可愛らしい贈り物に変身した。ほどいたリボンを髪に飾るのが流行しているので、喜んでもらえるだろうと思うと少し楽しみである。
「こりゃ、開けるのが勿体無いなぁ」
壊れ物を扱うように両手で受け取った男に、保管時の注意事項やいつまで食べられるかの諸注意を述べ、笑顔で「お買い上げありがとうございました~」と送り出そうとしたのだが、その試みは失敗に終わってしまった。
「タバコ一箱」
無愛想ともいえる声とともに、テーブルの上へ出された小銭の音に振り返ると、眉間にしわを寄せながら腕組みした園山さんの姿があった。




