5 黄金の左団扇 要
イザベラが出した指輪と灰色の布を見て、明らかに鈴さんの顔色が変わる。
「この風呂敷……」
「風呂敷? ああ、この布のことね。さっき骨董商の露店でもらったのよ。赤い石の指輪を気に入って買ったら、おまけで付いてきて……」
食い入るように鈴さんが見つめているのは、くすんだ赤い指輪と、灰色の布。よほど珍しい品なのだろうか、それとも見覚えのある品なのだろうか。
「石は宝石じゃないし、布も地味だけど物々交換ってことであげるわ! あと、今度酒場に食べにいらっしゃい。料理、サービスしちゃうから」
イザベラがウインクすると、鈴さんは我に返ったのか、普段と変わりない接客態度で会話を続けた。
俺は、指輪と布をじっと見つめる。なにか、違和感を感じたのだ。
首の後ろがぞわぞわと撫でられるような違和感。それは、呪われた幽霊船に乗っていたときに感じた違和感とよく似ている。
「……ムさん、シムさん?」
「うあっと! な、なに?」
結局イザベラが帰るまで、俺はそのことについて考え続けていた。ボーっとしていた俺を不審に思ったのか、鈴さんは心配そうにこちらを見つめる。
「いえ、何かありましたか?」
何かあったのは鈴さんの方では?
そう強く思うのに、なんとなく口に出してしまえばこの和やかな時間が終わってしまうような気がして、尋ねることがためらわれた。
イザベラはその後、酒場にバイトとして入ってきた5歳も年下の青年と結婚した。元彼氏の噂は聞かなかったが、未だに他に結婚したカップルはいないことから、もしかするとうまくいかなかったのかもしれないとも思う。
町の管理者である俺とイザベラのよき友人である鈴さんは、当然のことながら結婚式に呼ばれて盛大に祝った。イザベラの働く酒場は披露宴会場として派手に飾りがつけられ、結婚式の出席者かどうかに関わらず、道行く人にまでお酒を提供した。
町中の人間がこの酒場に集まっているんじゃないかというくらい賑やかなひととき。
海に映る街灯の光も静かに揺らめき、星空は鮮やかに瞬き、月は帰りゆく人々を柔らかく照らし出す。
――その日、俺は鈴さんに告白し、ふられた。
そして、その夜。大きな地震が起こり、彼女の家は地割れに飲み込まれ、跡形もなくなった。
あれから町の人達総出で探索したけれど、彼女の遺体は見つからない。
顔をあわせることがなくなったことが寂しいとか、切ないとか、安堵するというような気持ちよりも、ただ、ただ、もう会えないのだなぁという悲しさと、あんな別れになってしまった後悔と、助けることができなかった悔しさの方が大きくて、しばらく何も考えることができずにボーっとしていた。
あんまりにもその姿が不甲斐なかったのだろう。町の視察にきたキースさんは、俺を一発殴ったあと、俺の代わりに崩れた崖の修繕や、ヒビの入った道や家の修理などの指揮を執ってくれたらしい。幸いというべきか、被害にあったのは鈴さんの家付近だけで、サウスタウンの中心部は無事だった。
「今日はおごってやる」
キースさんは急ぎの処理が終わった後、俺を酒場へ引きずってきた。久々の酒のせいか、随分と俺の涙腺は緩くなっているらしい。きつい一杯を飲みほすと、ジワリと涙が盛り上がってくる。
優しいキースさんなんて気持ちが悪いや。
「あーもう、絶対この人だと思ったんだ。俺って結構軽く見られるところあるじゃん? でもさ、好き嫌いがはっきりしてるからなかなか大好きだと思う人がいなくてさ、やーっと、この人だーって思ったら、こんな別れ方になってさ、ふられてこれじゃあ……とかさ」
ガンッとジョッキをテーブルに叩きつけると、マスターがキースさんに目配せしてるのが見えた。
なんだーおーれーはー酔っ払ってないゾウ。
「シム、なんか食え。すきっ腹にアルコールなんて吐くぞ」
「酔っ払って内臓」
「この酔っ払いめが!」
焼き魚丸ごと口に突っ込まれる。ああ、もう骨が刺さるって、ていうか刺さってる!!
酒場の窓から見える夜空には綺麗な星が瞬いていた。あの日の晩もこんな夜空だった。
あ~~~アルコールのせいで鼻水がでるぅ……
涙がぐしゃぐしゃに流れて、ずびーーっと鼻をすする。キースさんはやや眉をしかめて「シムは笑い上戸だと思ってたが、泣き上戸だな」と頭をぐしゃぐしゃなでた。
もう俺、いい大人なのに。
飲んでいる途中1回もキースさんは「忘れろ」とか「別の人を探せ」とは言わなかった。
「悲しみの真っ只中にいる奴に何か言えるほど、俺は偉くない。一緒にいるくらいしかできん」
いつか、鈴さんとのことを泣かずに話せる日が来るなんて、嘘だとしか思えない。思い出しただけでも涙がこみ上げてくるんだ。
「好きだったんだよ」
すごく好きだったんだ。不思議なことに鈴さんが死んだなんて思えないくらい、信じられないくらい、信じたくないくらい受け入れたくないくらい…………好きだ。
「またひょっこり現れて、にっこり笑ってくれるような気がしてならないんだ」
不思議なことに、地割れの断面などから家が立っていたというような跡は見つからなかった。まるで初めからなかったかのように、綺麗に跡形もなくなくなっていた。すごく不思議で……だから、あきらめきれずにいる。
でも、いつか俺は鈴さんのことを忘れてしまうのかな。
ふと、彼女のことを思い出したとき、ちゃんと笑ってられるのかな。
なあ、そんなことを鈴さんも考えたりするのかな。
「さ、シム。そろそろ帰るぞ。おごってやったんだから、明日から馬車馬のように働かせてやる。おい、ちゃんと地に足つけて歩け。重くって仕方がない」
「えー、最大の親友にして可愛い部下の一大事なんだからしっかり支えてくれたっていいじゃないっすかー」
「ゲロ吐いたら捨てる」
「うえ~~~~きーもーちーわるうう…………って冗談じょうだ……うおお! 捨てないで下さい! うっわ、何その寒い視線」
今は暗闇でも朝日が昇ればきっと道を照らしてくれるだろう。
地に足さえついてれば踏みしめる大地はいくらでもあるんだもんな。
そう思って俺はふらつく足取りで、ゆっくりと、ゆっくりと引きずられながら家に戻ったのだった。




