4 黄金の左団扇 骨
「上司って、この島の領主であるキースさん?」
「そうそう。昔、幽霊船長やってた名残か、結構怒りっぽいんだよなー」
カウンターに肘を着いて、上司の顔を思い出す。結婚してから大分性格が丸くなったとは思う。しかし、北の鉱山でダイヤモンドが取れたと聞けば屋敷を抜け出して坑道にもぐりこみ、南の海で巨大なくじらが出たと聞けば海の男衆と漁船を操って見物に行く。思い立ったら即行動のキースさんはサバサバして、そこが良い所ではあるのだが、困るときもあるのだ。
「この前、奥さんと喧嘩したって時は、もー全然、決裁通らないしねぇ」
肩をすくめれば彼女は楽しそうに笑った。
「そんなにしょっちゅう堪忍袋の緒を切っちゃう人なら、こっちのはどうかしら?」
その言葉とともに出されたのは、燦然と輝く黄金の王冠だ。おもちゃの冠かな? 金メッキされた王冠に、宝石のように見えるガラスがはめ込まれている。
「これは?」
「これは、“おかんむり”って言います」
鈴さんがそれは楽しそうに俺の頭に載せるものだから、ついつい笑ってしまった。
「怒ってるキースさんの頭に被せるのは、ネズミが猫に鈴を付けに行くのと同じくらい難しいなぁ!」
二人で笑っていたそのときだった。扉がバタンと大きな音を立てて開かれる。
誰だろうと扉に視線を向けると、切羽詰ったような顔をした美女が立っていた。緩やかなウェーブのかかった赤い髪に胸元がぐっと開いたドレス、ボンキュッボンのナイスバディ。港町の酒場で働くイザベラだ。
「イザベラ、一体どうし……」
「黄金の左うちわをちょうだい!!」
どうしたんだと問う俺の言葉に被せるように、彼女は財布をずいっと前に差し出した。
左うちわ……って、ことわざにあるアレ???
――いわゆる、これ1枚で一生遊んで暮らせます。
「ここはうちわ屋なのでしょう? 私の全財産かけてもいいから譲ってもらえないかしら」
いやいや、そもそもそんな便利アイテムあるわけないだろう!
心の突っ込みが追いつかない。
鈴さんを見ると、彼女は何事か考え込んでから、カウンター裏のショーケースを開けて1枚のうちわを取り出した。
「えええっ! あるんだ!?」
もはや突っ込みは心の中だけでは止まらない。
「うそ! あるの?!」
イザベラ、お前もか!
俺たち二人が驚いている様子に、鈴さんはニッコリと微笑んだ。
扇形というよりは正方形に近い白いうちわには、彼女の国の版画である『浮世絵』なるものがプリントされていた。模様は荒波と宝船。彼女は絵をこちらに見せてから、カウンターの上に置く。
「お急ぎのご入用でしょうか?」
可愛らしく首を傾げるのだが、驚きから立ち直れない俺たちは呆然と眺めたままだった。
「左うちわ、欲しいと思う方は多いと思います。働かずに好きなことだけして生きていけたら素敵だと、思うこともあるでしょう」
昼まで寝ていたって誰からも文句を言われない。朝からお酒を飲んだって構わない。誰かの顔色を伺うこともなく、誰かに頭を下げることもない生活。
まさに、竜宮城と言っても過言ではない。
「けれど、努力せずして手に入れたものは、人の恨みを買いやすく、壊れやすいものです。盗まれないように、壊れないように、気を張って、孤立して……そんな不安と戦う覚悟はおありでしょうか?」
竜宮城に入ってしまえば出ることができなくなる。寝る暇もなく、雨が降って寒い晩でも扇げるでしょうか?
途中でひとたび手を止めてしまいますとどんなリバウンドがあるのか私にもわかりません。
「それから、このうちわは当然のことながら“左手”で扇がなくては効果が出ません。どんなに左手が疲れたからといっても、あくまでこれは左手専用です。だって……」
そこで一旦言葉を区切って、ゆっくりと顔をあげる。
「うっかりすると“左前”になっちゃうでしょう?」
その顔には、にっこりと笑顔が浮かんでいた。
それを聞いたとたん、イザベラは目を見開く。そして、何度か瞬きの後に、腹を抱えて大きな声で笑い出した。
「やっだー! なにそれ。なんだかそれを聞いたら馬鹿馬鹿しくなってきちゃった」
「でしょ~?」
ひとしきり笑ってから、彼女はため息をついて白状する。
「はー、私ってばだめね。実はね、付き合ってた冴えない彼氏がいつの間にかお金持ちのお嬢さんと婚約してたの。逆玉に成功したとたん、私はお役御免。悔しくって、悔しくって」
それで八つ当たりするなんて馬鹿みたいよねと呟いたイザベラに、視線を合わせて鈴さんははっきりと言った。
「それは悔しいと思うわ」
その声音には、まるで同じ経験をしたとでもいうような思いが混ざっていた。
鈴さんは綺麗にうちわをパッケージに包みなおして、カウンター下のガラスケースに戻すと、代わりに赤いルビーのような瓶を取り出し、ラベルをみせる。
「代わりにオススメがこれ。お酒みたいなんだけど、中身はお酢なの。匂いもお酒みたいだから、初めて出すと大抵のお客さんは騙されるわね」
仕返ししたい人がいるならもってこいかもしれない。
「すごくさっぱりするから、料理に入れても美味しいですよ?」
自分で使っても良い。
さあ、どうする?
俺は口を挟まず、彼女達のやりとりを興味深く見ていた。今のイザベラには、来店時の切羽詰った様子はない。むしろ、すっきりと晴れ晴れとしたような笑顔がある。
「そうね、両方興味があるから2本もらおうかしら……お値段は?」
商売上手ね、と付け加えて彼女が財布の中身を見ると、鈴さんは「おすそ分けでいただいたものですから、差し上げますよ」と、もう1本カウンターから出してきた。どうやら、先日やってきた商船が大量に仕入れたものの、間違えて飲んだ客からクレームが入り、ぱったりと売れなくなってしまったのだという。
「そういえば、ここはうちわ屋だものね」
イザベラは頷いて、代わりに……と灰色の布に包まれた指輪を差し出した。




