2 暗闇にアストロ灯 (ABOVE)
物部さんが感心したように唸ると、闇の中にゆっくりと朱塗り格子の扉が浮かび上がった。
小ぶりなそれを開けてくぐれば、人一人分が通れるような通路と奥に建物が見える。いわゆる上方で「鰻の寝床」と呼ばれる形状だ。
通路は階段となり、地下へと降りていった。外と同じく朱色に塗られた手すりが、何故か妙に怪しい。普通なら躊躇してしまうようなその店に私は堂々と正面から入っていく。
そうして引き戸になった入口にかかった暖簾を上げようとして、私は振り向いた。
「着きました。物部さん。…………それから園山さん、あとをつけるなんて悪趣味ですよ」
見上げるような形で声をかけると、逆光になった園山さんは盛大に舌打ちをした。
カラカラと音を立てて扉を開けると薄暗い和紙照明とカウンターがあり、店主は私の姿を見て下を指差した。狭いこの店の客席は地下へ続いている。
「物部さんにならともかく、鈴にまで尾行がばれるとは思わなかった」
園山さんは失態だとでも言いたげに口を尖らせた。私が気づいたのは、アストロ灯を取り出した際にチラリと見かけたからなのだけれど、物部さんは最初から気づいていたらしく、ニヤニヤしている。
「心配していただかなくても、この辺りのお店には納品で顔見知りの人が多いですから」
「別に心配したわけじゃない」
ふてくされるようにタバコを取り出そうとする園山さんの手をそっと押さえると、私は微笑んだ。
「このお店、巷で人気のすき焼きも食べられるんですよー」
階段を下りていくと、ギシギシと音を立てて床が軋んだ。
「それにしても、おっちゃんこんなところに店があるとは思わなかったなぁ」
衝立ではなく、半個室になっているテーブルにつくと、物部さんは吹き抜けになっている廊下に身を乗り出すようにして見上げる。しっとりと落ち着いた木造建築の建物には、ふんだんに石綿が使われ、いざというときのシェルターにもなるのだそうだ。地下通路を通じて他の店へと料理を出前しているところを見ると、今は他の用途がメインだろう。
土で塗り込められた壁はどこか生き埋めに去れているような窮屈さを感じさせるが、慣れると逆に何か温かいものに包まれているような気にもさせて、それは何故かこの世のものではないような錯覚を起こす。赤い外の世界から隔離された暗闇に浮かぶ店。
「物部さん、この辺に詳しいかもと思ってたのですけど」
今はすっかり愛妻家だが、若かった頃は爽やかな好青年としてさぞやもてただろうとほのめかすと、物部さんはお金むしりとられちゃって終わりだったよーと、はぐらかした。
「お客様、最初のお酒はどうされますか?」
おしぼりとお茶を受け取り、メニューを睨む。見れば物部さんと園山さんも見慣れないお酒に困惑気味のようだ。日本酒も取り扱っているのだが、珍しい日本酒や熟成モノが多いので味の想像がつきにくいかもしれない。
「一杯目だし適当に選びますね。私はベルビュー・クリーク、園山さんにはグーズ・ジャコバン、物部さんにはボスクリをお願いします」
「かしこまりました」
私が選んだのはサクランボのビール、園山さんにはランビック(天然酵母)ビール、甘いものが好きな物部さんには苺にラズベリー、林檎、マンゴーの天然フルーツジュースをブレンドしたビールを注文した。どれも飲みやすくてアルコールも控えめだ。
「お前、見た目と違って中身は中年親父だろ」
園山さんのさり気ない一言がグサッと刺さる。ひどいです。
暗闇をしっかりとした足取りでやってきて、お酒を持ってきた給仕は、手際よくグラスと突き出し(最初から用意されている酒の肴)をテーブルに置いた。色とりどりのお酒が届いたら、することは一つ。
「「「乾杯」」」
あー、仕事の後のビールって美味し~い! はっ!! これが中身おっさんってこと!?
目の前に座る二人を見ると、案の定……笑いをこらえていた。
まあね、明らかに年下の女性に花街へ連れ込まれたら緊張もするでしょうけれどね。ちょっと恨めしそうに見やると、
「いや、あまりにも記憶にある鈴と違う印象を受けたから」
と、園山さんは声を震わせつつごめんなさいのポーズをする。全然謝ってもらっている気がしないのだけど。
「どちらも私ですよ」
ぐいっとビールを飲み干して、次のを注文しようとすると、物部さんも次のを注文するというので、二人でメニューを眺めた。そんな私達を園山さんは少し潤んだ目で眺める。あれ、園山さん、お酒弱いんでしょうか??
「物部さん、園山さんってお酒弱いです?」
小声で尋ねると、物部さんは無言のまま頷いた。人は意外な弱点を持っているものである。
それから延々と酔っ払って管を巻く園山さんの愚痴に付き合わされた。
お酒弱い園山さん可愛いと思った私を思いっきり罵りたい。物部さんは慣れているのか、
「何でこいつ付いて来ちゃったんだー」
と、額に手を当てて痛い子を見るまなざしだ。あんなに大人びて見えていたのに、人間意外と子供なのかもしれない。
「てなわけで色々苦労したんだが、鈴のほうはどうだったんだ? 村の皆は?」
彼が自分語りに没頭していたのを良いことに、ビールソースの芋の天ぷらやたまねぎのスープ、すき焼きなど料理に専念していた私は急に話しに引き戻される。いくらなんでも変化球過ぎるだろう。けれど、本当は聞きたくて、聞けなかったのかもしれないと、思いなおした。
「苦労ねぇ……辛いとか、苦しいなんてことに浸っている余裕がなかったから」
誰かを責められるほど、自分は偉い存在ではない。そう思うのだ。
「ねえ、園山さん。私達の村は焼けてなくなったんですよ」




