1 銀色の大風呂敷(非売品) オモテ側
この話はクラフト・エヴィング商会さんで取り扱われているレトロな商品をモチーフに書かせていただいております。
――その人に出会ったのは、鈴が大火事で何もかもなくしたときだった。
ここでは大火事など珍しくもない。だからこそ、こうしてすぐに仮設の長屋と炊き出し所が設けられるのだが、大切な人から受け継いだ小間物屋を焼失してしまった身にとっては雀の涙ほどの慰めにしかならなくて、あまりの出来事に途方に暮れるしかなかった。
不安に押しつぶされそうになりながら、自分と同じように焼け出され、顔も体も煤だらけになった旅の青年に炊き出しのおにぎりを持っていくと、彼は口いっぱいに頬張って食べ、私の顔をじっと見つめた後、ボリボリと灰だらけの頭をかいてから真面目な顔してこう言った。
「金は出せねぇけど代わりにこいつをやる」
そうして袂から出したのは一枚の風呂敷。元は銀色だったのだろうが、灰だらけで鼠色だ。はっきり言って風呂敷というより、ボロ布に近いくらいの代物なのだが、
「お前さん、小間物屋やってたんだろ? 火事で焼けちまったって、身が残ってりゃやり直せるさ。なに、商売なんてもんは何扱ってても“こつ”は1つ。堂々と誰よりも威勢良く大風呂敷をひろげちまうことなんだぜ。その点、こいつはすげぇシロモンだ。なんてったって広げりゃ絶対成功する」
なんて、ニッと人の悪そうな笑顔をして差し出すものだから、思わず私は小さな手で受け取ってしまった。
なんだかいかにも擦り切れた風呂敷が宝物のように見えてしまうから不思議だ。
たった1枚の風呂敷で何ができる。何もかもなくしたというのに。
そう思う反面、何か自分が必死にしがみつけるものを手に入れた気がした。
そして、その青年の言葉どおり、私は人生をやり直すことができたのである。
新江戸(旧・江戸)の町はとても込み合って作られた町だった。異人に引続いて異世界人たちまでもが来て、複雑怪奇な文明開化をしてしまったその町には、これまでどおりの長屋や武家屋敷の他、南蛮風の屋敷や鉄の塊で出来たような住処までもが存在している。とはいえ、異世界からこの世界にやってくることができる者は一握りであるため、相対的な割合としてはまだまだ江戸の雰囲気が色濃く残っているのだが。
私は綺麗に舗装された大通りから少し中に入った街角にある小さな店にいた。商家の蔵を改造した白い壁に薄い灰色の瓦の店だ。看板はない。
店舗スペースである1階は約6坪(20平方メートル)だが、3階建てになっているため倉庫部分が広い。実際、探しものがない場合は、倉庫から出てくることが多いため「あそこの店は異世界の倉庫につながっている」と噂されるほどだ。3階建てだなんて江戸時代なら不敬罪で取り締まられそうなものであるが、5階建ての鉄塔付住居やガラス貼りの屋敷などが建っている新江戸時代では誰も文句を言うものはいない。
――小間物屋 鈴音商会
それがこの店の屋号だった。ほとんど開店休業状態であるが、それは店頭販売よりも受注したものを自宅まで届けるほうがメインだからだ。知る人ぞ知る名店「鈴音商会」の扱う商品は、オーナーが集めてきた異世界の商品である。
異世界に開国したとはいえ、こちらから異世界に飛ぶことも、異世界からやってくることもまだまだ一般化していない現代では、政府の管理する限られたルートを使って限られた人間だけが行き来するのが普通だった。一部の能力者たちが自らルートを作って異世界へやってくることもあるが、生身の身体で界渡りするにはリスクが大きいためか極小数に限られる。
それだけに、さまざまな異世界から商品を仕入れてくる鈴音商店は大変珍しく、この世界の住人からも異世界の住人からも重宝されていた。
「不動さん、新作のデザート食べてみませんか?」
「食う!」
待っていたといわんばかりに両手を私の前に出した彼は、ボサボサの頭にもっさりとした無精ひげ、少しタレ目の目元にヨレヨレの着物という、どこからみても浪人ルックスである。むしろ浮浪者に見える。日雇い労働も行っているせいか、筋肉はそこそこ付いているのだが貧相である感じは否めない。
その浪人にホワイトチョコレイトでマンゴーを挟み込んだタルトを差し出す私といえば、フリフリのレースをあしらったエプロンに市松模様のワンピースという異国の服装だ。最初は絶対に似合わないと思っていたのだが、意外や意外、なかなかに客からの評判が良かったため制服のようになってしまった。
和服がまだ一般的なこの世界では珍しい服装なのだが、何せこの店は普通じゃない。彼が何気なく腰掛けている椅子は猫足、その前に無造作に置かれているのは蔦が彫られたマホガニーのテーブルという珍しいものであるから、こういう服装のほうがしっくり来るのかもしれない。
一口サイズのデザートをつまむと、不動さんはテーブルに頬杖をついたままおもむろに口に入れる。みるみるうちにその顔が緩んでいくのが分かった。
「美味い。甘さの中にもすっきりとした味わいがあるな」
「異世界で人気のメニューなんですけど、さっぱりしてて美味しいでしょ」
今度、華族の屋敷でパーティがあるため、婦人方がつまんで食べるおやつとして納品しようと思っていた高級菓子である。
「育ちがいいからか味覚だけはバッチリだからな。味の保障はできるぞ」
「そう言って、お腹が減るとうちに来るんだから。また懐が寒いの?」
もう一つ欲しいと出した手をやんわりと押し戻し、代わりにビスキットを戸棚から引っ張り出して器に盛り付け、彼の目の前に置く。オレンジと呼ばれる蜜柑の一種を皮ごと砂糖煮したジャムをサンドした菓子だ。
「こっちもうめぇ! うわ、手がベトベトする。鈴、おしぼり」
「1枚ずつ掴んで食べたらいいのに、なんで片手で5枚も掴むかな~」
手のひらを舐めそうな勢いだったので、慌てておしぼりを差し出せば、不動さんは手を拭いた後……顔まで拭いた。男前とは言いがたいが、汚れの下から20代後半の普通顔がでてくる。
「うあー、さっぱり。仕事クビになってから毎日カエル捕まえて食ってたから、生きカエルぅ~」
「不動さん、おっさん臭い……」
先ほどの、味覚云々はどこにいったのでしょうね。