exe.3-2
フェリンが牢獄に入ってから一カ月後、彼女は再びヘルと対峙していた。
「あらあら。随分と変わり果ててしまったわね」
フェリンは思考する以外はほぼ食事と睡眠しかしていなかったので髪も爪も荒れ放題の伸び放題、バンダナも手首に巻いて狼の耳を露わにしていた。ヘルはそれらを揶揄しながらも一つだけ理解できないものがあった。それはフェリンの眼。彼女の眼は輝いたり暗くなったりを繰り返していたのである。答えを見つけたのなら輝いているはず。見つけられなかったのなら暗いはず。むろんヘルは自分の残り寿命など分かるはずがないと思っているから暗いのは当然。だが、時折輝く理由が分からなかった。しかしそんなことはどうでもよいこと。フェリンの負けは決まっている。フェリンの眼を見ていると確実に勝利するはずのヘルに不安を与えるようだったので、ヘルはさっさとフェリンの答えを聞くことにした。
「では聞かせてもらおうかしら。あなたの答えを」
ヘルに問われるとフェリンはゆるゆると顔を上げた。その眼の焦点はヘルではなかった。
「わたし…わたしの、答えは…」
フェリンの声の調子は答えを迷っているというよりも確実なその答えを口に出すことを躊躇しているようだった。彼女もそれではいけないと思ったらしい。頭を何度か振って頬を両手でパンと叩き、最後に深呼吸をして気持ちを落ち着かせた。そしてフェリンの悟ったような、あるいは諦めたような眼を見てようやくヘルはフェリンの至った答えに気づいた。それは恐らく文句のつけようのない唯一の正答だった。
「わたしの残りの寿命は」
不気味なほど静かな声でフェリンは告げる。同時に勾玉のネックレスを力任せに引きちぎったので、フェリンの狼化はまたしても早まり、鋭く伸びた爪を自らの胸に近づけて言った。
「十五秒」
彼女は告げると同時にその心臓を自らの爪で掴みだしていた。
フェリンは歩いていた。どこへかは知らない。どれくらい歩いていたかも知らない。気づいたら歩いていた。その前に洞窟が現れたときも迷わず入っていった。なんとなくここが目指す場所だと思ったからだった。特になんということもない洞窟。強いていえば光源もないのにうっすらではあるが周りを視認することができる。そんなところを奥へ奥へと進んでいると、目の前に人間の形をした黒い影が現れた。これまでどこか曖昧だった意識が急にはっきりして頭が警戒態勢に入っていく。
「どうした?」
声が聞こえた。影はどうやらただ黒い服を着ているだけの人間で、その声は自分のよく知っている声だということが分かり、頭の中でその二つのことが合わさったとき、声が出ていた。
「レン…くん……?」
「レニエンス・ビヘッドだ」
「…………ふふっ」
その憮然とした返事に知らず笑いが漏れてしまう。
「本当にレンくんなんだ」
ふらふらと近づいていくフェリンだが、不意に歩みを止めた。
「どうした、フェリン?」
「ねえ、わたし甘いものが食べたい」
「…?」
唐突なフェリンの台詞に影は不審がっているようだ。
「それにもう歩けない」
しかしフェリンはお構いなしにわがままを言って本当に座り込んでしまった。
「何を言ってるんだ?」
影が困り果ててとうとうそんな言葉を吐いてしまった瞬間。
「何を言っているか分からないだと?そんなことも知らないのか?」
フェリンの後ろから声が飛んだ。
「甘いものが食べたいと言われたらさりげなくケーキ屋に連れて行くんだ」
後ろからの声の主が近づいてくる。
「そしてもう歩けないと言われたら」
座り込んだフェリンのすぐ後ろに立つ気配がする。けれどフェリンは振り返らない。そこに誰がいるかはもう分かっているから。後ろに立った誰かはフェリンが立ち上がらないのを確認するとため息をついた。そして「今回だけだぞ」と囁いて彼女を抱き上げた。抱き上げられた彼女はようやく彼の顔を見て、目を潤ませながら言った。
「レンくん」
「なんだ?…リン」
「へえーじゃああれも課題の一つだったんだ」
ヘルの宮殿への帰り道。フェリンはレニエンスから先ほどのことについての説明を受けていた。ヘルはフェリンが心臓を掴みだした後、十五秒で絶命したことを確認した。しかし、勝負をしていたフェリン自身が死んでしまうというのは勝敗の結果としてありなのか?と思ったヘルは偽者のレニエンスを用意し、それを見破ることができたらフェリンの勝ちとする自分ルールを決めた。そのためにフェリンを生き返らせ、ついでに洞窟まで無意識で向かうように暗示をかけた。レニエンスがあの場にいたのはフェリンが偽者を見破れたら声をかけて良いという条件でレニエンスを後方で待機させていたからであり、見破れなかった場合には白い部屋に逆戻りさせられるはずだった。
「でもレンくんってば優しさが一欠片足りないよねー。最後の台詞は『なんだいリン』だったじゃない」
「言ったぞ」
「え?そ、そうだっけ?ううん言ってない!うそでしょう!」
「嘘だが」
「ちょっとぉ…」
「こらああああああ!!!!」
大声を出してきたのはヘルだった。
「さっさと来ないと思ったら…なにいちゃいちゃしてんのよ!私だって暇じゃないんだからね!?」
「いちゃいちゃって…」
「不本意だな」
「がーん……」
「冗談だ。元気を出せ」
「元はといえばレンくんのせいでぇー…」
「いいから来なさいっ!」
「はい…」
というわけでヘルの宮殿。
「まったく…あなたたちの態度を見ていると負けを認めたくなくなるわ」
ヘルの機嫌はまだ直っていなかった。
「えぇー…」
「子どもな奴だな」
二人の反応にまた怒りかけたヘルだったが、今度は眉を上げただけにとどめた。
「それで?あんたたちは何を願おうっていうの?」
フェリンはレニエンスに顔を向けたがレニエンスは横目に見ただけ。しかしそれで意志の疎通は済んだらしい。といってもレニエンスは「お前に任せる」くらいのことしか言わなかったのだろうが。
「その前に質問なんだけど。わたしって一回死んだ後生き返ったんだよね?わたしの寿命は今どれくらいなの?」
「正確なところは言えないけど私が生き返らせた時点で元通り。何百年よ」
ヘルはまだ不機嫌ながらも答えはくれた。
「そっか。ありがとう」
フェリンははにかんだように笑って「じゃあわたしたちの願いを言うね」と言って顔を少し引き締めた。
「わたしたちの寿命を今からぴったり、百年にして元の世界に戻してほしい」
それを聞いたヘルはなんとも情けない顔になった。「はあ?」と声が出ないので表情で表現したような顔だ。回復にはしばらくの時間を要した。
「あなた…何を言ってるか分かってるの?その男と添い遂げたいなら両方不死にでもなればいいじゃない」
「ううん、そこまではいいの。そんなにもらってもきっと持て余しちゃう。やることがなくって気が狂っちゃうよ」
「男を生き返らせに来た狼娘の台詞とは思えないわね」
「あはは。それを言われちゃうと辛いんだけど。でも、だからこそ今度は絶対離さないって思えるから。その思いがあれば大丈夫、だよね?」
「なぜ俺に振る」
「もーっ!たまには正直にならないと泣くよ!わたしが!」
ため息をついて頭をガリガリとかき回すレン。相当恥ずかしいらしい。
「ああ、一生離さない。これでいいか?」
「うんっ」
「というわけであんたたちには一刻も早く帰ってもらわないとこっちの精神がもたないわ」
もはやあらゆる感情を通り越して無表情のヘルが指を一振りすると縦に渦巻く円が出現した。
「さっさと行きなさい」
「これ、どこにつながってるの?」
「行けば分かるわ」
「違いない。行くぞ」
「あ、うん」
レニエンスに手を引かれながら、振り返るフェリンは大きく手を振っていった。
「いろいろありがとー!また百年後にね!」
そうして二人は無事に生きる者の世界に戻ることができたのだった。
どうも。弥塚泉です。
『EXECUTION!』完結です。
長編を書きたかったので、なんか続きそうな終わり方になっていますけど、これで終わりです。
今度こそ長編を書こうと思うので、次回があればまたそちらでお会いしたいと思います。
弥塚は他にもいろいろ書いておりますので、そちらもどうぞ。
では。