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EXECUTION!  作者: 弥塚泉
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 ヨルムンガンドとの戦いから一週間後。フェリン・ディスペルは未だレニエンスの死のショックから立ち直れずにいた。大半の時間をぼんやりして過ごし、思い出したように足を運ぶのはこの町で初めて食事を取ったあの居酒屋。

「あいつ、大丈夫なのかよ」

 トールは恐る恐るといった様子で口を開く。正気でないフェリンは怖いが、あのまま放っておくのはさすがにいけない。そんな葛藤がこの男の声の調子を珍しいものにしていた。

「大丈夫なわけなかろう。お前の目は節穴か?」

 それを受けるのはトールの父、オーディン。彼もまた、どこか迷っているように見える。

「うるせえな!んなこたぁ俺だって分かってんだよ!」

「どうしたトール。お前、あの二人のことは嫌いだったのではなかったのか?」

「だけどよ………」

 トールは苦々しそうにフェリンがいる方向を見た。

「あんな酷いやつを俺は見たことがねえ。救えるんなら救ってやりてえよ!」

「ほう…お前がそこまで言うとはな。ではわしも、一度くらいあの二人にチャンスをやろうかの」



 トールとオーディンが部屋を訪れてもフェリンは目をちらりと向けた以外は特に反応を見せなかった。フェリンは椅子に座ってレニエンスの剣を抱き、ぼんやりしていた。

「酷い有り様じゃな」

 トールが焦るのをよそにオーディンは構わず続ける。

「お主はなにがしたいのじゃ」

 フェリンは答えない。そのまましばらくして呟くような声が聞こえてくる。

「レンくん」

 呟くように言ったのもあるが、フェリンの声自体もかすれている。それを悟ったオーディンは続けた。

「会いたいか?」

 フェリンはこくりと頷いた。オーディンはしばらく躊躇ってから告げた。

「方法は、ある」

 その言葉を聞いた途端、フェリンが顔を上げてオーディンの顔を見る。

「じゃが、彼の者に会うためにはもちろん死の国に行く必要がある。悪くすれば、というよりもほとんどの確率で戻っては来れん。つまり死んでしまうのじゃぞ?」

 これにはさすがに少し迷った風だったがそれも一瞬。

「行かせてください。戻って来れなくてもレンくんと一緒ならどこでもやっていける気がするから」

 彼女の目を見てオーディンは哀しそうに頷いた。

「では決行はいつがいいかな?」

「今からお願いします」

 彼女が即答することは予想していたらしく今度は動揺なく返した。

「分かった。では後ろを向きたまえ」

 立ち上がって背を向けるフェリン。レニエンスの剣は握ったままだ。

「完全に狼化した君の爪で心臓をえぐり出せれば十五秒で死ぬことができようが、それには恐らく尋常でない苦しみを伴う。それよりは我々ができるだけ安らかに逝かせる方が良いじゃろう。トール」

 鎚を構えたトールが進み出る。

「気が進まねえがしょうがねえ。できるだけすぐ逝かせてやっからな」

 勢い良く振りかぶったトールだが天高く掲げた状態で動きを止めてしまう。オーディンがおかしく思ってよく見ると震えていた。巨人殺しといわれるこの男も少女を殺すにあたっては躊躇せずにはいられないのか、と思ったが、これはどうも違う。もっと純粋な恐怖。たとえば、そう、あの鎚を振り下ろそうとすればその瞬間に斬られでもするような。

「トール、わしが代わろう」



 フェリンはぎゅっと目を閉じていた。仮にも死ぬからにはやはり痛いに違いない。怖いけれどレニエンスに会うためならば、と自分に言い聞かせていると後ろからオーディンの声が聞こえてきた。

「お主、本当に良いのか?彼の者はお主に生きることを望んでおるのだと思うが」

 それはそうかもしれない。あの不器用な処刑人は自分を脱獄させたあげくにこんな遠いところまで連れてきてくれた。彼は無愛想で、なにも言ってはくれなかったけれど、優しいひとだ。自分は依りかかっているだけだったかもしれないけど。今からは、これからは支えあえるように。

「わたし、やっぱりレンくんに会いに行くのはやめにします」

「そうか」

「レンくんを連れ戻しに行ってきます」

「………くっくっく」

 なぜかオーディンは声を殺して笑っているようだ。

「今も聞いた通り、彼女の想いは変わらなかったようだ。むしろ、強くなった。恨むならばそれほどまでに想わせた自分を恨むのじゃな。……これでわしも彼女を行かせることができる。彼女を殺そうとすれば主のプレッシャーに負けてしまうじゃろうが、彼女を送るためであれば主はさほどこちらにプレッシャーを与えることはできんじゃろう」

 オーディンは誰かと話しているらしい。そのわりに相手の声が聞こえない、と考えていると、「準備はよいか?」と言ってきた。

「もちろん!」

「では」

 オーディンの言葉と同時に意識が消えた。




 レニエンス・ビヘッドにはやらなければならないことがあった。正確にはやらなければならないと決めたこと、だが。

 死後、レニエンスの意識は途切れ、次に目覚めた時にはこの場所にいた。彼は死後の世界の存在など信じていなかったからしばらく彷徨っているうちは自分が死んだとは思わなかったが、そのうちにおかしな使者にどこかに連れ去られそうになり、それを撃退したときに初めてどうやらここは死後の世界のようだと思った。死後も自意識がある。となれば彼にはやらなければならないことがあった。とにかく彼はこの世界の最高権力者に会うために情報を集め、その居場所を突き止めて今、彼女の宮殿の広間で対面しているのである。レニエンスの対面に豪華ながらもどこか質素な印象の椅子に座る彼女こそ、フェンリル、ヨルムンガンドの妹であり、死後の世界ヘルヘイムの女王、ヘルである。

「それで?人間がこの私に何の用かしら。何か願いがあるならここまで来れたご褒美に一つだけなら叶えてあげるわ」

 ヘルはこう言えば必ず、生き返らせてほしいと願うに決まっていると思っていた。そうして身の程知らずの願いを抱いた報いを受けさせようと思っていたのだが、レニエンスの答えは違った。

「俺にフェリン・ディスペルを護らせてくれ」

 ヘルは一瞬、目の前の人間が何を言ったか分からなかった。ヘルヘイムの女王であるヘルのところまで来るのは並大抵の苦労でなかったはず。なのに、その苦労を他人のために捧げるという。それも天使やその他の人外でなくただの人間が。

「いえ、分かったわ。そのために生き返らせてほしいと言うつもりでしょう?」

「その通りだ」

 レニエンスは即答した。やはり。しかしそれならそれでやりようはある。

「でもあなたは最初にそのフェリンさんを護らせてくれと言ったわね?だったら生き返らずに護る方法があればそれでいいんじゃない?」

 レニエンスは少し驚いたようだった。だが続いた言葉にはヘルが驚かされる。

「もちろんだ」

 レニエンスの返答は遅れたが悩むような時間はなかった。どちらかというと話が自分の思い通りに進みすぎてとまどうようなそんな感じ。いよいよレニエンスの思惑を計りかねたヘルは試すことにした。

「なら良いわ。ついてきて」

 レニエンスを連れてきたのは目に痛いほど真っ白な壁の小さな小部屋。中に家具類は一切なく、ただ一つ場違いな古いテレビだけが置いてあった。

「このテレビからフェリンさんの様子を見ることができるわ。視界は一分ごとに切り替わるし、その時の視界外から危害を加える者がいれば警報が鳴るわ。あなたが護らなければならないと思った時はこのテレビに入れば、向こうに行くことができる。ただし実体を持つことはできないわ。だから物を持ったり触れたりはできないけど相手にはあなたが半透明の姿で映るからそれでなんとかしなさい」

「分かった」

「ただし」

 とヘルはまるでなんでもないことのように付け加える。

「ここに入ったら永遠に出ることはできないから」

「ああ」

 それに返すレニエンスの言葉もなんでもないような気軽な返事だった。ヘルはまたしても彼のその言動が理解できなかったが、もう勝手にしろと半ば自暴自棄な気持ちでレニエンスに背を向けた。




 フェリンの意識が覚醒したときにはすでにヘルの目の前にいた。ヘルは肘をついて足を組んで、不機嫌さを隠そうともせず、フェリンを睨みつけていた。

「で?」

 いきなり自分の目の前に現れたフェリンにヘルはそれだけ言った。ヘルは初めにレニエンスを白い部屋に入れた際にフェリンの外見を知っているが、ヘルが不機嫌な理由はフェリンには知る由もない。

「は、はぁ…」

 フェリンからすれば唐突に現れた女性からなんの説明もなく「で?」と聞かれたわけである。それは「はぁ」と答えるしかない。しかしそれがまたヘルの機嫌を損ねた。

「はぁってなにそれ?馬鹿にしてんの?私とはまともな会話もしたくないってわけ。だったら結構、さっさと出てってもう二度と来ないでくれる?」

「いや、ちょっとわけが分からないから説明してほしいんだけど」

「説明?あんた、誰だかって男を生き返らせに来たんじゃないの?なのにここがどこかも分からないわけ?」

「じゃあここが死者の世界…?」

「ヘルヘイムよ。狼娘」

「わたしのことを知ってるの?」

「私の名前はヘル。話だけには聞いてたわ、ハティ・フローズヴィトニルソン。なにせこんなところに隔離されているものだから会ったのは今が初めてだけどね」

「そうなの…」

「で、あんたはあの人間を生き返らせに来たってわけ?できると思ってんの?そんなことが」

「やってみせる。だからレンくんがどこにいるか教えてくれない?」

「知らないわ。会いたかったらヘルヘイム中探したら?」

 真剣なフェリンとは逆にヘルはそっけない。

「そうする」

 フェリンも元々当てにしていたわけではないのでヘルの返事を聞くが早いかさっさと身を翻した。

「ちょっと待ちなさい!」

 しかしヘルはなぜかフェリンを呼び止めた。

「あなたならそんなことはさほど苦にも思わずやり遂げてしまいそうね。それではつまらないわ。どうしたものかしら…」

 ヘルは顎に手をやって考え始める。そうして何か思いついたように「ふふっ」と笑った。

「あなた、自分の残りの寿命を当ててみなさい」

「え?」

「寿命よ。残りの命。答えには一秒だって誤差は認めないけど、その代わりに正しく答えることができたらあなたの言うことを聞いてあげるわ。あいつを生き返らせるなり、不死身にするなりすればいい。ただし、間違えたらあなたの負け。その時は…どうしようかしらね。私の好きにさせてもらうわ。まあ二度とあの人間には会えないし、オーディンに向こうへ戻らせてもらうこともできないでしょうけどね」

 ここでヘルは勝負の内容をしっかり理解させるように間を置いた。

「あなたの願いを叶える方法はこれっきりよ。答えは一月後に一度だけ聞くわ。それでよければ始めましょう」

「…分かったわ」

 フェリンは少し迷ったが頷いた。レニエンスを生き返らせるにはその条件を飲むしかないのだ。



 フェリンは牢獄にいた。期限が迫ったときに怖じ気づいて逃げ出さないようにというヘルの考えからだった。しかし今のところこれはフェリンにとって良い状況と言えた。フェリンに出された課題の難しさを考えれば場所などどこであろうと関係なかったし、フェリンにとってみれば牢獄は旅を始めてから今までゆっくりと話す時間の取れなかったレニエンスとの数少ない思い出深い場所であったからだ。しかし、あまり思い出に浸ってばかりもいられない。レニエンスと再び言葉を交わすためには乗り越えなければならない課題があるのだ。「自分の残りの寿命を答えよ」。そもそもこれは答えることができるのだろうか。ヘルがレニエンスを救うためにはこれに答えるしかないと言うから受けたが、彼女は最初に会ったときからすでにこちらに良い印象を持っていないようだった。この課題は名目だけで本当は絶対に解けないのでは…?そこまで考えたとき、フェリンは自分の頬を両手で思い切り叩いた。課題を受けた以上、いまさらそこに疑いを抱いてもしょうがない。今は自分の残りの寿命を考えないと。フェリンはそこから一月、そのことを考え続けた。

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