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◎慟哭に死せる屍の魂。(二)


 目を開けると、目の前に眼鏡を掛けていないラナの顔があった。

 数回瞬きをして、レイは口を開く。


「……やあ、おはよう」

「お、おははようございます!」


 少しどもりながら慌てて顔を離すと、カノジョは赤く染めた頬を隠すかのように俯いた。


「どうしたんだい?」

「べ、別にな、なにもしようとなんて、してい、いませんよ?」

「…………」


 なにかしようとしていたのは確かなようだが、特に細かい所まで咎めるつもりはなく、レイはとりあえず起き上がる。

 掛け布団を丁寧に畳み、足元に置くとラナに向き直った。


「朝ごはんでも食べに行こうか」

「はい! あ、でも、もうすぐ昼なので、昼ごはんになりますよ」

「……もうそんな時間?」

「はいっ」

「朝食べなくっても平気だった?」

「一食抜いても死にはしませんよ~。それにレイからいただいた本もありますし、だいじょうぶです」

「……それならよかった」


 外に出ようと扉に向かうと、背後から鼻歌が聞こえた。

 その鼻歌が、ピタッと泊まる。続いて、ラナの問いかけが。


「昨日の夜、遅くまで本を読んでいたんですか?」

「……ああ」

「早く寝なきゃいけませんよ。って、こんなこと、わたし前にレイに言われた気が……」

「そんなこと、あったけ?」レイはとぼける。

「そうですか? そういうことにしておきます。では、行きましょうか!」


 ラナは弾むようにそういうと、ニッコリと笑顔をレイに向け、彼よりも先にドアから外に出ていった。

 せわしいなーっと呟き、レイは後に続く。



    ◇◆◇



 部屋に戻ると、ラナはさっそくベッドに寝転がって本を飲み始めた。

 それを微笑ましそうに眺めてから、レイも本をひらく。


『彼女は私の思いを受け入れてくれた。私もよ、と言ってくれた。なんてきれいなんだ!』

『私は幸福だ! 幸福すぎて、なんだかとても素晴らしい気持ちになってきた。』


 彼は自分から彼女に会いに行き、思いを告げた。彼女は少し驚きながらも快く受け入れてくれて、交際をスタートすることになったらしい。

 それからの彼の日記は、読んでいるこちらが恥ずかしくなるぐらい彼女への愛の言葉で満ち溢れていた。


『愛している。愛している。愛している。私は彼女を愛している。』


 一つ間違えれば狂っていると思われる言葉が続く。

 そして彼の作品は、平凡な日常の内容から、甘い恋愛小説に変わっていった。そんな彼の作品は、それからというものの爆発的なヒットを記録し、作家の彼は有名になった。

 そのことを彼は日記の中でも記している。


『とても嬉しい。私の作品が売れ出した! いままでそれなりに金を貰えるのであればそれでいいと思っていたのに、なぜこんなに嬉しいのか! これもすべて彼女のお陰だ。彼女のお陰で、私はとても幸福になっている。』

『彼女がいたからこそ、いまの私が出来上がっているのだ!』


 それから約二年間、同じような日記が続く。

 だけど、そんな幸せな彼の人生に唐突に暗雲がたちこみはじめた。

 それは残酷な悪魔のように、彼の元に訪れる。


『なんだか最近彼女の様子がおかしい。どこかよそよそしく、私と一緒にいることを拒む。』

『一体なにがあったのか訊いても、なにも答えてくれない。』

『なぜ? 私たちはもうすぐ結婚するというのに、彼女は打ち明けてくれないのだ?』

『わからないわからない。私にはなにもわからない』


 明るい日記から、一気に暗い日記へ。

 そんな中、彼はある日とんでもない出来事を目撃してしまう。

 夕暮れ時。彼女の家に向かう途中でのことだ。

 彼女の家の近くには、公園があった。公園の木の陰、そこをたまたま見た彼に衝撃が襲う。

 そこでは――彼女と見知らぬ男が、接吻を交わしていたのだ。

 それは一瞬のことで、彼女は相手の男を押しのけるように腕を伸ばす。その腕を取った男は、怒りの形相をして彼女に迫った。そして男がなにか奇声を発したかと思うと、男の伸ばした大きな手が、彼女の首をきつくきつく握り締めた。


『そのときの衝撃を、なんといおう。見ず知らずの男が、私の愛する者の首を締めたのだ!』


 彼は呆気にとられてそれを見ていたが、気を取り直して彼女の名前を呼んで近づいて行く。その声に気づいた男は舌打ちをして逃げていった。


 彼女の名前を何回も呼び、彼は彼女の上体を抱え起こした。でもその時にはもう遅かった。

 彼女は息をしていなかった。

 死因は単純。絞殺だ。首を締められて、苦しんで死んで逝ったのだ。

 それを知った彼は、瞬間に思考を放棄した。頭が真っ白になり、なれ果てた骸に顔埋めて泣き叫ぶ。


『ああ、悪魔だ。私の幸せな日々に悪魔が入り込んできたのだ!』

『許さない。私はあの男を許さない。許しておけるものか!』


 後から彼が聞いた話では、彼女はしつこい男に交際を申し込まれたらしかった。だが、彼女は彼のことが好きだからと断った。そしてあの日、またしつこく交際を申し込まれた末に無理矢理接吻をさせられたのだろう。それを拒んだ彼女は、激昂した男により首を締められてしまった。

 それから彼は執筆活動をやめてしまった。日記もたまにしか書かれていない。


 ――そして、その時は訪れた。

 彼女を殺した男は無罪となった。そして、彼女を殺したのは、第一発見者である〝彼〟だということになってしまったのだという。

 彼は弁解した。自分は殺してない。殺したのはあいつだ!

 だがそれは虚しく、彼の両親や知人、それから彼女の両親も信じはしなかった。

 彼は甘い恋愛小説以外に、狂気の篭った恋愛小説を無意識に書いていたのである。それを証拠として突きつけられ、彼は異常者として彼女を殺した罪を負うことになってしまった。

 それにより、彼はとうとう本当に精神を崩壊させてしまったらしい。それからの日記は、もう文とは言えないものになっている。


『なぜなぜなぜなんだ。どうしてこんなことになぜ私が彼女を殺したとしていないのにッ。どうしてなぜ私は無実犯人はあの男だ殺してやる許さない彼女を殺したあいつを私を犯人に仕立て上げたあいつを許すはずがない許せない許すものかッ!』

『なんて理不尽な世の中なんだ。こんな世の中消えてしまえ。消えてしまえば私は。ああ、なぜ彼女は殺されたのだ。あの素敵な微笑をもう見れないと思うと私はもうッ』



 そこでいったん、レイは続きを読むのをやめた。あと数ページで読み終わるからだ。

 あの老人はこの本には呪いが込められていると言っていた。その呪いが発動するときに、なにがあるのかはわからない。もしもラナの近くにいて、巻き込んでしまったらまた一生、自分を恨むかもしれない。

 だが、そんな思いよりも――。

 レイは本を閉じて前を見る。ラナが不思議そうな顔でレイを見ていた。彼女はぱちぱちと二回瞬きをすると、桜色の唇を開く。


「その本、そんなにも面白いのですか?」

「……ん?」

「だって、レイがさっきからすごく真剣な顔で読んでいたので、面白いのかなーっと。だったら私も読みたいなーって、他国の言葉は私にはわからないんですけどね」


 えへへーっとラナが笑う。その笑みを見てレイも微笑んだ。


「この本は、きみには――いや、僕にもつまらないものだよ。だから、読んだらとても損すると思うなー。だからきみは、他の面白い本に時間をかけるべきだと思うよ」

「そうですか? なら、そうします。レイの買ってくる本はどれもとても面白いですッ!」


 本で口元を隠し、ラナは本当に幸せそうに微笑む。


「それならよかったよ。って、ああ、もうこんな時間か。昼は外で食べたから、夜はなにか買ってこようかな。なにが食べたい?」

「なんでもいいです! レイが買ってきてくれるものだったら、なんでも!」

「ははっ、わかったよ。なら、とびきり美味しいものでも買ってこようかな」

「お願いします!」


 レイは「よろしくされたよ」というと、本を抱えたまま立ち上がった。そのまま外に出て行こうとする。

 彼の様子を見たラナが、不思議そうに訊いてきた。


「その本、持って行くんですか?」

「ん? ……ああ、そうだね。もういらないから、ついでに売ってこようと思っているんだ」

「そう、なんですか? いってらっしゃい、レイ」

「うん、行ってくるよ」


 レイは安心させるような笑み浮かべると、扉を開けて外に出て行った。


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