黒き影
「なに、この犬…」
思わず、そんなことを呟いてしまう。
真っ黒な毛並みの犬は、グルルルと唸りながら姿勢を低くして、いつでも飛びかかれるような体勢をとっている。
怖い。
ただただ、そう思った。
「…大丈夫か?」
頭上から心配そうな声が聞こえた。風斗の声だ。
ここでようやく、私は風斗に抱き締められていることに気がつく。
って、うきゃあーーっっ!?
「だ、だだだ大丈夫!だから離して!」
「え、ああ悪い」
腕が離される。
ど、どうしよ…今私絶対に顔赤い…じゃなくって、今はあの犬だ犬!
「あの犬なに?野犬?人を襲うとかいう犬!?」
「…いや」
私の言葉を否定したのは、水無月君だ。
視線は犬へと定めたまま、水無月君は冷静な声音でしゃべる。
「犬にしては、あの殺気はおかしい。人間だとしてもあの殺気は中々出せるものではないと思うよ」
「…あの犬から出ている怖いものって、やっぱり殺気なんだ。というか、あの犬はなんであんなに殺気を…」
「一応訊いておくが、鈴香。あの犬に何かしてないよな」
首を横に振ると、そうかという短い返事が返ってきた。
そして、スッと風斗と水無月君が私の前に出た。
「ちょ、二人とも危険だよ!?」
「危険だとしても、天原さんと横に並んだままなんて男じゃないからね。勿論、天原さんの後ろなんて論外だよ」
「非常に嫌だが、水無月と同じ意見だ、っ!!」
犬が飛びかかってきて、風斗は私を庇いながらそれを避ける。
はや…。黒い影みたいなのしか見えなかった…。
「…ね、なんでか分からないけど、俺あれ見たことあるよ」
「「え!?」」
まさかの言葉で、私と風斗は水無月君に注目してしまう。
水無月君は、犬から視線をそらさずに、平静を保った声でしゃべる。
「といっても、夢の中でだけど」
「夢って…」
「俺の夢の中だと、あれ魔物って呼ばれてる」
「お前どんな夢見ているんだ!?」
風斗がつっこんでいた。
たしかに、水無月君って普段どんな夢見てるんだろ…?
魔物が出てくるって、なんかドラ○エやファイナ○ファンタジーみたいだ。
「うん、まあたしかになんていう夢見てるんだろって、自分でも何回も思ったけど、それは置いとくとして。それにしてもおかしいよ。なんで俺の夢の中に出てくるやつが現実にいるん、だ!?」
犬がまた飛びかかってきた。
間一髪で水無月君がそれをかわす。
「っ!」
犬はすぐに方向転換し、風斗と私の方に。
風斗は私と一緒にそれを避ける。
ドガアッ
犬が、壁に当たった。
壁に当たったくらいじゃ普通出せないような音。壁を見ると、壁は穴があきそうなくらいボロボロだ。
あれに私たちが当たっていたら…。同じことを思ったのか、風斗が息を飲む音が聞こえた。
「…なあ、鈴香、水無月」
「うん、風斗が何を言おうとしているのか、大体分かるよ」
「うん、俺も。付き合い浅いけど、さすがに分かるよ」
三人で顔を合わせて、頷く。
…よし!
「いくぞ!」
風斗の声と共に、三人揃って走り出す。
風だ!私は風になる!50メートル走は9秒台だけど、火事場の馬鹿力とかが発揮されるだろうから多分大丈夫だ!二人についていける!
「鈴香!遅れてるけど大丈夫か!?」
「大丈夫!?なんならおぶろうか!?」
くそう!負けるな鈴香!
そうだ!ここで止まったら死ぬぞ!死んだら何もできないんだぞ!
…死んだら何もできない?
ハッ!私昨日買った「恋して少女!はあと」の竜太を攻略していない!容姿も主人公の幼馴染みというポジションも性格もドンピシャだというのに!!
「おわっ!鈴香が急にスピードアップした!?」
「え?なんで?もしかして俺におぶられるのそんなに嫌だったの!?って、俺らあっさりとぬかして行った!」
それだけじゃない!明後日には前々から狙っていた「ドキッ!男だらけの毎日は波乱がいっぱい!?」というやけに長いが期待度マックスの恋愛小説の第二巻の発売日…!
「やばい!鈴香の姿が豆粒くらいにしか見えなくなってきた!っていうかあいつ、なんで急にあんなに足早くなったんだ!?」
「!?おい如月、あの犬俺らをぬかして天原さん追いかけに行ったよ!このままじゃ…!」
後ろから二人の焦った声が聞こえた。
何かをあったのかと思い、後ろを振り向くと、
「っ!?」
犬が、すぐ後ろまできていた。
結構早く走ったんだけど、追い付かれた!?
「っ!わっ…!?」
弾丸のようの、犬は黒き影となって私に向かってくる。
それをなんとかかわす、が、その拍子に体勢をくずし、膝をついてしまった!
犬が私に向かって体勢を低くし、今にも飛びかかりそうだ。
あ…これ、私…死ぬ?
犬が、地を蹴った。私は、逃げる時間もなく、ただ目を瞑る。
「天原さんっ!!」
誰かが、私の名前を叫ぶ。
それと同時に、
ザバアッ
「…え」
なぜか、水の音。目を開けると、驚きの光景がそこにあった。
「なにこれ…」
水が、犬から私を守るかの)うに、そこにあった。
青々とした水は、高い壁となって私を守っていた。水ごしに、犬が困ったように立ちすくんでいた。
「鈴香、大丈夫か!?」
「天原さん、怪我は!?」
「大丈夫…」
駆け寄ってきた二人にそう返事を返す間に、水は姿を変えた。いくつもの水の玉…いや、弾になり、一斉に犬へとすごいスピードで向かっていく。
「キャウン」
犬が、弱々しい悲鳴をあげていた。
水の弾丸が、犬を攻撃していた。
やがて、犬がその水の弾から逃げまどうが、水の弾はそう簡単に逃がしてくれなかった。
犬は、逃げても仕方がないと悟ったのか、
「ワオーン」
と、吠えて、
「!?」
「ええっ!」
そのまま景色に同化するように、消えた。
「…え、えと、とりあえず、身の危険は回避できた…んだよね。なんか、状況がすごすぎてなにが起こったのか分からないんだけど…」
「多分、そう認識しても問題ないだろう…」
「本当、なんだったんだ?」
とりあえず、命が助かったことに一安心。
それにしても…。
「あの水、どこからでてきたんだろ…私を守ってくれたっぽいけど…」
二人の顔を見ると、風斗は分からないといった顔をし、水無月君は苦笑してなんか魔法みたいだったね、と言った。
「…まあ、考えても仕方がないだろ、ほら、帰るぞ」
「…うん」
なにかモヤモヤしたものをかかえながら、私たち、この日を終えた。