第5話 至高の一杯
50,000ポイント。
その数字は、俺に万能感にも似た高揚感をもたらした。発電機? 拠点作り? いくらでもできる。
だが、その浮ついた思考は、喉の奥からせり上がってくる強烈な渇きによって、即座に現実へと引き戻された。
「電気じゃ、喉は潤わない・・・」
現実逃避をやめ、現実に向き合う。
そうだ、まずは水だ。何をおいても、まず、水。
俺は画面をスクロールさせる。
「工作用品」「燃料」「資材」……道具や燃料は手に入る。だが、やはりスーパーで売っているような、そのまま口にできる食料品がない。
このギフトは「素材と道具」しか提供してくれないのか。
「くそっ、何か……何か代用できるものは……」
俺は藁にもすがる思いで、「液体」というカテゴリで商品を片っ端から表示させていった。オイル、接着剤……場違いな商品の羅列に、心が折れそうになる。
待てよ?
俺の視線が、ふと「塗料・溶剤」の関連商品で止まった。
ペンキの薄め液や、洗浄剤が並ぶコーナー。
その中に、見覚えのあるポリタンクがあった。
『工業用精製水(バッテリー補充液)』
『高純度精製水(洗浄用)』
俺は震える指で、商品詳細を開く。
重要なのは中身だ。添加物は? 洗浄成分は?
『成分:純水(H2O) 100%』
「ははは……」
再び、笑いが漏れた。今度は安堵の笑いだ。
飲料水としては売っていない。だが、化学的にはただの「水」だ。
不純物がなさすぎて味気ないだろうし、ミネラルもない。
だが、毒じゃない。
価格を見る。
『100 PT』
「……安ッ」
20リットルで100ポイント。今の俺の所持ポイントからすれば、タダ同然だ。
俺は迷わずカートに入れる。
だが、待てよ。20リットルのポリタンクだ。重さは20キロ。
そのままラッパ飲みするのは骨が折れるし、こぼしたらもったいない。
コップが必要だ。
俺は検索窓に「コップ」と入れるが、やはり「食器」コーナーはない。
くそ、手ですくって飲むか? いや、衛生的に避けたい。
俺は少し考え、塗料コーナーの関連商品を漁った。
あった。
『ステンレス計量カップ(500ml)』
塗料の調合や、園芸の薬剤希釈に使うやつだ。
頑丈だし、取っ手がついている。コップ代わりには十分すぎる。
ついでにこいつもカートに放り込む。
「ポチっとな……」
購入ボタンを押す。
合計、たったの数百ポイント。
目の前の空間が歪み、ドスン! と重い段ボール箱と、カラン、という軽い音が響いた。
俺は電工ナイフで箱をこじ開け、中に入っていた20リットルのポリタンクを引きずり出した。
キャップをねじ切るように開ける。
一緒に届いたステンレスの計量カップを手に取る。
ひんやりとした金属の感触が心地よい。
トクトクトク……。
静かな空間に、水が注がれる音が響く。透明な液体がカップを満たしていく。
「……いただきます」
俺は震える手でカップを持ち上げ、一気に煽った。
「…………っ、あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッッ!!!」
声にならない咆哮が漏れた。
味などない。
だが、身体中の細胞という細胞が、歓喜の声を上げるのがわかった。
乾ききった砂漠に、恵みの雨が降り注ぐように。ひび割れた大地を潤すように。
喉を通り、胃に落ちる冷たい感覚。
この世のどんな高級酒よりも、どんな極上のスープよりも美味い。
「……ぷはぁッ!」
500mlを一気に飲み干し、俺は大きく息を吐いた。
生き返った。
水がある。ポイントがある。
これだけあれば、ただ生き延びるためだけじゃない。もっと本格的なことができる。
恐怖はまだ身体にこびりついている。
だがそれ以上に、水を得て再起動した俺の脳内で、長年眠っていたDIY魂が轟々と燃え上がり始めていた。
まずは拠点作りだ。
この安全地帯を、俺だけの城(要塞)に変えてやる。
そう考えながらも手は動いており、二杯目の水が更に喉を潤す。
「…生き返る…」
腹の底から、力がみなぎってくる。
恐怖も、痛みも、この一杯の水の前では些細なことのように思えた。
俺はもう一度、計量カップに水を満たす。
二杯目をゆっくりと味わいながら、今後の計画を練り始めた。
水は確保した。ポイントは、まだ潤沢にある。
次は、食料だ。
俺は、腰袋から、あのミノタウロスが倒したブルータルボアの死骸から切り出しておいた、血塗れの肉塊を取り出した。
改めて見ると、グロテスクだ。
これを、食わねばならない。
だが、生では無理だ。
俺の品証部としての理性が、全力で警鐘を鳴らしている。
『未加熱の野生肉など、病原菌の塊だ。加熱殺菌は絶対条件である』
火だ。最低でも、火が必要だ。
俺はショッピング画面で「火」に関連するものを検索する。
『カセットコンロ』……便利だが、五徳が小さすぎて不安定だ。それに、この巨体の肉を焼くには火力が頼りない。
焚き火台を買うか? いや、もっと頑丈で、手元にあるものを活用できないか。
俺は、自分の「歩く要塞」と化した装備に目をやった。
背中の大盾、両手の円形盾……そして、左肩に装備した、L字型のスパイクシールド。
ザクの肩のアレに似ていると自嘲した、無骨な鉄塊だ。
「……これだ」
俺は、そのL字型の盾を指差した。
こいつを外し、地面に置けば……そのL字のくぼみが風を防ぎ、熱を反射する炉壁になる。
そして、表面に生えた無数の「スパイク(棘)」。
これが、肉や網を乗せるための「五徳」代わりになるじゃないか。
「採用」
俺は肩からその重い盾を外し、洞窟の壁際に、安定するように設置した。
見事な即席カマドの完成だ。
次に、燃料と火種を確保する。
ちまちまとライターで枝を燃やすなんて、まどろっこしいことはしない。俺にはポイントがある。
俺は検索窓に打ち込み、以下の商品をカートに入れた。
『木炭(3kg)』: 300 PT
『カセットボンベ(3本パック)』: 150 PT
『ステンレス焼き串(5本入)』: 200 PT
そして、着火具。
チャッカマン? 着火剤?
いや、湿気たダンジョンで確実に炭を熾すなら、これ一択だ。
俺は園芸・農業コーナーから、凶悪なフォルムの道具を選んだ。
『草焼きバーナー(カセットガス式)』: 1,200 PT
「ポチっとな」
光と共に、購入した品々が地面に現れる。
俺はまず、L字盾で作った即席カマドのくぼみに、炭を無造作に積み上げた。
次に、草焼きバーナーにカセットボンベを装着する。
プシューッ、というガスの流れる音。
ツマミを捻り、点火トリガーを引く。
ゴォッ!!
圧縮されたガスが、轟音と共に青白い炎となって噴出した。
最大火力1,300度。雑草を根こそぎ焼却するための火力だ。
俺はその文明の炎を、容赦なくカマドの中の炭に浴びせた。
「燃えろ、燃えろ……!」
炭がバチバチと爆ぜ、瞬く間に赤熱していく。
本来なら30分はかかる「火熾し」が、わずか数分で完了した。
バーナーを止めると、そこには美しいルビー色に輝く熾火が出来上がっていた。
じわりと、熱が放射される。
「……火だ……」
水を手に入れた時とは、また違う種類の感動が、俺の心を震わせた。
暗く、冷たい、この絶望的なダンジョンの中で、俺は自らの手で「火」という名の文明を取り戻したのだ。
揺らめく熱気が、冷え切った身体を温めてくれる。
それは、人間が人間であるための、最後の砦のように思えた。
俺は、赤く燃える炭火と、その隣に置かれた、まだ血に濡れたままのブルータルボアの肉塊を、交互に見つめた。
腹の虫が、期待を込めて、ぐぅ、と鳴った。
「さて……晩飯にするか」
俺はステンレスの串を手に取った。
最初の調理。
これが、俺の身体に新たな地獄をもたらすとも知らず、俺は肉に串を突き刺した。




