第4話 命の対価
息を切らしながら、ようやく見覚えのある壁の前にたどり着いた。ミノタウロスが去ってから、わずか数分の距離。しかし、今の俺にとっては永遠にも感じられる時間だった。
幻影の壁に手を突っ込む。あの奇妙な感触と共に身体を滑り込ませると、先ほどまでの死の気配が嘘のように薄れた。
「はぁ…はぁ…っ…」
壁に背を預け、その場にへたり込む。
安堵感からか、全身の力が抜けていく。
このだだっ広い空間。半日近くをここで過ごし、一周して戻ってきても、魔物一匹と出くわさなかった。確信はない。だが、ここは安全地帯だと信じたい。何せ、俺はたった一人なのだ。いずれは睡眠も取らなければならない。ここがダメなら、もうどこにも休まる場所はない。
違ったら、その時はその時だ。
ボアに吹き飛ばされた衝撃で痛む身体が、ズキズキと悲鳴を上げている。だが、アドレナリンが切れてきたのか、痺れていた右腕の感覚も少しずつ戻ってきた。痛みがあるということは、生きている証拠だ。
ゆっくりと呼吸を整えようとするが、喉が張り付いてうまく吸えない。
渇きだ。限界を超えている。
思考を巡らせる。ギフトの【異世界ショッピング】あれを使うにはポイントが必要だ。そして、ポイントをチャージする方法。おそらく、先ほど手に入れた、あの宝石のような石(仮称として魔石)が鍵になるはずだ。
あのボアの魔石が、俺の命を繋ぐか?
俺はリュックからビニール袋を取り出した。中には、まだ生温かい肉塊と、ずしりと重いテニスボール大の石。石はひんやりとしていて、薄暗いこの場所でも、内側から淡い紅蓮の光を放っているように見えた。
俺は石を手に握りしめ、覚悟を決めて念じる。
「ギフト、発動」
目の前に、半透明のウィンドウが浮かび上がる。見慣れたホームセンターのサイトだ。そして、いつもは灰色で押せなかった「所持ポイント」の欄が、微かに明滅していた。
どうすればいい? 石をウィンドウに近づけるのか?
そう思った瞬間、ウィンドウに新たなメッセージがポップアップした。
『Bランクモンスター:ブルータルボアの魔石(大)を検出しました』
『ポイントに変換しますか? YES / NO』
「Bランク!」
思わず掠れた声が漏れた。
Aが上でFが下だとすれば、真ん中より上じゃないか。俺はそんな化け物に追いかけられていたのか。そして、それを一撃で屠ったミノタウロスは、一体どれほどの強さなんだ。背筋に冷たい汗が流れる。
だが、今は目の前の選択が重要だ。
俺は心の中で、力強く「YES」と叫んだ。
すると、手にしていた魔石が、まばゆい紅蓮の光を放ち始めた。驚いて手放しそうになるのを必死でこらえる。石はゆっくりと光の粒子に分解され、まるで吸い込まれるように、目の前のウィンドウへと流れていった。
すべての光が吸収されると、ウィンドウの表示が切り替わる。
【所持ポイント: 50,000 PT】
「……ご…、ごまん…?」
桁を、二度見した。
ごひゃく、ではない。ごせん、でもない。ごまん。
ゼロが四つも並んでいる。
あの死ぬほどの恐怖の対価が、これか。
安すぎるのか、高すぎるのか、もはや相場も分からない。
だが、これだけは分かる。
買える。
俺の指が、勝手に動いた。
検索窓に文字を打ち込む。
さっき、通路で水音がした。あそこには水溜まりがあるはずだ。
なら、それをろ過すれば飲めるんじゃないか?
『浄水器』
そう打ち込んで、ふと指を止める。
……いや、あそこに戻るのか? あの化け物がいる場所に?
無理だ。自殺行為だ。
俺は文字を消し、代わりにもっと広いくくりで検索を実行した。
『非常用』
検索結果が表示される。
そのトップに、場違いなほど立派な、見覚えのある赤いボディが鎮座していた。
『インバーター発電機(静音型)』
「はは……」
乾いた笑いが出た。
非常用のくくりで、真っ先にこれが出るか。
しかもこれ、かなりいいやつだ。インバーター搭載で、PCや精密機器も使える。
DIY好きの血が騒ぐスペックだ。
まだ水も確保していないのに、こんなものを見てニヤリとしてしまう自分に、少しだけ心の余裕を感じた。
だが、それは後だ。
「電気じゃ、喉は潤わない・・・」




