表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
盾の間違った使い方~工具資材縛りの異世界ショッピングにてDIYで生き抜きます!ダンジョンボス部屋から始まるハードモード生活~  作者: KeyBow


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

3/13

第3話 ボアとミノタウロス

 幻影の壁を抜け、はっきりとした風の流れを頼りに通路を進む。


 足元は悪いが、湿り気を帯びた風が、俺の乾ききった身体に「この先に水がある」と告げている。

 数分ほど、歩いただろうか、足がもつれ、息が切れた。


「はぁっ、はぁっ、…くそ…」


 喉が焼き付くようだ。心臓が肋骨を内側から叩きつける。3年前に妻が先立ってからというもの、俺の生活は荒れに荒れた。酒量は増え、食事は不規則。気づけばかつて鍛えた身体はみる影もなく、醜い中年太りの典型が出来上がっていた。

 昔取った杵柄か、体力にはまだ年不相応の自信があったつもりだが、水という生命の源を断たれては、その自信も何の役にも立たない。容赦なく、確実に、俺の命は削られていく。

 その時だった。


 暗闇の奥から、微かな、しかし決定的な音が耳に届いた。

 ポチャン……ポチャン……。

 水滴が岩肌を打ち、水面に落ちる音だ。

 幻聴じゃない。

「水だ……!」

 希望に突き動かされ、俺がその音の方へと足を踏み出した、まさにその時だった。

 右手の方から、気配――いや、何かが動く重い音がした。

「……?」

 反射的に横を向く。

 そこには、すでに「死」があった。

「え……?」

 岩陰から現れたのではない。最初から、そこにいたのか。

 鼻先が触れそうなほどの至近距離。

 視界いっぱいに広がる、茶色い剛毛の壁と、血走った巨大な眼球。

 全長3メートルを超える巨大なボアが、俺の目の前にいた。

 思考が凍りつく。

 逃げる? 隠れる?

 そんな時間は存在しない。

 ボアの全身の筋肉が収縮し、弾丸のように解き放たれるのが、スローモーションのように見えた。

「う、わぁぁぁッ!?」

 俺にできたのは、悲鳴を上げながら、咄嗟に右側の盾を突き出すことだけだった。

 防御姿勢をとる暇すらない。

 ただ衝撃に備えて、身体を硬直させることしかできなかった。

 ドッゴォォン!!!

 トラックに正面衝突されたような衝撃。

 世界が反転した。

 俺の身体は、ボールのように後方へと弾き飛ばされていた。

「がぁッ!?」

 宙を舞う。

 だが、運が良かった。俺は背中から着地した。

 ズザザザザザザザァァァッ!!

 背負った大盾タワーシールドの表面は、鏡のように滑らかで、驚くほど硬かったらしい。

 大盾は地面との摩擦で火花を散らしながら、まるで「ソリ」のように滑走したのだ。

 凄まじい勢いで地面を滑り、そのまま数十メートル後退して、ようやく停止した。

「カハッ……! げほっ、げほっ!」

 肺の中の空気が強制的に排出され、激しく咳き込む。

 右肩が痺れて感覚がない。だが……生きている。

 普通なら全身骨折でミンチになっているところだ。

 この盾……ただの鉄板じゃない。

 だが、安堵する暇はなかった。

 霞む視界の先で、ボアが蹄で地面を蹴っている。

 トドメを刺すつもりだ。

「ヒッ……!」

 恐怖が、理性を焼き切った。

 戦う? 防御? 無理だ。次こそ死ぬ。

 俺は悲鳴を上げながら、無様に立ち上がった。

 両手に握りしめていたバックラー(小盾)が重い。邪魔だ。

「いらねぇ!!」

 俺は両手の盾を放り投げた。

 なりふり構っていられない。

 背中を向け、壁に見える通路から遠ざかるように、闇雲に走った。

「うわああああああ! いやだぁぁぁ!」

 50歳のおっさんが、涙と鼻水を垂れ流し、顔をぐしゃぐしゃにして絶叫する。

 死にたくない。死にたくない!

 妻と娘に会うために生き延びるんじゃなかったのか!?(墓前)

 こんな、豚の餌になるために来たんじゃない!

 だが、人間が野生の獣から逃げ切れるはずもなかった。

 背後から、暴風のような圧力が迫る。

 ドスッ!

 突き飛ばされたような衝撃。

 ボアの鼻先か、あるいは衝撃波か。俺の身体は再び宙を舞い、地面を転がった。

「あ、ぐっ……」

 無様に回転し、壁際へ向かって転がり落ちていく。

 視界がぐるぐると回る。

 受け身も取れず、身体を打ち付け――

 ガッ!

 唐突に、落下が止まった。

 地面に叩きつけられたのではない。

 身体が、宙ぶらりんになっていた。

「……え?」

 足の裏には、地面の感触がある。

 だが、視界は真っ暗だった。

 いや、違う。俺は壁際にあった浅い「溝」に落ちたのだ。

 そして、背負っていた大盾が、溝のふちに引っかかり、橋のように俺の身体を支えていた。

 俺の身体は溝の中にすっぽりと収まり、大盾がその上を「蓋」のように覆っている状態。

 完全な、遮蔽物。

 直後。

 ドッゴォォン!

 頭上の大盾に、鉄槌を振り下ろしたかのような衝撃が走った。

 ボアが、俺(盾)の上を踏み越えていったのだ。

 もしこの溝にはまっていなければ、俺は今頃、ボアの蹄の下で挽肉になっていただろう。

 震えが止まらない。

 だが、恐怖はこれで終わりではなかった。

『グォォオオオオオオオッ!!!』

 頭上の盾越しでも分かる、鼓膜を破るような重低音の咆哮。

 ボアのものではない。

 盾の隙間から、恐る恐る外を覗き見る。

 そこにいたのは、新たな絶望だった。

 牛の頭を持つ、筋骨隆々の巨人。

 ミノタウロス。

 手には丸太のような棍棒を持っている。

 ボアが子犬に見えるほどの巨体だ。

 ミノタウロスは、俺を見失って立ち止まったボアに対し、慈悲のない一撃を振り下ろした。

 ゴシャッ!

 生々しい破砕音。

 あれほど猛威を振るったボアの頭部が、熟したトマトのように潰れ、巨体が地面に沈んだ。

 一撃。たったの一撃だ。

「……ひッ」

 俺は声を押し殺し、溝の底で身を縮めた。

 見つかったら終わりだ。ボアを一撃で屠る怪物が、この「蓋」をめくるのは赤子の手をひねるより容易い。

 バリバリ、グチャッ。

 すぐ近くで、骨を噛み砕き、肉を引き裂く音が響き始めた。

 ミノタウロスは、ボアの死骸を貪り食っている。

 食物連鎖。ここは、俺が知っている「平和な日常」とは切り離された、野生の暴力の世界だ。

 どれほどの時間が経っただろうか。

 永遠にも思える恐怖の時間が過ぎ、やがて満足げなゲップと共に、重い足音が遠ざかっていった。

 足音が完全に聞こえなくなってから、さらに数分。

 俺は、泥と脂汗にまみれた顔で、溝から這い出した。

 大盾を押しのけると、ズシリと重い音がした。こいつが、俺を守ってくれたのか。

 目の前には、食い散らかされたボアの残骸。

 強烈な血の匂いに、胃液がせり上がってくる。

 だが、その時。俺の脳裏に、ある狂った考えが浮かんだ。

『肉だ』

 あれは、食料だ。

 猛獣の食べ残し(ハイエナ)。人としての尊厳を捨てる行為。

 だが、今の俺には「水」も「食料」もない。

 ここで手ぶらで帰れば、待っているのは確実な死だ。

 俺は震える手で、腰のベルトを探った。

 ホームセンターで買った、新品の「電工ナイフ」。

 電気ケーブルの被覆を剥くための、分厚く短い刃。

「……いただきます」

 誰に対する言葉か。ボアか、神か。

 俺はボアの残骸に駆け寄った。

 比較的きれいな胸のあたりの肉を、ナイフで切り取る。獣の皮は硬いが、電工ナイフの鋭い切れ味は、筋肉の繊維を断ち切ってくれた。

 血で手が滑る。匂いで吐き気がする。

 それでも俺は、ふた塊ほどの肉を切り取り、腰袋ウエストポーチに突っ込んだ。

 さらに肉を漁ろうとした時、ナイフの先が「カツン」と硬いものに当たった。

 骨ではない。もっと硬質な感触。

 肉の奥から指で穿り出すと、テニスボールほどの大きさの、赤黒く光る石が出てきた。

「……魔石、か?」

 異世界小説の知識が、それが価値あるものだと告げている。

 理由は分からないが、持っていけるものは何でも持っていく。それが貧乏性な俺の、唯一の生存戦略だ。

『ブモォ……』

 遠くで、再びボアのような鳴き声が聞こえた気がした。

 長居は無用だ。

 俺は魔石と肉を抱え、逃げるようにその場を離れた。

 目指すは、あの幻影の壁。

 来た道を、必死に戻る。

 やはり俺は、パニックになって壁とは逆方向へ逃げてしまっていたらしい。

 数十メートルほど戻ったところで、地面に転がる「鉄塊」を見つけた。

 俺が放り投げた、二枚のバックラーだ。

「……」

 俺は足を止めた。

 少しでも身軽になって逃げようとして、俺はこいつらを捨てた。

 自分の命を守るための道具を、自分の手で投げ捨てたのだ。

 品証部失格どころの話じゃない。生きる資格すら疑われる、浅ましい行為だ。

 だが……。

 俺は膝をつき、泥にまみれたバックラーを拾い上げた。

 ずしりと重い。

 だが、今の俺には、この重さが必要だ。

 こいつらは、俺の命綱だ。

「……二度と、離さねぇ」

 俺はバックラーの泥を払い、震える手で強く握りしめた。

 そして再び走り出す。

 今はただ、あの壁の向こうの、何もない空間に帰りたかった。

 この肉を食べるか、痛む体を横たえ、休むことしか考えられなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ