第22話 踊れる重戦車(タンク)と痛いおっさん
俺の手元には、7割ほ充電されている、バッテリーが2個しかない。
これで1.6mmの鉄板に、胸と脇の固定用として4つの穴を開ける。それがミッションだ。
唯一の救いは、先端につける「ビット(刃)」だけは良いものを選べたことだ。
消耗品であるドリル刃にはランク制限がなかった。
俺がセットしたのは、プロも使う『コバルトハイス鋼ドリル刃(ステンレス用)』。
道具(本体)が三流でも、刃が一流なら、理論上は鉄板に行けるはずだ。
問題は「切削油」だ。
専用のスプレーは500ポイントもする。
「……高いな」
俺は眉をひそめた。
この『異世界ショッピング』において、500ポイントは大金だ。
俺の体感レートで言えば、日本円にして5,000円から1万円の価値がある。
以前買った「種芋(男爵)」は、1個で10ポイントだった。
つまり、このスプレー缶一本で、種芋が50個も買える計算になる。
50個だぞ?
仮に栽培せず、そのまま非常食として食うとしてもだ。
毒消しのために皮を厚く剥いたり、少しでも怪しい部分を削ぎ落として、可食部が半分になったとしても……50個あれば、半月は食いつなげる量だ。
半月分の生存リソース(食料)と、数分で使い切るかもしれない「ただの油」。
その価値が等価だなんて、どう考えてもおかしい。足元を見すぎだ。
そこで俺は、昨日料理した「ホーンラビットのラード」で代用することにした。
油は油だ。潤滑できれば何でもいいはずだ。タダに勝るものはない。
「よし、コストダウン(CD)だ。チャレンジ!」
俺はラードを鉄板にたっぷりと塗りたくり、ドリルを押し当てた。
スイッチオン。
ガガガッ……ウィイイイイイィン……!
摩擦熱でラードが溶け、煙が上がる。順調だ。
そう思った、次の瞬間だった。
ボッ!!
目の前が真っ赤になった。
「うわあっ!?」
ドリルと鉄板の接触点から、激しい炎が噴き出したのだ。
動物性油脂の低い引火点が、摩擦熱を超えた瞬間だった。
熱風が顔を焼く。前髪がチリチリと音を立てて焦げる。
だが、俺が真っ先に守ろうとしたのは、自分の顔でも髪でもなかった。
「ドリルッ……!!」
俺は炎の中に手を突っ込み、ドリルをひっ掴んで引き剥がした。
髪なんてどうでもいい。また伸びる。
だが、このドリルは違う。
こいつのボディは安物のプラスチックだ。この程度の火力でも、炙られ続ければ変形し、最悪モーターが焼き切れる。
今の俺にとって、この工具は「替えの利かない相棒」なんだ。壊すわけにはいかない!
俺はドリルを安全圏に放り投げると、濡れタオルを鉄板に叩きつけ、必死に消火した。
ジューーーッ!
水蒸気と共に火は消えた。
俺は咳き込みながら、慌ててドリルを検分した。
表面は煤で真っ黒だが……変形はない。スイッチを入れると、弱々しくも回転した。
「……よかった、生きてる」
俺は心底安堵して、へなへなと座り込んだ。
ふと額に手をやると、チリチリになった前髪がパラパラと落ちてきた。
鏡を見なくてもわかる。今の俺は、漫画の爆発オチみたいな顔をしているはずだ。
だが、髪より道具だ。それが現場の鉄則だ。
「……とはいえ」
俺はため息をついた。
やはり、ラードではダメだ。リスクが高すぎる。次に引火したら、今度こそドリルが死ぬかもしれない。
俺は震える指でショッピング画面を開き、忌々しい『切削オイルスプレー』をカートに入れた。
種芋50個分。断腸の思いだが、必要経費だ。
気を取り直して、届いた高級オイル(500 PT)を吹き付ける。
今度は燃えない。だが、別の問題が浮き彫りになった。
ヒュイーン……と、情けない音がする。
「……遅いな」
回転数が足りないのだ。
オイルのおかげで滑りは良くなったが、肝心のドリルを回し続けるためのトルク(パワー)が、本体に決定的に足りていない。
刃が食い込む抵抗に、安物のモーターが負けている。
本来、ドリルでの穴あけは「押し付ける」ものではない。適切な回転数で、刃の切削力に任せるのが鉄則だ。
だが、この安物に、そんな正統派な使い方は通用しない。
もたもたしていれば、ただでさえ少ないバッテリーが無駄に減っていくだけだ。
「……やるしかねぇか」
俺は奥歯を噛み締め、ご法度である「体重プレス」を敢行した。
ドリルの尻に掌を当て、全体重を乗せて強引に押し込む。刃が逃げるのを防ぎ、無理やりねじ込む。
ギュウウウウウウ……!!
モーターが苦しげな唸り声を上げる。
負荷がかかるたびに、インジケーターのランプが点滅し、電気を大量消費しているのがわかる。
排気口から、焦げ臭い匂いが漂い始めた。
一個、貫通。
二個、貫通。
三個目……明らかに回転が落ちてきた。
7割あったはずの残量が、過負荷による発熱と消費であっという間に底をついたのだ。
すかさず、虎の子の予備バッテリー(最後の一個)に差し替える。
「あと残り半分……! もってくれ!」
俺は鬼の形相で、最後の力を振り絞り、ドリルを押し込んだ。
刃が鉄を噛む。回転が止まりそうになるのを、気合と体重でねじ込む。
グググ……ウィン……ウ……ィ……ン……。
最後の穴。
貫通する寸前、最も負荷がかかる瞬間で、バッテリーが息切れを始めた。
回転が死にかけ、刃がロックしそうになる。
「いけぇぇぇぇッ!!」
俺は叫びながら、渾身の力で押し込んだ。
ガッ、スン……。
貫通した。
そして同時に、ドリルは完全に沈黙した。
ギリギリだった。あとコンマ数秒遅ければ、刃が噛み込んだまま動かなくなっていただろう。
「はぁ……はぁ……危なかった……」
俺は煤けた顔の汗を拭い、チンチンに熱を持ったドリルを地面に置いた。
なんとか加工は終わった。
だが、これで手持ちの電力は完全にゼロだ。バッテリーは二つとも空っぽ。再入荷の予定もない。
発電機(30,000 PT)を買って充電できるようになるまで、この電動工具はただの文鎮だ。
だが今は、目の前の鎧を完成させるのが先だ。
俺は穴を開けた鉄板と、衝撃吸収材として切り出した5mm厚のゴムマットを重ね、鎖と革紐で縫い合わせるように縛り上げた。
ガシャン、ギュッ。
完成した。
鉄の硬度とゴムのクッション性を併せ持つ、俺だけの「複合装甲」だ。
装着してみる。ゴムが体にフィットし、着け心地も悪くない。
胸には鉄とゴムの積層板。脇腹にはジャラジャラと垂れ下がる鎖。
ずしりとした重みが、今までとは段違いの安心感を俺に与えてくれた。
「……動きはどうだ?」
俺は屈伸をし、体をひねってみる。
重い。確かに重いが、レベル10になった今の俺の筋力には、心地よい負荷でしかない。
足のプロテクターとの干渉もない。
ふと、魔が差した。
この重装備で、どこまで動けるのか。下半身の可動域とバランス感覚のテストだ。
俺は腕を組み、しゃがみ込んだ。
そして、右足を前に突き出す。次は左足。
自然と、口をついて出たのはあのリズムだ。
「テッ、テッテッ、テッテッ、テッテッ、テッテッ、テッテッ、テーン……」
コサックダンスだ。
脳内再生されるのは、懐かしきゲームボーイ版テトリスのBGM(TYPE-A)、ロシア民謡『コロブチカ』。
その軽快なリズムに合わせて、鉄板を胸に抱いた50歳のおっさんが、高速で足を交互に突き出している。
ヒョイ、ヒョイ、ヒョイ!
「……ははっ、いけるな」
誰も見ていない洞窟の中で、一人テトリスを踊りきり、俺はニヤリと笑った。
驚くほど体が軽い。体幹がブレない。
元の世界の俺なら、一発で腰をやっていただろう動きが、今の俺には準備運動レベルだ。
この重装備でも、機動力は死んでいない。
「……俺、50だけどまだまだ行けるんじゃない? もしかして、人生最大のモテ期が来てるとか?」
動きのキレが増すごとに、思考も軽やかに跳躍していく。
「ここを脱出して地上に戻ったら、運命の再婚相手が見つかったりしてな……ぐへへ」
誰もいないのをいいことに、俺はニヤニヤと妄想を膨らませた。
妻が逝って三年。三回忌も済ませた。そろそろ本気で再婚を考えていたのは事実だ。
このまま独りで年老いて、誰にも看取られずに死んでいくのが怖かった。孤独は、毒よりも人を蝕む。
俺は聖人君子じゃない。枯れるにはまだ早いと思っている。
あ、ちなみにあの女子高生はナシだ。未成年は犯罪だし、俺の守備範囲は大人の女性だ。
……なんてな。
ふと視線を落とせば、そこには先ほどのコサックダンスの余韻でプルプルと揺れる、立派な三段腹が鎮座していた。
レベルが上がって「動ける」ようにはなった。だが、それは「動けるデブ」になっただけで、痩せたわけではない。
イケてる再婚相手が見つかる云々の前に、まずはこの腹をなんとかしなければならないのが現実だ。
「……はぁ」
俺はヘルメットを被り直し、自嘲気味に息を吐いた。
いい歳して、何を浮かれているんだか。
今の俺は、身体能力の向上に気を良くして、「再婚相手が見つかったりして」なんて妄想している、ただの痛いオッサンでしかない。
「……さてと」
俺は邪念を振り払うように頬を叩いた。
そんな妄想をするのは、生きて帰って、ダイエットに成功してからの話だ。
まずは、今日を生き延びる。
総投資額、実験費込みで約15,000ポイント。
残高は減ったが、戦う準備は整った。
佐東柾、50歳。
踊れる重戦車。
いざ、実戦へ。




