第16話 解体と安全用品(プロテクター
拠点に戻った俺は、養生布団の上に転がり込み、枕に顔を押し付けて唸っていた。
「くそっ、くそ、くそ……ッ! 何でだよ……!」
恐怖と、情けなさが入り混じった嗚咽が漏れる。
たかがウサギだぞ? レベルも上がって、スキルもあって、それで死にかけたんだ。もしあの角が動脈を裂いていたら? もしヒールが間に合わなかったら?
震えが止まらない。
壁にぶち当たったり、理不尽な目に遭った時は、腹の底から叫んだり、誰かに毒吐きをすれば、多少はマシになると経験則で知っている。
元の世界では、カラオケで喉が枯れるまで熱唱したり、居酒屋で同僚に愚痴をこぼしたりして、心の均衡を保っていたものだ。
だが、今は一人だ。
だから、この枕に向かって、全てを吐き出す。
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ブブブ……。
ポケットの中で、スマートフォンのタイマーが振動する。
10分だ。
俺は大きく息を吐き出し、強制的に思考を切り替えた。
たった10分。この時間だけは弱音を吐いていいと決めていた。これで心をリセットする。
『ヒール』で肉体の傷は塞がった。だが、死の恐怖ですり減った精神までは、魔法じゃ回復しない。だからこその、意識的なクールダウンだ。
「……よし」
俺は上半身を起こし、両頬をパン!と叩いた。
いつまでも寝転がっているわけにはいかない。失った血液と体力を取り戻さなければ。
何をするにも、【食】が最優先だ。
俺は痛む足を引きずり、拠点の入り口付近――「作業エリア」と定めた場所へ移動した。
奥の「居住エリア(寝床)」からは十分な距離がある。衛生管理(5S)の基本は、清潔区域と汚染区域の明確なゾーニングだ。
俺は床に転がっているホーンラビットの死骸を見下ろした。
まだ温かい。
だが、ここで直接解体するのはNGだ。体液や血が床に広がれば、不衛生だし、掃除に貴重な水を使うことになる。
段取り八分。まずは環境構築だ。
俺はショッピング画面を開き、必要な資材をまとめて購入する。
『荷造り用ビニール紐(白・50m)』:20 PT
『万能工作ハサミ』:100 PT
『プラスチックタライ(60cm)』:150 PT
『業務用ポリ袋(透明・100L)』:50 PT
光と共に現れた資材を使い、即席の解体所を作る。
まず、タライに100リットルのポリ袋をすっぽりと被せる。これならタライ自体を汚さずに済むし、処理が終われば袋の口を縛って捨てるだけでいい。
「よし、始めるか」
俺は袋をセットしたタライの上で、ホーンラビットの腹にナイフを入れた。
元の世界で趣味の釣りをしていて、魚を捌いた経験が役立った。
内臓がずるりと袋の中に落ちる。
血生臭さに顔をしかめながらも、手際よく作業を進めた。体をまさぐると、心臓のあたりだろうか、ビー玉ほどの、本当に小さな魔石が指先に触れた。
スケルトンのものより、さらに小さい。
「……雑魚、か」
俺は自嘲気味に呟いた。
こんな小さな魔石しか持たない、紛れもない雑魚モンスターだ。
だが、そんな雑魚相手に、俺は死にかけたんだ。
なら、俺はそれ以下の『最弱』ってことじゃないか。
「……見た目に騙されるなってことだな」
可愛いウサギだろうが、ここは異世界だ。殺意を持って向かってくる以上、立派な脅威だ。
今回は勉強になった。高い授業料だったが、死ななかっただけマシだ。そう思うことにしよう。
内臓を取り出した後は、最重要工程である「血抜き」だ。
ボアの件で学習した通り、魔物の血には毒や麻痺成分が含まれている可能性が高い。肉に血が回る前に、徹底的に抜く必要がある。
俺は購入した紐でホーンラビットの後ろ足を縛った。
そして、壁際に立てかけていた大盾の上部に紐を引っ掛け、兎を逆さ吊りにする。
その真下に、先ほどのタライ(内臓入り)をセット。
首元にナイフで切り込みを入れると、どす黒い血がぽたぽたとタライの中へ滴り落ち始めた。完璧なシステムだ。
血が抜けるのを待つ間、俺は次の課題に取り掛かった。
「鎧」だ。
今回の負傷は、足を守る防具があれば防げたはずだ。盾だけでは死角からの攻撃や、回り込まれた時の対処に限界がある。特に、足元がお留守すぎた。
俺はショッピング画面で、鎧代わりになりそうなものを必死に探した。
当然、「武器」や「防具」のカテゴリはない。
ならば、それに近いものは……「スポーツ用品」か?
カテゴリを覗くと、野球のキャッチャー用プロテクターがあった。
だが、あれはボールの衝撃を吸収するためのスポンジの塊だ。鋭利な角や牙を防ぐ「鎧」としては、素材的に心許ない。剣道の防具も探したが、取り扱いはなかった。
と、その時。
商品リストの中に、あるアイテムを見つけて俺は固まった。
『軟式野球用 金属バット(84cm)』:1,200 PT
「……おい」
思わず突っ込んだ。
「なんだよ! 武器、あるじゃねぇか!!」
金属バット。立派な鈍器だ。これがあれば、リーチの短いナイフで戦う必要なんてなかった。初日にこれを見つけていれば、もっと楽に戦えていたかもしれない。
だが、俺はすぐに首を振った。
「……いや、もう遅い」
俺は既に『シールドバッシュ』を習得し、ステータスも装備も「盾特化」のスタイルで確立してしまっている。今さらバットに持ち替えても、スキルの恩恵は受けられないし、盾を捨てれば防御力が激減する。
それに所詮はアルミパイプだ。魔物の硬い骨や鎧を殴り続けたら、すぐに曲がってしまうだろう。
「俺の相棒は、この鉄板だ」
未練を断ち切り、俺は「安全用品」のカテゴリへと移動した。
ヘルメット、安全靴、分厚い手袋……。
そして、俺の目を引いたのは、草刈り機やチェーンソーを使う際に装着する、プロテクターの類だった。
『草刈り作業用 すねガード(左右セット)』:300 PT
『切創防止 太ももガード(左右セット)』:400 PT
これだ!
硬質プラスチックとナイロンでできた、いかにも頑丈そうな代物だ。
まさに、俺が負傷した箇所を守るための装備。ファンタジーの鉄の足甲ではないが、鋭利な角や牙を防ぐには十分な強度があるはずだ。
しかし、肝心の胴体を守る胸当てや、腕を守る防具は見当たらない。
「……まあ、ないよりはマシか」
一番無防備で、かつ機動力を削がれると致命的な「足」を重点的に守るだけでも、生存率は格段に上がるはずだ。
俺は、すねガードと太ももガードを迷わずポチった。合計700ポイント。命を守るための投資だと思えば、タダみたいなものだ。
光と共に、見慣れたオレンジや黒の配色の作業用品が現れる。
俺は早速それらを装着した。マジックテープとバックルで固定するタイプで、着脱は簡単だ。作業着の上から装着する。
立って歩いてみる。
カシュ、カシュ、と衣擦れの音がするが、重さは気にならない。
むしろ、足元が守られているという安心感が段違いだった。これで、ホーンラビット程度の奇襲なら、皮膚を貫かれることはないだろう。
「よし……」
俺は頷き、血抜きを終えた兎に向き直った。
紐を解き、皮を剥ぎ、肉を切り分ける。そして、いつものようにホワイトリカーに漬け込む。
新たな防具を身につけ、新たな食料を手に入れる。
俺は、この異世界で、少しずつ、しかし確実に、生存するための術を身につけつつあった。




