悲しい過去(3)
「さあ、息をして」
洞窟の中に作った簡易救護所で、シン・ホマレはシャロンの発作を抑えるべく、処置を始めていた。
ゲイルは苦しそうにもがいているシャロンの手を握っていた。
シャオとソウタが心配そうに遠巻きに眺めている。
そこへリクが呑気そうに水を補給しにきた。
シン・ホマレは鬼の形相でリクに詰め寄った。
「薬を渡しなー!」
「頼み方が随分荒くなったな」
水筒から水を飲もうとしたリクの顔面をシン・ホマレは肘で殴った。
膝を一度は地面に突くもすぐ立ち上がった。
「ようやくいかれてきたな」
鼻血を垂らしながらそう言ったリクに次は拳を打ち込んだ。
再び地面に膝をつくリクは、ホマレを見た。
「これで終わりかい?」
ハーフエルフの夫婦はすっかり怯え切っていた。
みんな唖然とその光景を眺めていた。
ホマレは何も言わず、リクから離れた。
リクは唇から血を指で拭うと昔の記憶が蘇ってきた。
「友達と一緒に仕事はやりにくいな」
リクはジャンヌとジャンヌの夫の三人で食事をしていた。
「奥さんとは知り合いです。会社の同僚でしてね、だから気が進まないです」
ジャンヌの夫は机に広げてあった資料を手に気になる箇所を指さしながらリクに質問を浴びせた。
「これにかかる費用は国が出資する?聞いたこともないんだが、これは裏の仕事なのか?」
「アッシュ、迷うなら手を出さないほうがいい」
リクは資料をしまおうとした。
「アッシュ、やるべきよこれはチャンスだわ」
ジャンヌは乗り気だ。
「どこの馬の骨とも知れない相手からの話だぞ?」
アッシュはごく当たり前の反応だ。
「お金を見せてあげて」
リクはジャンヌに言われ、トランクを机の下からそっとアッシュの方に渡した。
少し開けると中から札束が詰まっているのが見えた。
「偽ものでは?」
「疑うなら好きなだけ調べてくれ」
空気が少し重くなった。ジャンヌはそっぽを向いている。アッシュは苦悩に満ちた顔で下を向いた。
「君らとは止めておこう、俺は最初のサマトの出資者と組むことにする」
リクは立ち上がるとここの支払いは自分がすると言い、紙幣を数枚テーブルの上に置くと立ち去ろうとした。
「ではまた、週明けに会社で」
「ちょっと待ってくれ」
アッシュがリクを呼び止めた。
「ねえ、何が欲しい」
シンシアとサスケ・イッセイは海岸で議論していた。
ほしいものが手に入るなら何がいいかだ。
「クリームパイがいいな、ジャムもしっかり乗せて。君こそ妊娠中にほしいものはないのかい?すっぱいレモンとか」
シンシアは適当に応えた。
「私は芋羊羹が食べたい。お茶も煎じて欲しい」
「よし、わかった。必ず手に入れてやろう。もし手に入ったら洞窟に来てもらう」
シンシアとサスケ・イッセイは楽しそうに笑った。
「まずい!様子がおかしい!」
ゲイルが叫んだ。
シャロンは顔から汗を流し、過呼吸を起こしている。
シン・ホマレはこれは発作ではなく、心因性のものだと診断した。
「薬が切れたことが原因ね。大丈夫!私をしっかり見て、一緒に頑張るの。いい?」
それから何度も励ましながら落ち着いて呼吸を整えるよう指示を繰り返した。
シャロンは落ち着いてきた。
「パニックを起こさせないで、傍にいてやって」
ゲイルにそう言い残すとホマレは去った。
「すごいな、まるで天使だ。看護の天からの使い」
ソウタはシン・ホマレをそう評した。
「なあ薬がないとどうなる?」
ガルマはシン・ホマレと二人きりになるとシャロンはこれからどうなるのか訊いた。
「このままではまずい、だから取りに行く」
あいつのところにだ。
「いや俺がやろう、俺は軍にいたんだ」
「あなたは通信専門でしょう?」
「大丈夫、敵との通信の仕方も習った。人間だろうが魔族だろうがだ」
この男は何を言っているのだ?
「3分でいいから待っててくれ、彼は薬を渡すはずだ」
ホマレは悩んだがしぶしぶ了承した。
「船内にあった食料はもう尽きた」
ソウタとサスケ・イッセイは森の中を歩いていた。
「洞窟には非常用の食料の備蓄とかないのか?」
「芋羊羹どころか芋もない」
「何かないのか?君なら何とかしてくれると思ったのに」
ソウタはゆっくりと向き直った。表情が消えている。
「俺が何か隠しているとでもいいたのか」
「違う!だが君は大分時間が経つのに・・・」
「痩せないから何か隠し持っていると言いたいのか、食べ物はない!ベルトの穴も一つ締めた。それでもただでかいだけだ」
「すまない、言い方が悪かった、でも本当に・・・」
「無いものはない」
「悪かった」
洞窟ではライアスが生の魚を捌いていた。
慣れない作業であり、なかなかうまくいかなかった。
力加減が悪かったのか、内臓が飛び出しライアスの顔にかかった。
「ああ!くそ」
イライラしているところへシャオがきてライアスに声をかける。
「ねぇ、喘息の女性のことだけど」
「ああシャロンか、彼女が何か?」
「力になれると思う」
ガルマは海岸で寝ていたリクに声をかけると、殴りつけた。
シン・ホマレと二人がかりでリクを担ぎ上げると森の中に入った。
「何があったの?」
モナカ・パピコは心配そうに近づいてきた。
「リクが悪いんだ」
リクの顔に水をぶっかけると、リクは苦しそうに目を覚ました。
ガルマが仁王立ちでリクを見下げている。
「寝ているところだったのに卑怯なやつめ」
じっとシン・ホマレが見つめているのに気づくとリクは大事だと呟いた。
「チャンスは与えてきたつもりよ、薬を渡せば止める」
「何の話だ?」
シン・ホマレはガルマの方をみた。
ガルマは短剣で作った竹の櫛を削って見せた。
ホマレは渡した方がいいと諭すように言った。
「これを爪の間に通す」
「人を拷問したことなんかないくせに」
「・・・悪いがそれは認識違いだ」
ガルマはリクの後ろに回り込んだ。
激痛がリクの体を走る。苦痛で顔が歪んだ。
シン・ホマレは目の前の光景に吐き気を催した。
「何だよもう終わりか?だから戦争では負けた・・・ぐあぁあ!」
悲鳴が森の中で響いた。
シン・ホマレはその場を8の字に歩き回るほかなかった。
しばらく続いたが、薬を出す気はない。
「目玉をくりぬけば気も変わるだろう」
ガルマはナイフを突きつけた。
「分かった!降参だ!」
「薬はどこだ」
「彼女になら、パピコになら話す」
リクの脳裏に昔のことが蘇る。
「金を見ず知らずの他人に預けただと?どういうつもりだ?」
リクは涼しい顔でタバコに火をつけた。
スキンヘッドのオーナーはゴルフクラブを振りぬくと、そのままリクのあごの先に突き付けた。
「まるで俺に殺してくれと言っているようなものだぞ」
「大丈夫だ、もう決着はついている。女なんて一晩寝てやれば詐欺くらい協力する。だが夫には現金を自分の手で触らせないと、実感を持たせることが大事だ」
「ご教授はありがたいけどな、俺の金はどうしたんだ?自分で稼いだ金はないのか?」
「生活が派手なもんでね、ガッツリ稼いでガッツリ遊ばないと人生は短い」
オーナーはリクの態度にいら立ちを抑えながらゴルフクラブを下げた。
「俺は痛めつけるノウハウならある。明日の夕方までに3割の利子を付けて返さなければ教訓を教えることになる」
回想が終わるとモナカ・パピコがリクをじっと見つめていた。
「来たわよ、薬はあるの?」
「キスしてくれたらやる」
「は?本気?」
「森の中でヤブ医者と軍人に痛めつけられた、もちろん本気だ。キスを一つ惜しんで死人を出す気なのか?些細な事だろ」
モナカ・パピコは躊躇った。振り絞るように言った。
「わかった」
二人は見つめあい、キスをした。
「薬はない」
「ない?」
「初めからない」
「本は?」
「アレは別のところで拾った」
モナカ・パピコはリクに肘鉄を食らわせその場を足早に去った。
ガルマは洞窟に戻ると大急ぎで荷物を取りまとめた。
「どうしたんだその血」
「リクのだ」
ゲイルはついていこうとしたがシャロンの声がした
「独りにしないで」
ゲイルはガルマに申し訳なさそうにしたが、大きくうなずいてここに残れと言った。
ライアスがそこに帰ってきてシャオに木の枝を渡した。
「多分これだと思うのだが」
「ちょっとにおいをかがせて、そうこれよ」
シャオは嬉しそうだが突然後ろから怒鳴り声が響いた。
シャオの夫だ。
言葉はわからないが二人が密接しているので気に障ったのだろう。
シャオを詰問しはじめたが何も言わず受け取った木の枝を大事に持ち、水場の方へと向かった。
夫はライアスを睨みつけた。
「よせ、やめておけ。いいな」
それだけ言うとその場を去った。
夫はため息をついた。
「黙れ、動くな」
シン・ホマレはリクを地面に押し倒して怒りをあらわにした。
「英雄気取りめ、どんなことでも解決しようというのか、ホマレ言っておくがな、立場が逆なら俺はなにも言わない」
リクの脳裏に過去が蘇る。
「それではビジネスパートナーさん、あとで会おう」
リビングでジャンヌの夫から出資金を受け取ると、トランクを閉めた。
「金は必ず戻るんだな」
「ええ、倍に」
ジャンヌは夫をいさめた。
「彼はお金を預けただけよ、なのにまだ疑うなんて」
「賢い奥さんだ、逃がさないようにな」
そこへ子どもが眠たそうな顔でリビングに入ってきた。
「あら起きてきたの?」
リクは子どもと目が合うと、胸がつぶれる思いがした。
血の気がどんどん引いていた。
「やめよう、中止だ」
「どうしたの急に」
「何言ってる、苦労してやっと金をかき集めた」
「手を放すんだ」
「どういうことだ」
「話が違うじゃない、言ったでしょう」
「言ったでしょうとは何だ?」
リクは家から這う這うの体で逃げ出した。
リクは目を覚ますと自分が手当てを受けた後だということに気が付いた。
「運がよかったわね」
モナカ・パピコはリクの横に腰かけた。手には便箋を持っている。
「ホマレは?」
「シャロンのところに行っている。悪いけどあなたの手紙を読んだわ、なぜあなたが理由も聞かずゲイルを殴ったのかをね。わざと憎まれ役になろうとしているしか思えない」
リクは天を仰ぎため息をついた。
「便箋に貼られているこの切手、アーリア国建国300周年記念切手。これが発行されたとき、あなたはまだ子どもだったはず、リクという名は偽名ね」
リクは重い口を開いた。
「詐欺の魔物だ、リクは奴の名前。金のために母親と寝て、家庭崩壊させた。俺は手紙を書いてやつに報復すると誓った。だが20歳の時、最悪なことになった。ヤバい奴に借金ができた。それでお人よしの金持ち夫婦に擦り寄って金を巻き上げた」
モナカ・パピコは辛そうな顔でリクの話を聞いていた。
「地獄だ、俺は自分が憎んでいる魔物に、リクになってしまった。だが哀れに思うなよ」
リクはモナカ・パピコの手から手紙を奪い取ると消え失せろと怒鳴りつけた。
ゆっくり立ち上がると今の話は信じられるのかと自分に問いかけながら、パピコは海岸をとぼとぼと歩いた。
「いや奇跡が起こったんだよ!彼女が何かを塗ると症状が一気に落ち着いた」
ゲイルが嬉しそうにホマレを連れてシャノンのところに来た。
シャオが処置を施している。
ホマレは匂いをかぐとすぐその正体を見抜いた。
「そうか、この手があったのね、気づくべきだったわ。ありがとう」
シャオにお礼を言うと嬉しそうに笑った。しかしその様子を夫に見られていることに気づくとすぐに表情が曇った。
ゲイルはシャノンが楽になり心底嬉しそうだ。
海岸ではサスケ・イッセイがシンシアと共用の洗濯物を道具袋しまいこんでいた。
「何をするの?」
「洞窟に引っ越すんだ」
「え?ということは羊羹があったの?嬉しい!」
「言っておくけど、練りタイプだ。小倉ではない」
包み紙を開くと、甘い香りがした。申し訳程度に黒い欠片がこびりついている。芋は欠片すら見当たらない。
「ないよ」
「ない?違う、これを味わえばお茶が飲みたくなる」
サスケ・イッセイは指で包み紙の表面をこそぎ落とすと口に含んだ。
シンシアも真似をした。
「今まで食べた中で最高」
モナカ・パピコは海をぼーっと眺めていた。
ガルマが目の前を通りかかったので声をかけると、彼はここを出ていくと告げた。
「やめて、森の中には何が潜んでいるかわからない、危険よ」
「俺の中にはそれ以上の魔物がいる、今日の拷問の件だ。俺は止めると誓っていたんだ、だが守れなかった。だからもうここにはいられない」
「それでどうする気なの?」
「この周辺の地図を作ろうと思う。まずは海岸線を歩く、俺はこの仕事をやり遂げるのに適任だ」
この人は本当にここを去る気だとモナカ・パピコは悟った。寂しそうな表情をするパピコにガルマは言った。
「また会おう」
握手を交わすとガルマは去った。