エピローグ
翌日、街は祭りの余熱をわずかに残したまま、穏やかな朝を迎えていた。
あれだけ鮮烈だった魔香木の香りは、広場からほとんど消えてしまっている。
けれどラフェリアには、まだその香りが胸に蘇るように感じられた。
甘くもあり、神秘的でもあり、何より夢のように感じた匂い……今はもう薄らいでいるのに、不思議と心が温かくなる。
「私が、初めて街のためにやり遂げた仕事…… 忘れられない思い出になりました」
ラフェリアは広場に佇み、ちょうど片付けを終えたばかりの木箱を見つめながら、そう呟く。
まだ僅かに残っている木くずの匂いを鼻先で感じ取ると、昨日の華やかな実演の情景が瞼の裏に映り、思わず微笑んでしまう。
「ライン殿があの素材を運んでくれなかったら、私……本当にどうしていたんだろう……」
その名を思い浮かべるだけで、胸がほのかに熱くなる。
街を救うような実力と知略を持ちながら、決して自分を誇示しようとしない、不思議な助言者――ライン。
彼がいなければ、伯爵の陰謀によって、昨日の催しは台無しになっていたはずだ。
事実、領主も「この恩は返しきれぬほどだ」と言っていたし、ラフェリア自身も言葉にならないほど感謝している。
なのに……彼はまた姿を見せていない。
「ちゃんとお礼を伝えたいのに……どこに行ってしまったのかしら」
ラフェリアは小さく息をつく。
いつもの書店にも足を運んでみたが、そこでも姿はなく、店主に尋ねても「さあ、今日は見ないねぇ」と言われてしまった。
他の場所に彼がいるかもしれないと考え、街の通りを探して歩いてみたが、見当たらない。
まるで風のように、街の陰に溶け込んで消えてしまう――そんな存在なのだろうか。
ラフェリアはその事実にわずかに寂しさを覚える一方で、思わず頬が熱くなるのを感じる。
彼を想うたび、胸がじんわりと温まる。それが何の感情なのか……自分でも答えを出せずにいるが、「今すぐにでも会いたい」と願っているのだけは間違いない。
昨日の彼の微笑みが頭に浮かぶ。
静かで、あえて感情を露わにしないように見えるのに、なぜか優しさが伝わってくる。
表に立つことを拒むあの姿勢――だが、あれほど多くを助ける実力と行動力を持つ。
どうしてそんな生き方をしているのか、ラフェリアにはまだ分からない。
「うん……ちゃんとお礼を伝えて、何か恩返しをしたい」
そう思っても、きっとラインは「そんな必要ないですよ」と笑って却下するかもしれない。
案の定、彼は“報酬”だの“栄誉”だのを望むタイプではなさそうだし、そもそも目的が他にあるのかもしれない。
――だけど、ラフェリアは胸をぎゅっと押さえ、「それでも……私に何かできることがあれば……」と強く思う。
彼が何も求めないのなら、余計に報いたい。
彼はこの街を救ってくれた恩人で、しかも……考えると顔が熱くなるが……ラフェリアの心を深く揺さぶる存在になりつつある。
「ライン殿は何も望まないだろう。でも私は――」
今朝まで強く残っていた魔香木の香りは、もうほとんど風に流されてしまった。
それでもラフェリアの記憶の中では、昨日の祭りとともにその芳しい匂いが生き続けている。
あの日、ラインが運んできてくれた魔香木の香りは、彼女にとっては生涯忘れられない“奇跡”の象徴になった。
街は今日も穏やかに動き始めている。展示会の片付けをする人々が楽しそうに会話し、あちこちで次の取引が芽生えているのを感じる。
「ありがとう、ライン殿。
私を救ってくれて、私に新しい道を見せてくれて……」
胸の奥がほんのりと熱を帯び、愛しさにも似た切なさが込み上げる。
薄明るい空を見上げ、ラフェリアはそっと目を閉じる。
――消えかけた魔香木の香りを、いつまでも素敵な思い出として抱きしめながら、彼の姿をまた探しに行きたいと思うのだった。
次に、ライン殿と話せる機会があれば――
「ちゃんと恩返しがしたい。きっと彼は望まないだろうけれど、私は絶対に……」
そう胸中で誓いながら、ラフェリアは微笑んだ。
一旦ここで完結扱いとさせていただきます。
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妹の仇を討つため、底辺クラスの俺が“存在上書き”で貴族支配の学園を蹂躙する
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