相談
雨上がりの静かな午後。街の一角にある、小さな書店の奥。薄いランプの光が差し込むだけの狭い空間で、ラフェリア・ヴェルデッティは佇んでいた。
先日から胸を苛む不安と焦り――魔香木の準備が思うようにいかず、展示会がこのまま失敗するかもしれないという恐れが、どうしても頭を離れない。そんな追いつめられた気持ちの中、彼女は迷った末に足を運んでいた。
「ライン殿なら、何か知恵を貸してくれるかも」
――それが、僅かな希望だった。
「すみません……ライン殿、いらっしゃいますか?」
書店の主人に尋ねると、主人は「奥の机のところにいるよ」と軽く肩をすくめながら答えた。
ラフェリアは少し緊張しながら奥へ進む。そこでは、地味な外見の青年が分厚い魔力理論書を開き、落ち着いた面持ちでページを捲っている。彼が“ライン”――以前一度顔を合わせた助言者と呼ばれる存在だ。
小さく息を整え、ラフェリアは声をかけた。
「あの……ライン殿。お忙しいところ、失礼いたします」
すると、ラインは目を上げ、書物から視線を離す。
「ラフェリア様……ご機嫌よう。こんな場所でお会いするとは、何かありましたか?」
曇りのない目と淡々とした口調。だが、その声にはどこか優しい響きが混ざっているように思える。ラフェリアは息を詰めて、胸のうちに秘めていた不安を切り出す。
「実は……私たちが催そうとしている展示会の件で、行き詰まっています。隣国との交流を盛大に行うはずが、魔香木という特別な素材が集まらず、父も私も困り果てているのです。普通の交渉や準備では、どうしても足りなくて……。もう時間がないというのに、妙にすべてが噛み合わなくて……」
その声は震えていた。戸惑いから来る悔しさと、どうにもならない焦り。ラフェリアは顔を伏せ、必死に言葉を繋ぐ。
「どうすればいいか……私は本当に何もわからなくて……私の提案で始めた催しなのに、失敗しそうで……」
ラインは少し机を挟んで姿勢を正し、静かに彼女の顔を見つめた。
「つまり、魔香木の調達が難航しているんですね。期日が迫る中で、普通の対応が通じない……まるで誰かが意図的に買い占めたり、邪魔をしているかのように感じませんか?」
その言葉にラフェリアは瞳を見開く。
「やはり……そういう可能性があるのでしょうか。私の父もラシェット伯爵にはめられたのではと疑っていますが、証拠がなく、取り締まれません。公式に動いても出し抜かれるばかりで……」
ラインは書物をそっと閉じて立ち上がる。まるで待っていたかのように身支度を整え、ラフェリアの前に向き直る。
「では、お話を詳しくお聞かせください。魔香木について、どの商人と話し、どのルートで運搬を手配しているのか……何か手がかりがあるはずです」
ラフェリアは「はい……!」と少しほっとした声を出し、鞄から書類を取り出す。
「父が商人たちと交わしたメモ、運搬計画書、あとは……契約書の一部抜粋もあります。私、もう何が何だかわからなくて……」
この書店の狭い机にはすぐに並びきらないほどの紙束が出されるが、ラインは気圧されることなく手に取って冷静に目を通し始める。
「なるほど、価格の吊り上げが行われているようですね」
ラインは淡々と言う。
「通常ならこの量を集めてもさほど苦労しないはずなのに、各地で“在庫切れ”や“不作”が言い訳に使われている。さらに、護衛を名乗る者が運搬を遅らせていると……」
ラフェリアは頷く。
「ええ、ジークハインという戦士が“道を迂回しろ”と指示したり、衛兵が翻弄されている。無視して強行しようにも、何か危険があると脅かされるし……」
ラインはあまり表情を動かさないが、その指先は紙を弾くように軽く揺れる。
「契約書も問題ですね。素材が期日内に到着しなければ、領主様側の責任で違約金が発生する。相手はスウェルド帝国からの職人を連れてくると言いつつ、素材がなければ何もできないと……全て領主様のせいになる」
ラフェリアは目を伏せ、「はい、それです……。お父様も最初は少しおかしいと思ったみたいですが、問題なく素材が入手できると思っていたので……。それに伯爵が“これはあくまで万が一の備え”と仰るので、真に受けてしまったのでしょう」と唇を噛む。
しかし、ラインはわずかに微笑む。
「大丈夫ですよ。状況は分かりました。つまり、魔香木を確保する手段が普通の商取引では封じられている。そこが最大の問題ですね」
そして彼は即座に紙を束ね、「ここに載っている商人と交渉しても拉致が明かないなら、別のルートを探るしかありません。あるいは、運搬路を妨害されないように先回りして手を打つことも重要でしょう」
ラフェリアは「そんな、できるでしょうか」と半信半疑。
ラインは手早く書類をまとめ直し、机に載せる。
「私にも考えがあるので、少し時間をください。すぐに動き出します。街にはいくつか影の取引ルートも存在するし、護衛を逆手に取る術もあるかもしれない。
ラフェリア様には日々の業務がありますから、無理に動かず、日常通り、領主様のお力添えをしていてください」
ラフェリアはその言葉に目を潤ませ、「ありがとうございます。本当に、こんなに素早く状況を理解してくださるなんて……私、どうにも孤立感を覚えていたんです。父と頑張っても、何かに妨害されていて。みんなが何を信じていいか分からなくて……」
ラインは穏やかに微笑み、「私の役目は、こうした情報を集めて整理することですから。焦らずとも大丈夫ですよ。最終的にこの展示会を成功させる方法は、必ずあるはずです」
そう言いながら、既に彼はすでに万全の準備を整えていた。素材の買い占めを、裏からどう崩すか。ジークハインの警備工作をどう看破するか。契約条項を踏まえて、ぎりぎりの段階で逆転できる流れを……。
ラフェリアはその落ち着いた様子を見て、胸の奥が温かくなる。こんなにも的確に事態を把握し、短い時間で方針を示してくれる人がいる――それだけで、絶望しか見えなかった景色が僅かに明るんでくるような気がした。
ラインは書店の主人を横目に「では、ここでずっと話しているのも何ですから、一度私に預からせてください。書店主に場所を借りて恐縮ですが、この紙の写しを取っておきます。私の方でも手を打ってみます。必ずや当日までに打開策を見つけてみせましょう」
ラフェリアは「お願いいたします」と深く頭を下げる。
「私は父にも報告します。ライン殿が協力してくださると知れば、父も心強く思うはずです。まだご無理をお願いする形になるかもしれませんが……どうか、街のためにお力添えを」
「ええ、街を守るのは私だけの役目ではありませんが、知恵を出すことは喜んで引き受けますよ。レイヴンクロウ隊にも協力を仰げるかもしれませんし、何よりラフェリア様がここまで頑張っているなら、私が黙って見過ごす理由はないでしょう」
その言葉に、ラフェリアは一段と安堵の笑みを浮かべる。緊張で強張っていた表情が、ようやく柔らかさを取り戻してきた。
「ありがとうございます、本当に……。これで私も、もう少し頑張れそうです。父に相談しますね」
ラインは「焦りは禁物ですよ」と穏やかに促す。
「私もすぐ動きますが、あくまで冷静に。問題が大きいほど、落ち着いた対処が必要になりますから。必ず、良い方向へ行きます」
ラフェリアは最後に、胸に手を当て「はい……!」と微笑み、書店を後にした。
その背中は先ほどまでの不安とは打って変わって、一筋の希望を宿している。まるで、彼女の歩く道が少しだけ光を取り戻したかのよう。
(やっぱり、ライン殿に相談してみてよかった……)
去り際の足音が消えると、ラインは机に散らばった紙束を整え、軽く息をつく。
「向こうから来てくれたか。うん、いい傾向だ」
そう呟いて、彼は静かに書店の主人に会釈し、店を出ていったーー




