決意
ラフェリアは、夕暮れ色の窓辺に腰掛けていた。かつて自室から外を見つめるしかなかった頃、その景色は薄暗く、息苦しい牢獄のように感じられた。今は違う。けれど、胸の奥にはまだ、過去の閉ざされた日々の面影がこびりついている。屋敷の回廊を静かに歩くときも、ふとした瞬間に自分が数年前の“外に出られない娘”のままのような錯覚を覚える。あの頃、彼女の世界は屋敷の壁の内側だけで成立していた。父である領主の過剰な心配が原因だったが、外には危険が多いと聞かされ、それが当たり前だと信じようと努めていた。
外へ出たい、町を歩きたい、という渇望はしかし、彼女の心の奥底で小さな火を灯し続けていた。自身の特異体質が原因で自分が狙われる恐れがあると父は言った。ラフェリアはその言葉に従順に従ったが、窓から見えた街並みが陽光に輝く様子を見るたびに、心がちくりと痛んだものだ。自分だけが知らない外の世界、それでも街の人々は日常を営み、笑顔で暮らしている。その景色がとても遠く感じられ、孤独と憧れが入り交じった複雑な感情を抱き続けていた。
ところが、最近になってラフェリアを狙っていた組織が鎮圧され、脅威が去ったと判断された。ラフェリアはようやく、父の許可をもらって町へ足を運ぶことができるようになった。最初は緊張と期待が胸を占めていたが、一歩外へ踏み出してみると、街は想像以上に生き生きと躍動していた。石畳の音、露店の呼び声、風に乗って運ばれる香ばしいパンの匂い……屋敷の静謐とはまるで違う雑多な空気を、彼女は新鮮な喜びとともに感じ取った。周りの人々は温かく声をかけてくれる者も多く、「ラフェリア様が街に出てこられるなんて」と驚く者もいた。外を歩けるだけで、こんなにも視界が広がるのか、と胸を高鳴らせたのを今でも鮮明に覚えている。
街の人と触れ合う中で、ラフェリアは初めて“領主の娘”という立場を自覚した。というのも、何か困りごとがあると店主や行商人が「領主様にお願いしたいことが……」と話してくるのだ。以前なら父に取り次ぐだけで自分には関係ないと思っていたが、いざ直接街の声を聞くと、それがどこか身近な感情として響いてきた。屋敷に閉じこもっていた頃には想像できなかったが、人々は日々の暮らしを維持するために苦労し、小さな困難を乗り越えて生きているらしい。彼女の心には、「私に何かできることはないだろうか」という思いが芽生え、それが日を追うごとに大きくなっていった。
そんな折、ラフェリアはレイヴンクロウ隊の活躍を耳にする。ラフェリアが外出できるきっかけにもなった組織の壊滅や、魔獣騒動で一番活躍したAランクパーティーだ。彼らは領主からの信頼も厚く、困難な事件を幾度となく解決してきた。第三者からあらためてその噂を聞いたラフェリアは、胸が熱くなるのを感じていた。屋敷の中で一度は顔を合わせたことがあるが、具体的な会話はしていない。でもその名が持つ響き――“レイヴンクロウ隊”――はまるで眩しい星のようだった。街の平和を守り、危機を打開する姿に憧れを抱かずにはいられない。
(私にもあんな風に、誰かのために役立てる力があったら……)
外へ出られるようになった今、ラフェリアは急に世界が広がったようで、いろいろな場所へ行っては市民の声を聞き、時に城下町の商人とも言葉を交わすようになった。見れば見るほど、昔の窓の外に広がる“ぼんやりした景色”は、実は豊かな色彩と香りに満ち溢れていたのだと実感する。楽しそうに雑談する若者、果物の値段交渉をする主婦、旅の途中で立ち寄った行商人が教えてくれる異国の話……すべてが、彼女に「こんなにも世の中には刺激があるのか」という新鮮な驚きを与えてくれる。
人々と触れ合う中で、ラフェリアは次第に「もっとこの町を、良い方向に導きたい」という意欲を膨らませるようになった。街にはまだ改善すべき点がたくさんある。遠くの隣国との連携で商機が生まれれば、市民の暮らしが豊かになり、笑顔が増えると彼女は信じた。そんな思いが募り、具体的に行動したいと考え始めた。そのきっかけが今回の「隣国との文化交流」構想だったわけだ。父がそれを後押しし、隣国のラシェット伯爵が協力してくれるなら、間違いなく街の人々は喜ぶはず、とラフェリアは純粋に思った。
しかし、この数日、魔香木の件で周囲から「揃わない」「価格が高騰している」など暗い報告が増え始め、彼女の胸には不安が忍び寄る。外に出られるようになった矢先、まさか自分の提案が失敗に終わるのではないかと考えると、夜も眠れないほど心がざわつく。もしかすると、レイヴンクロウ隊のように華々しい成功を遂げるには、あまりにも自分は未熟なのかもしれない。このまま物事が崩れていくのを見ているしかないのだろうか……そんな悲観的な思考が頭をよぎる。
(でも、何としてでも成功させたい。街の人たちが喜んでくれる様子を見たい。私が外へ出ることを許されるようになったのは偶然じゃなく、この町を良くするための必然だと信じたい)
夜ごとにそう自分を奮い立たせ、資料を読み込もうとするが、専門的なことはよくわからない。父も最善を尽くしているが、魔香木の買い占めや運搬妨害らしき噂が重なり、普通の手段では対応しきれない状況が見え隠れしている。
レイヴンクロウ隊のような勇敢な行動を自分がとれれば、と思わずにはいられない。「魔獣相手に戦う」とまでは望まないまでも、彼らが街を守る様子や不正を阻止した話を聞くと、胸が熱くなるのだ。いつか自分も、人々に頼られ、愛され、笑顔をもたらす存在になりたい。だが現実は、展示会一つまともに進められず、素材不足で躓いている段階。自分はまだ何者にもなれていない、と痛感させられる。
どうしたらいいのだろう――
ラフェリアはこの問いを抱えながら、屋敷の庭をぼんやり歩いてみても答えは見つからない。誰かに相談したいが、父も忙しそうで、家臣たちも「領主にお任せを」と繰り返すばかり。
そういえば、少し前に一度会ったあの“助言者”――あの人なら何か策を知っているのではないか、という思いも頭をかすめる。人助けをしながらも報酬や地位を求めない不思議な人だった。
胸の中でわき起こる様々な感情を抱え、ラフェリアは立ち止まる。以前なら家の中でじっと耐え、何も行動しなかったかもしれない。けれど今は違う。自分が歩いて、見て、考えて、時には他者を頼ることで、街を変えたいと心から願っている。魔香木の問題が解決できれば、展示会はきっと素晴らしい成果をもたらすはずだ。
レイヴンクロウ隊のように、人々を救う勇気ある行動は自分には難しいかもしれないが、せめて笑顔を守るために奮闘する意思は失いたくない。それが領主の娘として、そして一人の市民としてもできる務めではないか――そう考えると、少しだけ背筋が伸びる思いがする。
だからこそ、迷いもある。
「こんな時、もし誰か力強く導いてくれる人がいれば……」と願ってしまう自分を情けなく感じる。だが、自分の提案で始まった企画なのに、問題が起こるたび手をこまねいていては、レイヴンクロウ隊に憧れる資格などない。
窓の外から聞こえてくる人々の喧騒は、いつも以上に遠く、どこか不安げに響く。
ラフェリアは自室の窓を開け、夜気を吸い込みながら小さく決意を固める。街のためになりたい、その初めての大きな挑戦を、そう簡単に諦めたくはない。
「うん。やっぱりライン殿に相談してみよう……!」
そんなささやかな望みを胸に、ラフェリアは深く息を吸い、目を閉じる。
夜は静かに更けていくが、彼女の思いは決して消え去らない。外の世界を知り、街の人の幸せを願うからこそ、自分にもできることがあると信じたい。それが今の彼女を奮い立たせる、唯一の光だった。




