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求知

 路地裏の薄暗い倉庫部屋、粗末な机と椅子しかない簡素な空間に、ラインは黙って腰掛けていた。

 その手には重たそうな魔力理論の本があり、表紙には複雑な紋様が刻まれている。

 彼はページをめくり、難しそうな文字列を追うが、時折眉間に皺を寄せ、机をトントンと指で叩く。


 「……やっぱり、この程度じゃ無理だな」

 ラインがボソリと吐き出したその言葉に、シャルロットが壁際で腕を組んだまま首を傾げる。

 「何が?」

 彼女は相変わらず涼やかな目つきで、軽妙な口調を保っている。


 「先日、ミレイユが確保してくれた科学資料を解析しようと思ってるんだ」

 ラインは顎を引いて、紙面を指先で叩くような仕草をする。

 「だが、この本じゃ肝心な部分が抜けてる。魔力理論の基礎は書いてあるが、僕が欲しいのはもっと特殊な魔力工学や化学的応用のノウハウだ。ここにはない」


 ミレイユはフードの下から静かな目を上げて、「つまり、一般的な魔力理論書じゃ足りないのね」と低く呟く。

 その声は落ち着いているが、ラインが難儀しているのを見て、ほんのわずかに憂いを帯びているように見える。


 「足りないどころか、肝心なところがさっぱりだ」

 ラインは息を吐き、もう一度机をトントンと指先で叩く。

 「オルグリアには『アルヴァリエ学院』があるだろう?そこには国内最大の図書館が備わってて、普段見ないような魔力工学や錬金理論の原典が揃ってるって噂を聞いたことがある」


 「アルヴァリエ学院ね。確かに聞いたことあるわ。魔力関係の深い専門知識を学べる名門で、図書館には魔力研究や化学的応用の貴重な資料が山ほど眠ってるって」

 シャルロットは肩をすくめ、「でも、あそこは基本的に15歳から通う生徒を対象にしてる場所でしょ?18のあなたが今さら入るのは難しいんじゃない?」


 ミレイユがわずかに目を伏せ、「ラインが通うイメージは正直湧かないわね」と小さく息をつく。


 「だよな……」

 ラインは苦い笑みのような表情を浮かべ、本を閉じる。

 「年齢的にも、立場的にも、学生として入り込むのは難しい。なにより僕の実力じゃ入学基準を満たせるかすら怪しい」


 シャルロットは気楽な口調で、「あなたのような“武力ゼロ”の冒険者がわざわざ学院で正式な課程なんて受ける必要あるの?」と問いかける。

 ラインは首を軽く振る。

 「必要性はある。裏で動くにも特殊な知識が不可欠だ。なによりミレイユが取ってくれた資料を活かすには、もっと踏み込んだ理論が欲しい。『アルヴァリエ学院』ならそんな特殊文献があるはずなんだがな……」


 ミレイユはフードの奥でわずかに目元を細め、何か言いたげだが黙ったままだ。

 彼女の取ってきた資料を最大限活用できない現状に、少し申し訳なさそうな空気が漂う。


 シャルロットは苦笑する。

 「困ったわね、じゃあ他に方法考える?こっそり潜るとか?……なんて冗談よ。アルヴァリエ学院の警備はかなり厳しいと聞くし、学園側も普通じゃない者を受け入れないでしょう」


 ラインは顎に手を当て、「ま、焦っても仕方ない。現状の知識でも、最低限は動けるが、それだと僕が望むレベルまで達しない。それに、今は大事件もない。人脈を広げながら、別の手段を探るしかないな」


 ミレイユはフードの下でわずかに頬を膨らませ、「あなたって、何でも裏から進めるくせに、こういうところで正攻法に拘るのね」と小声で呟く。

 その仕草が何故か愛らしく、シャルロットがクスリと笑った。


 「そりゃ裏から侵入するわけにもいかないだろ。相手が闇の組織ならともかく、天下のアルヴァリエ学院だからな」

 ラインは淡々と言い放ち、机を再びトントンと指で叩く。

 「とにかく、学園は無理だ。通えないものは仕方ない。別のルートで必要な知識を得る方法を考えよう。専門家に近づくか、他の街で資料を探すか、いくらでも手はあるはずだ」


 シャルロットは納得したように肩を揺らし、ミレイユは黙って頷くが、その瞳には期待が混ざっている。

 ラインがあらゆる手段で難局を乗り越えていくのを信じているからこその沈黙だ。


 「じゃあ、僕はもう少し資料や伝聞を当たってみる。ミレイユ、シャルロット、また何か手がかりがあれば頼む」

 ラインは立ち上がり、埃を軽く払った後、扉のほうへ歩き出す。


 ミレイユはフードを少し押し上げ、「わかった、私も聞き込みくらいはできるわ」と静かに応える。

 その声音は低く、だが力強い。シャルロットも「任せてちょうだい。面白そうだし」と微笑み返す。


 こうして、三人は再び小さな行動を開始する。

 学園の門は閉ざされているし、領主邸へ顔を出す選択肢も捨てたラインはまた影の中を進む道を選び、ミレイユとシャルロットはその背中を見送る。


 人々が行き交う外の通りから微かな笑い声が届く中、彼らはまた、小さな一歩を踏み出したのだった。

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