エピローグ
日の光が穏やかに差し込むオルグリアの一角で、ミレイユとシャルロットが粗末なテーブルを囲んでいた。
周囲には人の気配が薄く、二人の声だけが微かに響く。
この小さな隠れ家が、裏で暗躍した事件の名残を宿した静かな舞台だ。
シャルロットは茶色い髪を揺らし、指先でカップを回しながら軽く笑う。
「レイヴンクロウ隊、やったわね。領主の娘ラフェリアを無事救出して、パーティーの名誉は完全に回復したわ。
魔獣の氾濫も封じ込めて、街には安堵の空気が戻ってるみたい。
領主はパーティーへの信頼を高めたし、街の噂じゃ彼らは英雄扱いよ」
ミレイユは黙って頷く。
心に宿る複雑な感情を整えるように、深呼吸してから問いかけるような眼差しをシャルロットに送る。
「そう……騎士団や冒険者たちもうまくまとまったってことね。
あれだけ大規模な魔獣騒動でも致命的な被害を抑えられたのは、ラインが表で的確な指示を出したからかしら」
シャルロットは微笑を浮かべ、肩をすくめる。
「ええ、ラインはパーティーを通じて他の冒険者を説得し、騎士団と連携させた。
経路を絞って魔獣を誘導し、被害を最小限に抑える作戦が見事に決まった。
で、途中で無理言ってレイヴンクロウ隊を別行動させたことで領主の娘も無事救われたし、
あのパーティーは不正事件の汚名を完全に返上したわ。
でも……それ以上に興味深いことがあるの」
ミレイユは首を傾げる。
「なに?」
シャルロットはニヤリと笑い、懐から一枚のメモを取り出した。
「ヴァランのラボは、ラインが最後に焼き払ったんですって。
あれほど高度な施設が、跡形もないほど灰に。
技術資料や研究道具はすべて闇に消えた。
結果的に手元に残ったのは、あなたが持ち帰ったあの資料だけ」
ミレイユは目を瞬かせる。
「私を助ける際の陽動のためだけにラボを燃やしたの?
あれだけ資料を欲していたのに、それを失うリスクをとったのね……」
胸が僅かに温かくなる。
あれほど苦労した任務が、無駄ではなかった。
いや、そればかりか極めて重要な意味を持つことになった。
シャルロットはテーブルに身を乗り出し、声を低める。
「それだけじゃないわ。
ラインがあなたを助けに行く時、珍しくあなたのこと言っていたの」
ミレイユはドキリとする。
「……何を言ってたの?」
シャルロットはからかうような笑みを浮かべながら、真剣な眼差しに変える。
「“Aランクパーティーや領主との繋がり、貴重な資料……そんなものより、ミレイユのほうが大事だ” ってね。
まさか、あのラインがそこまでストレートに言うとは思わなかったわ。
しかも、あなたを助けに行く際に使った魔道具類、あれ使い捨てで高価なやつばかり。
普通は惜しむけど、彼、惜しみなく使ってた」
胸が熱くなる。
ミレイユは息を飲み、目を伏せる。
「……本当に?」
シャルロットはうん、と頷き、少し柔らかい表情になる。
「まぁ、本人はあなたに直接伝える気はないでしょうけどね。
私が小耳にはさんだだけ。
でも、あれ以上ないくらい本気だったわ。
大事なパーティーとの繋がりとか、未来を左右する資料より、あなたの存在を優先していた。
それは間違い無いわよ」
ミレイユは瞳を潤ませ、静かに息を吐く。
これまで、ラインは特別な言葉をかけてくれるわけではなかった。
ただ「無理はするな」と、冷静に言うだけの存在。
その一言がときに歯がゆく、距離を感じさせもした。
なのに、最後の最後で彼はあの暗いラボへ飛び込み、彼女のために闇の資料を捨てても惜しまず、貴重な魔道具まで使い捨ててくれた。
その行為には、計略屋という冷めたイメージを塗り替える、確かな温もりがあった。
(私、こんなにも大切にされているんだ……)
その思いが胸を満たすたび、頬を伝う涙が一筋、静かに落ちる。
ミレイユは拭わずに微笑んだ。
まるで、これまで抱えていた不安や嫉妬が、朝露のように陽射しで蒸発していくような感覚。
どこか甘く、こそばゆくて、心の底から嬉しい。
彼が命をかけるほど、彼女は尊い存在なのだと行動で示してくれた。
考えれば考えるほど、胸の奥が熱くなる。
ラインの不器用な優しさが、彼女の中で静かに芽生えつつあった思いを、確かな形に変えようとしているかのようだ。
「これで、もう悩むことはないでしょ?」
シャルロットの言葉は、柔らかな皮肉を帯びているけれど、ミレイユへの愛情が感じられる。
彼女は満足げに目を細め、カップに軽く唇をつける。
ミレイユはその言葉を受けとめて、小さく笑い返した。
「そうね……もう十分わかったわ」
朝の光が窓辺からやわらかく差し込み、二人の影を柔らかく床に落とす。
その金色の輝きが、ミレイユの横顔をさらに柔和に映し出している。
彼女はここまで全てを陰で支え、成果を掴んだ自分を見下ろして、心の底から安らぎを感じていた。
裏で命がけで動き、命を懸けて助けてくれた彼がいる――その事実は、単なる価値の承認以上のものだ。
胸を満たす、かすかなときめき。
彼の淡白な言葉の裏に潜む本心を知るにつれ、彼に対する思いが暖かく、甘く膨らむ。
もう、彼女は孤独ではない。
彼女の頑張りを見届け、必要とし、大切に思う人がいる。
その人のためにも、彼女はもっと強くなり、もっと自信を持とうと思える。
この瞬間、ミレイユは初めて心の底から安らぎを感じた。
微笑む唇にほのかな甘さが宿り、彼への淡い想いが、光の中で静かに芽吹いていく――そんな、柔らかで優しい未来を思わせる朝だった。




