【番外編2】 麻痺
ある日の昼下がり、僕は別邸のリビングのソファで本を読んでいた。
すると2階から、誰かが階段を降りてくる音がした。
この別邸には僕とラフィナしか住んでないから、彼女の足音だった。
リビングに現れたラフィナが、僕を見つけて声をかける。
「何を熱心に読んでいるの?」
そう言いながら僕に近付いてきた彼女は、本のタイトルを見て顔をしかめさせた。
そして少し青ざめながら僕に聞く。
「……人体についての医学書? 私、とうとうバラされるの?」
「え? どういうこと?」
不思議がっている僕の隣にラフィナが座った。
そしてジッと僕を見ながら神妙な顔をして告げた。
「クライヴが私の血を飲む時に、ちょっとだけ、いつか食べられるんじゃないかなー? って思ってるんだよね」
思ってもみなかった回答に、面白くなった僕はちょっと揶揄ってみた。
「え? 食べていいの?」
「……まぁ、しょうがないかなーって。嫌なら血を飲みだした時に拒絶してるよ」
ラフィナがクスクス笑い出した。
僕は目を見開いて彼女を見た。
「…………食べる気はないけど」
「それは良かった……なんでそんなに驚いてるの?」
「僕のこと、すごく愛してくれてるなって。だって、その気持ちを突き詰めると、僕のためなら死んでもいいって思ってるってことだろ?」
「…………」
ラフィナが驚いてピタッと停止した。
そしてみるみる顔を赤くして、バツの悪そうな顔をしながら言った。
「……まぁ、そういうことになるよね」
俯いたラフィナを僕は笑いながら抱きしめた。
腕の中から彼女の声がモゴモゴ聞こえる。
「……それで、医学書なんて読んで、どうしたの??」
「んー? ラフィナの血を吸う時に、噛むとどうしても痛いだろ? ラフィナは平気な顔をしてくれてるけど、我慢してるんだよね?」
「……うん、まぁ……」
相変わらずモゴモゴ言いながら、ラフィナが答えた。
僕はそんな彼女をギュッと抱きしめ直して、笑い声をあげて揶揄う。
「どれだけ僕のことが好きなの?」
腕の中のラフィナが顔を上げて僕を睨む。
「……だって」
その様子が可愛すぎて思わずキスをする。
しばらくしてから体を離して、ラフィナの右手を掬い上げるように取った。
「その痛みが何とかマシにならないかなと思って。麻痺の魔法で」
「……麻痺?」
「うん。麻痺させると動かなくなる分、痛みも感じにくくなるんだって。医者の知り合いから何となく聞いたことがあってさ」
「そうなんだ」
ラフィナが納得してるような返事をしながら、きょとんとしていた。
深く考えていない時のラフィナだった。
僕は苦笑を浮かべながら続けた。
「魔法ってイメージの世界だから、体の構造を頭に入れてたんだ。あとは練習するしかないから、ラフィナの手に麻痺の魔法をかけてみていい?」
「いいよ」
ラフィナがニコッと笑った。
少しの迷いもない彼女の様子に、また笑みがこぼれる。
信頼されてるなぁって。
呪文を唱えると、ラフィナの手を握っている僕の手のひらがホワッと光った。
温かい感覚のあとにすぐに光が無くなった。
僕はそっと彼女の手を離した。
だらんとラフィナの手が下に落ちる。
「あー、右手が動かないよ」
「どこまで動かせない?」
「えーっと、肘は動くね」
ラフィナが右手の肘を動かして見せると、右手がブラブラ揺れた。
その揺れている右手を掴み彼女に尋ねる。
「今からは手を見ないで僕を見ててくれる? 僕が掴んでるのは感じる?」
「……薄っすら?」
「これは?」
僕は握っている親指の爪を立てて、少し食い込ませてみた。
「……手の甲に何か当たってるなぁって感じかな?」
「うん。いい感じだ。あとは範囲をもうちょっと狭めたいよね」
僕はラフィナの手を握る力を緩めて、魔法を解除する呪文を唱えた。
ラフィナが右手を見つめながら、開いたり閉じたりした。
きちんと動くことを確認すると、首をかしげながら僕に聞いてくる。
「狭めたいってどのくらい?」
「指先だけにしたいんだよね。手が動かないと不便だろ?」
「そうだねぇ……じゃあどうぞ」
ラフィナが右手を差し出してきた。
僕は反射的に指を咥えようと口を開けた。
驚いたラフィナが手を引っ込める。
「違うよっ。魔法の練習するんでしょ?」
「あ、ごめん……」
僕は顔を赤くして照れた。
ラフィナがクスクス笑い出す。
危ない。
本当に何も考えずに動いてしまった……
「次はちゃんと練習するから、手を貸して」
僕は手を差し出した。
「フフッ。もちろんいいよ」
楽しそうに笑うラフィナが、手を重ねる。
そうして何度か練習をすると、僕は指先だけに麻痺の魔法をかけれるようになった。
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今日も夕食のあとにラフィナに歌声を披露してもらった。
歌うための部屋のソファに座り、彼女の歌声をじっくりと聞き入る。
心地の良いラフィナの歌声に心が喜ぶ。
けれどその高鳴りは、次第に欲情の熱を帯びた物に変わっていく。
セイレーンの血を引く、彼女の歌声の力だ。
歌い終わって満足そうな笑みを浮かべたラフィナが、僕の元に歩み寄る。
そして立ったまま、僕の目の前に右手を差し出した。
「はい。麻痺の魔法を先にかけてね」
僕は彼女の手をとり、恭しく甲にキスを落とした。
「……うん。今日も素敵な歌声をありがとう」
ラフィナに酔っている僕は、うっとりした笑みを浮かべながら呪文を唱えた。
彼女と繋いでいる手が光に包まれ、僕は眩しくて目を細める。
その光も次第に弱まり、やがて消えるとラフィナが騒ぎ始めた。
「……あれ?右手だけじゃなくて、左手も動かないよ!?」
「それは大変だ」
「わわっ」
僕はラフィナを抱き上げて、寝室に直行した。
大人しく抱っこされとくしかないラフィナが「なんか、上半身? が麻痺してるっぽいんだけど!?」
と一生懸命、僕に訴えてくる。
不安そうな彼女を寝室のベッドに優しく下ろして座らせてあげると、僕はラフィナの顔をジッと見つめて打ち明けた。
「実は……忘れてたんだ」
「何を?」
「……ラフィナの歌を聞いた後だと、僕の欲望が強くなってしまうことを……」
「え? どういうこと!? わぁ!」
動揺しまくっているラフィナを押し倒す。
「か、解除! 麻痺の魔法を解除して!」
「…………?」
思考の大部分を熱に支配されている僕は、ラフィナの言い分なんか聞かずに彼女を求め始めた。
「ちょっと! まだ理性が残ってるでしょ!? 分からないフリなんかしないで!!」
動く足をバタバタさせて、ラフィナが叫んだ。
僕は彼女の脱ぎかけの服を引っ張りながら、クルンと反転させる。
白い背中を僕に向けたラフィナが、必死に振り返りながら尋ねてきた。
「っ欲望って何!?」
「……肩に噛みつきたい」
「!?」
「本当は首筋がいいけど、大量出血させたら悪いし……」
「だからって上半身全部に麻痺をかけないでよ! てか、やっぱり意識残ってるー!!」
「もう無くすから大丈夫」
「何が大丈夫なの??」
「あとは……たまには最中に血を飲みたい」
「!?」
「……ラフィナ、よく聞いて。僕が夢中になって飲み過ぎたら、殴ってでも止めるんだ」
「うつ伏せで、手が動かないんですけど!?」
「……フフッ」
僕は意地悪な笑みを浮かべて、うっとりとラフィナを見た。
彼女は青ざめながら叫ぶ。
「騙されたー!!」
僕はラフィナを背中から抱き込みながら『これを機に、僕を信用しすぎないほうがいいよ』と心の中で意地悪く思い、笑みを深めた。