【後編】人には言えない2人だけの秘密と楽しみ。地上に舞い堕ちた歌姫のラフィナ
2階に上がった僕は、なんとかラフィナを見つけた。
どこかの部屋に入ろうとしている彼女の後ろ姿を、視界の端で捉えることが出来た。
すぐさま駆け寄り、閉まりかけているドアをガシッと掴んだ。
動かなくなったドアに驚いたラフィナが、反射的に振り返る。
「あ、ワインの魔法使いさんだ」
初めて会った時とは違い、目をキラキラさせてニッコリ笑う、生命力あふれる彼女がいた。
その姿は咲き誇った美しい花のようだった。
惑わされたままの僕は、頬を赤くし荒い息をつきながら、ただ彼女を見つめた。
そんな僕を、楽しそうに目を細めながらラフィナも見返している。
その弧を描いた唇から、ゆっくりと言葉が紡がれた。
「物珍しい人もいるもんだね。わざわざここに来るなんて。しかも興奮をかなり押さえて……」
彼女が僕の開かれたシャツの胸元を見て、ツツツと上から下に指でなぞった。
そして最後にその指で押された。
ラフィナが僕をやんわり部屋から押し出そうとしている。
フラッとよろけながら一歩部屋の外に出てしまった僕は、慌てて彼女の手をつかんだ。
「……ハァ……まだ話があるから……煽らないで」
惑わされている僕が熱っぽい視線を向けてラフィナに一歩近付くと、彼女は目を丸めて一歩下がった。
それから握っていた手を引き抜くように離された。
……だいぶ警戒されている。
欲情の熱に支配される思考の中を、彼女を怯えさせたくない僕とメチャクチャにしたい僕がせめぎあう。
気を抜けば意識が飛びそうな中、そうさせないためにラフィナの顔を熱心に見つめた。
少し怖がっている彼女が窺うように、僕を上目遣いで見る。
「……な、何?」
「ラフィナの歌にすごく感動したんだ! 甘くて美しい歌声は、まるで天から降り注ぐ賛美歌のようだった。ラフィナの歌声で空気が震えると、僕の心も震わされてーー」
「待って待って! そんな、ワインみたいに細かく感想言わないで」
ブワッと真っ赤になり首を左右に振るラフィナが続ける。
「熱心に見てたのは、あなただったのね……」
そして困ったように眉を下げて僕を見た。
そんな彼女に意を決して伝えた。
「……毎日歌ってくれないか?」
「!?」
「僕のためだけに」
「……フフッ。なんて素敵な雇用条件なんだろう」
ラフィナが満面の笑みを浮かべた。
その幸せそうな笑顔は、彼女の柔らかい雰囲気にとても似合っていた。
ラフィナが僕に一歩近付く。
「それを伝えにわざわざ来てくれたの? いろいろ我慢してまで」
「……ラフィナもパーティに合流すると思ってたから……相手は君がよくて」
僕は正直に伝えた。
本能的に伸ばしてしまった手を、震えながらおろして俯いた。
この部屋は彼女の自室だった。
ラフィナはパーティには参加せずに、この部屋で休む気だったのだ。
みんなを惑わせた彼女は……いたって正気だから。
ラフィナが嬉しそうにはにかむ。
「じゃあ、相手をしてあげようかな」
彼女はそう言うと、さっきおろした僕の手を取って部屋の奥へと案内してくれた。
僕は誘われるがままに彼女についていく。
寝室に入ると、ラフィナが振り返ってイタズラっぽく笑った。
「感謝してよね。私はよっぽど気に入った人しか相手しないんだから」
「……それは光栄だね」
そう返事した時にはもう、僕はラフィナを抱きしめていた。
僕たちはなだれ込むようにベッドに倒れると、荒々しくキスをした。
彼女に覆い被さり、夢中で貪る。
ラフィナの吐息の合間に小さな声が聞こえた。
「……っいた」
僕は顔を離して彼女の様子を確認した。
勢い余って僕の尖った犬歯で、ラフィナの唇に傷をつけてしまったようだ。
「あ、ごめん」
ジワっと彼女の上唇に血が滲む。
「このくらい、大丈夫だよ」
ラフィナが穏やかに目を細めると、僕の頭の後ろに両手を伸ばし、抱きしめるようにして引き寄せた。
再び唇を重ねる。
…………
その時に偶然知ってしまった。
ラフィナの血の味をーー
突然、口の中に広がった得体の知れない甘美な味に、驚きながらも味わっていると、ラフィナが腕の中でバタバタし始めた。
朦朧とした意識が少しだけラフィナに戻る。
「ひょっと、やめへ」
よく聞くと彼女が抗議していた。
慌てて顔を離すと、ラフィナが眉をひそめて怒っている。
「そんなに吸ったら、唇が腫れちゃうよ」
そう言われて彼女の唇に目がいった。
さっきの傷にジワっと赤い血が滲みだしてきた所だった。
ラフィナの血?
あのすごく美味しかったのは、血??
僕はその傷をペロっと舐めた。
「ひゃあ」
ラフィナが驚いた声を上げる。
やっぱり、この味だ……
もう理性を保つのが限界な僕は、必死に説明した。
「……ラフィナの血が……すごく美味しくって……ハァ……」
「血!? ……あなたは吸血鬼なの?」
「そんなっ、ことは……ない」
「喋りながら器用に脱がすね」
「……いただきます」
「って、ちょっと待って! どういうこと!?」
僕は本能のおもむくままに、ラフィナの白い肩に噛み付いた。
あくまで犬歯を突き立てるために。
「いったあ!! ……吸血鬼がいるー!!」
ラフィナが楽しそうに笑っていた。
その笑い声の中に、優しい音色のような言葉が混じる。
「まぁ、美味しいものは美味しいもんね」
…………
確かに美味しものには、美味しいとしか言い様がないのかもしれない……
僕は彼女の全てを味わうことに夢中になる頭の片隅で、そんなことを思っていた。
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夢から意識が戻ってきた僕が目を覚ますと、辺りはもう明るくなっていた。
仰向けになっていた僕は、別邸のベッドの上だどいうことに気付く。
同時に、隣から視線を向けられていることにも気付いた。
そちらに顔を向けると、横向きで僕に抱きついているラフィナと目が合った。
彼女は僕より早く目が覚めており、しばらくジッと僕を見つめていたようだ。
ラフィナは嬉しそうに笑いながら言った。
「どんな夢を見ていたの?」
「……僕たちが出会った時の夢かな」
僕も横を向いてラフィナと向き合った。
彼女のトロンとしたエメラルドの瞳に僕が映り込む。
何かを思い出したラフィナが、楽しそうにクスクス笑う。
「初めての時はビックリしたねー」
「どれに?」
ビックリしたことが沢山ありすぎて、ラフィナが何をさしているのか分からなかった。
「私の歌の感想を言ってくる人なんていなかったから……みんな、歌を聞いたあとは情事に夢中になるもんね」
苦笑するラフィナが続けた。
「あんなに熱心に褒めてもらえて、本当は嬉しかったんだ。言葉にするのも素敵なことなんだね。ありがとう」
はにかみながら、彼女は僕の唇にキスをした。
そんな可愛いラフィナについ笑みがこぼれる。
「僕もビックリしたんだよね」
「?? 何に?」
「ラフィナが僕の名前を知らないままだったことに」
僕が意地悪な笑みを浮かべて言うと、ラフィナが眉をひそめて口を尖らした。
「それは……私たち、きちんとした自己紹介をしてなかったから……」
「でも、連れ帰ってから1週間後ぐらいにやっと聞いてきたよね?」
「名前なんか知らなくても、困らなかったもーん」
不貞腐れた彼女が、クルリと体を回して僕に背中を向けた。
僕は笑い声をあげながら、後ろから彼女を抱き込む。
大人しく腕の中に収まったラフィナが、不平をこぼすのが聞こえた。
「クライヴって案外根に持つよね。歌に酔い始めた時に名前を聞けば良かった」
「アハハッ。そうだね。その時はラフィナの血が飲みたくてたまらないから、聞かれたことをいちいち覚えられないし」
僕はギュッと抱きしめる力を強めた。
コロコロ笑ったラフィナの体が揺れる。
「フフフッ。血を美味しそうに飲み出したのもビックリしたなぁ。変わった人だなって」
今思うと、それだけで済ませて、すんなり受け入れたラフィナも変わっていると思う。
僕はそのことは言わず、別の理由を挙げた。
「ラフィナの血が他の人とは違うんだと思う」
「本当?」
ラフィナが振り向いて肩越しに僕を見た。
「多分ね。他の人の血の味なんて知らないけど」
「じゃあ、私の血を誰かに飲んでもらって確認する?」
「ダメ。他の奴がもしこの味の虜になったら困るから。それなら僕が変わった人のままでいい」
僕が大真面目に宣言すると、ラフィナがきょとんとした後に大笑いした。
僕は肘をついて体を少し起こし、揺れている彼女の肩を掴んで僕の方に引き寄せた。
コロンと仰向けに転がったラフィナが、僕を見上げた。
相変わらず笑いながら。
僕はそんな彼女を静かにさせるかのように、キスをして口を塞いだ。
ラフィナは僕と出会って、一緒に暮らすようになって、いつも幸せそうだった。
僕の振る舞う料理やお酒に毎日舌鼓を打ち、大好きな歌も毎日歌える。
そんな幸せを与えてあげられているのが、たまらなく嬉しい。
そして僕も、ラフィナからたくさんの幸せを貰っていた。
毎日夢中になれる味と人に出会えて、僕の心は今、最高に満たされている。
禁忌に手を伸ばし、人には言えない秘密を抱えて見事にはまっていく。
このどこまでも堕ちていく感覚は、何事にも代えがたい。
ーー僕たちはもう、ここから抜け出せそうにもない。