【番外編18】 願い
サイラスの店で歌った後、ラフィナはどうするか時間をかけてよく考えた。
セイレーンの力を全て失う可能性もあったからだ。
僕たちはよく話し合い、最後にラフィナは普通に歌えることを望んだ。
それからリックに方法を詳しく教えてもらい、彼の力も借りて、僕らは望みを無事に叶えた。
………………
ーーそれから2年後。
ラフィナはシルバーに光り輝くシンプルなドレスを身にまとい、小さな湖の真ん中に立っていた。
辺りは薄暗くなっており、ランプの朧げな揺れる光だけが彼女を照らす。
スカートが裾にかけて深い紺色のグラデーションになっているそのドレスは、丈が長く湖についてしまっていた。
そのため紺色と暗い湖の色が同化して境目が無くなる。
実は、湖の上に立っているように見せるために、ラフィナの足元の水中には台が設けられていた。
彼女は3センチぐらいの水位の場所に立っているだけだ。
けれどその姿は、今まさに湖から出て来たようにも見えた。
今日は演出家のジャンと組んでの、湖での幻想的なコンサートの当日。
街から離れた場所で行われるにも関わらず、湖の周りの観客席は満員だ。
みんな歌が始まるのを今か今かと待ちわびている。
僕はラフィナの真正面にあたる、少し高くなった特等席に座っていた。
歌う前のラフィナが僕に向かって、ニッコリほほ笑みかける。
彼女はもう、僕が見つめていても照れずに歌えるようになっていた。
僕がほほ笑み返すと、ラフィナは安心したように目を閉じて大きく息を吸う。
静まり返る観客。
ラフィナの「はぁ」という息づかいが、耳元で聞こえたような気さえした。
ラフィナの背後の水辺には楽団が控えており、彼女に合わせて演奏を開始した。
彼らはラフィナの歌声に惚れ込み、どこでコンサートを開こうとも快くついてきてくれた。
ラフィナもそのことにとても感謝しており、演奏を聞きながら幸せそうに笑顔を浮かべて瞳を開く。
そして声を発した。
彼女の歌声が空間を支配する。
楽団たちにも負けないその声量は、聞いている者の耳に心地よく歌いかける。
ラフィナの歌声の音階に合わせて、水面に波紋が広がり始めた。
演出家のジャンが作った仕組みだ。
彼女の歌に合わせて、表情を変える水面。
同調している波紋が、時には激しくぶつかり合う。
湖も歌っているようだ。
伸びやかに歌い上げる歌姫は、夜空に向かって落ちそうな星を受け止めようと、手のひらを掲げる。
彼女の歌声に酔いしれた星たちが歓声の瞬きをあげた。
どこまでも透き通る歌声。
楽団たちの息の合った迫力のある演奏。
そして光と波紋の共演。
この世の物とは思えない、
美しく切ないシンフォニー。
その中心で、ラフィナは本当に幸せそうに、僕に笑いかけた。
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無事にコンサートを終えて、簡単な打ち上げパーティから帰ってきた僕とラフィナは、今日宿泊するホテルの部屋でくつろいでいた。
ホテリエに頼んでグラスを用意してもらい、ラフィナのために彼女が好きな赤ワインを用意した。
部屋の中のソファに並んで座り、グラスを掲げて乾杯をする。
「美味しい〜!!」
プハーッ! と豪快なリアクションをしたラフィナが、ニコニコ笑いながら続けた。
「たくさん歌ったあとの赤ワインは格別だね!」
昔と変わっていないラフィナの様子に、僕は思わず苦笑する。
「しばらくお酒飲めなかったからね」
「……そうだねー。ベルンハルトの別荘に預けてきたマナは、元気にしてるかな?」
ラフィナが手に持ったグラスをゆっくり動かして円を描いた。
僕たちの間には女の子が生まれていた。
1歳になったばかりのマナは、ここから1番近い街までは一緒だった。
けれどコンサートが行われるここに来る行程は、1歳のマナにはきつかった。
だからベルンハルトの別荘に預けて来たのだ。
ラフィナは妊娠中からつい最近まで、娘のマナのためにお酒を飲むことを控えていた。
やっと飲めるようになった時、彼女は涙を流して喜んでいた。
その時のラフィナの喜び様を思い出し、僕は思わず口元を緩めてしまう。
そんな僕を不思議そうに見ているラフィナに優しく伝えた。
「カイルたちも何故かいるから、可愛がってもらってると思うよ」
「あはは。マナはクライヴに似てるから、カイルさんデレデレだもんね」
ラフィナが目を細めて柔らかく笑った。
そして静かにグラスを机に置く。
ラフィナがエメラルドの瞳を僕に向ける。
僕はラフィナの肩を抱いて自分に引き寄せた。
「今日のコンサートも凄かったね。観客たちの熱気も。今ではもう僕だけの歌姫じゃなくて世界の歌姫だ」
「フフフッ。でもこれは独り占めだよ?」
ラフィナが右手を差し出した。
噛みやすいように手のひらを上に向けて。
僕は彼女の柔らかい手をそっと握った。
いつものように麻痺の魔法をかけてあげる。
するとラフィナが小さく歌いだした。
それを聞くと、僕は決まって深く深く堕ちていってしまう。
その歌はーー
セイレーンの力を宿した歌。
惑わされた僕は、彼女の中指を咥えた。
上の犬歯を突き立てると、徐々に広がる甘い禁断の味。
頬を赤く染めたラフィナが目を少し伏せて、うっとりと僕を見ていた。
結局ラフィナには、セイレーンの力が全て残っていた。
ただ、人を惑わすためには特定の曲を歌わなくてはいけない。
……それで良かったんだと思う。
僕たち2人の楽しみでもあるから。
ラフィナの指から口を離した僕は、彼女の手をそのまま引っ張って立ち上がらせた。
けれど彼女はそこから動かず、目の前の机からワイングラスを取り上げて僕に手渡す。
「血の味がするから、ワインを飲んでよ」
「いいよ」
僕が一口飲むと、ラフィナがグラスを取り上げて残りを飲み干した。
「いい飲みっぷり。ラフィナの血の半分はワインで出来てるのかもね」
僕は笑いながら彼女をベッドに連れて行き、一緒に倒れ込む。
「あははっ。そうかも。だから美味しいのかな?」
ラフィナが楽しそうに笑いながら、僕の首の後ろに腕を回した。
ラフィナの秘密はセイレーンの血を引くこと。
僕をこよなく愛し、僕をいつも惑わしている。
僕の秘密はラフィナの生き血が飲みたくなること。
ラフィナをこよなく愛し、彼女にいつも惑わされている。
禁忌に手を伸ばし、人には言えない秘密を抱えて、見事にはまっていく。
このどこまでも堕ちていく幸せは、何事にも代えがたい。
ーー僕たちはもう、ここから抜け出すつもりはない。
最後まで読んで下さり、ありがとうございました。
この物語が、あなたに届いたことを嬉しく思います。




