【番外編17】 願い
2週間の旅行のような出張が無事に終わり、数日はラフィナと2人っきりでゆっくりしていた。
けれど今日は、本家から数名メイドが来て、午後から入念にラフィナを磨き上げてくれていた。
そろそろ出発する時間だからと僕がエントランスで待っていると、めかし込んだラフィナが現れた。
「こんな華やかな感じのドレス、初めて着るかも」
ラフィナはコーラル色のイブニングドレスに身を包み、アクセサリーはパール系でまとめていた。
「可愛いよ」
僕は軽くハグをして頬にキスをする。
「ありがとう。クライヴは正装じゃないね。私もガチガチな正装ってわけじゃないけど。……どこに行くの?」
「それは行ってからのお楽しみ」
僕はニッコリ笑った。
それからエスコートするための腕を差し出す。
「えー、どこだろう? 美味しいディナーが食べれる所?」
ラフィナが僕の腕をとった。
「半分あたりかな?」
僕たちはゆっくり歩いて家の外に出ると、連れ立って馬車に乗り込んだ。
目的地に馬車が到着すると、先に出た僕の手を取ってラフィナが降りた。
「ここは……」
ラフィナが目の前のお店を見上げる。
「そう。サイラスのお店だよ」
以前2人で訪れた、海鮮料理と白ワインを提供するサイラスのお店だった。
目線を彷徨わせていたラフィナが、店の立て看板にかかれた文字を読んで「え?」と声をあげる。
その時、この店で落ち合う予定だった友人の姿が遠くに見えた。
「クライヴ」
通りの向こうから歩いてくる彼が、手を振って僕を呼んでいる。
僕は手を一振りしたあとに、隣のラフィナに顔を近づけて説明した。
「彼は僕の友人で魔術師なんだ。お願いして来てもらったんだよ」
「……そうなんだ」
ちょうど話が終わる頃、魔術師のリックが僕の目の前に到着した。
僕は友人に向かって言った。
「リック、今日はありがとう」
「どういたしまして。えーっと、ラフィナさん?」
リックが柔らかくほほ笑みながら、ラフィナを見て首をかしげた。
「……はい」
「事情はクライヴから聞いてるよ。今日は僕がお店の人たちに防御魔法をかけるから、思う存分歌ってね」
「…………」
これから何をするのか理解し始めたラフィナが、泣きそうな顔をする。
そんな彼女に僕も優しく言った。
「昼間のうちに、店に防音魔法をかけてもらったから、声量も気にしなくていいよ」
「…………歌っていいの?」
ラフィナが鼻を赤くして目をウルウルさせた。
僕は大きく頷いてから喋った。
「せっかく綺麗にしてるんだから、泣くのは歌い終わってから。さぁ、お客さんたちが待ってるよ」
僕はお店のドアを開けて、ラフィナの背中をそっと押した。
僕はサイラスのお店でラフィナが歌えるように、あらかじめ手筈を整えていた。
サプライズをしたかったから、直前まで秘密にして。
ラフィナが少し緊張しながらも、笑顔でステージに立っている。
以前来た時にはただの広いスペースだったそこは、サイラスに貰った計画図の通り、ステージを囲むようにテーブルや椅子が並べられていた。
そして沢山のお客さんで賑わっていた。
僕とリックはカウンター席に座り、ラフィナの方に椅子を向けて見守っていた。
ラフィナが簡単に挨拶を始める。
「今日は久しぶりに、こんなに大勢のかたの前で歌います。美味しいお食事のお供に聞いて下さい」
隣に座るリックが小さく呪文を唱えた。
手のひらを前に突き出すと、そこからほんのり光る粒子がサラサラと流れていき、店内にいる一人一人にくっついた。
するとその人を膜で包むように透明な防御壁を展開する。
誰も気付かないほどにそっと。
僕はそれを感心しながら眺めていた。
「……すごいな」
店内にラフィナの秘密を知る者は、僕とリックの2人だけ。
サイラスたち店の人も知らない。
防音魔法は、僕からのお店への計らいということで堂々とかけさせてもらっていた。
リックはそれも分かっていて、極力気付かれないようにしてくれた。
そんな彼が眉を下げながら笑った。
「みんなの期待に応えている内に、出来るようになっちゃったんだよ……」
「リックらしい」
「よく言われるよ」
防御魔法が無事に行き渡ると、ラフィナの歌が始まった。
彼女の歌声が店内に響き渡るーー
圧倒的な歌唱力に、時間が止まったかのようにみんなの動きが止まる。
サイラスたちシェフも、思わず手を止めてラフィナの歌声に聴き惚れていた。
ラフィナはみんなが注目していることなんかは気にせず、心を込めて歌い続けた。
彼女の歌は美しく儚げで、時に力強い。
低音は心に染み入り、高音は魂を揺さぶる。
緊張も解けたのか、ラフィナが自然な笑みを浮かべて楽しげに歌い始めた。
その姿は正に、音楽の神に愛された天使のようだった。
ーーーーーー
一曲目が終わると辺りがしんとした。
少ししてから、氷が溶け出したように観客たちが動き始めた。
最初はまばらだった拍手が徐々に大きくなり、割れんばかりの大拍手になる。
ステージの真ん中で、美しい僕の歌姫が満面の笑みを浮かべていた。
それから沢山歌ったラフィナが、終わりを告げてペコリと礼をした。
ステージを降りて、拍手の中を満足そうに僕の元へと帰ってくる。
しまいには少し駆けて、僕の胸に飛び込んできた。
「クライヴ!」
僕は両手を広げて待ち構えており、彼女をしっかり受け止めた。
そして優しく抱きしめる。
「今日の歌声も一段と素晴らしかったよ。みんなビックリしてた」
「うん……うん。拍手なんて、クライヴ以外に初めて貰ったぁ」
ラフィナが笑いながら涙を浮かべた。
「良かったね。僕も凄く嬉しい」
「ありがとう。クライヴ、本当にありがとう」
ラフィナが体を離すと、一筋の涙を流しながらニッコリほほ笑んだ。
それから、その涙を手の甲でぬぐうと、リックの方へ向き直る。
「リックさん。ありがとうございます」
ラフィナがペコリと頭を下げた。
リックは穏やかな笑みを浮かべた。
「どういたしまして。こちらこそ、美しい歌声が聞けて役得だね」
そこにサイラスが現れた。
手にしたトレイには3人分のワインを乗せている。
「ラフィナちゃん、凄かったね。歌に聞き入り過ぎて、料理を焦がす所だったよ」
彼が笑いながら「これ、サービスだから乾杯してね」とワインをカウンターに置いてくれた。
そしてラフィナを見て続ける。
「是非、また歌ってくれる?」
「…………」
ラフィナが言葉に詰まっていた。
それに僕が返事をする。
「歌うよ。必ず」
サイラスが去っていったあとに、僕たちはワインを手に取り乾杯した。
一口飲んだあとに、ラフィナがおもむろに僕に聞く。
「……また、防御魔法をかけてもらうの?」
彼女はそう言ったあとにリックをチラリと見た。
すると、お人好しの魔術師がニコッと優しく笑った。
「それもいいけど、良い方法があるよ。上手くいけば、これからもラフィナさんは普通に歌える」
きょとんとしたラフィナに、僕も続けて言った。
「そうなんだ。ラフィナはどうしたい?」
僕は、誰よりも歌が大好きなのに、誰よりも自由に歌えない、心優しい歌姫を愛おしげに見つめた。




