【中編】人には言えない2人だけの秘密と楽しみ。地上に舞い堕ちた歌姫のラフィナ
僕とラフィナがまだ出会う前。
ある日、僕は貴族の付き合いでパーティに出席していた。
いつもパーティでは、いろいろな人から食事についての説明や感想を求められることが多かった。
僕の特殊な魔法のことや、1度口にした食べ物や飲み物についての説明が出来ることを、みんな知っているからだった。
今日もワインを何気なく飲んでいると、同じワインを片手にしたある夫婦に声をかけられたので、気前よく喋り出す。
「こちらはプラセスタ地方のシャトーで作られたワインですね。渋みは控えめでフルーティで飲みやすいです。これに合わせるならーー」
僕はニコッとほほ笑みながら夫婦へ説明した。
「ほほぅ。さすが美食家で有名なクライヴ君だねぇ」
「本当ですこと。話を聞くと、ますます美味しく感じられますわ」
ご主人も奥様も朗らかに笑って喜んでくれた。
そして会話がひと段落つくと、彼らは気分よく去っていった。
…………
1人になった僕は、小さくため息をついた。
こうやって喋ることは苦にならないし、少しずつ人の輪が広がって仕事にもつながっていくから割と好きだった。
けれど最近何かが足りない。
美味しい食べ物を知りすぎたのか、夢中になって追い求めるようなものが今は無かった。
……そんな食材に巡り会いたい。
僕はマンネリとした日々に刺激を求めていた。
毎日でも食べたくなるような何かを。
そんな気持ちを抱えながら何気なくパーティ会場を見渡していると、友人のダニエルが不思議な女性を連れているのに気が付いた。
薄い茶色の髪を綺麗に結い上げて、エメラルド色のドレスで着飾っているのに、その姿は何故か今にも枯れそうな花のようだった。
常にうつむき加減の彼女は、ドレスと同じエメラルド色の瞳をしていた。
垂れ目なうえに下げている眉と合間って、悲しそうな表情に見えてしまう。
辛気臭い女だなと思いながらも、気になって、ダニエルに挨拶がてら声をかけにいった。
「やぁ、ダニエル」
「クライヴか、久しぶりだな」
「……彼女は?」
僕はチラリと女性を見た。
近くで見ても、枯れそうな花の印象は変わらなかった。
「ラフィナだよ。ある界隈では有名な歌姫さ。そろそろ次のパトロンを探そうと思って……どうだい?」
ダニエルがそう言うと、ラフィナが顔をそっと上げて初めて僕を見た。
そしてニコッと儚げな笑みを浮かべる。
あぁ。
そういう……
いろいろ察した僕は断ろうとした。
けれど何か言おうとした瞬間に、ダニエルが先に話す。
「僕が主催の次のパーティにぜひ来てくれないか? ラフィナの歌声をそこで披露するから」
ダニエルが何かを含んだ笑みを浮かべた。
「…………」
僕は何故だか断ることが出来なくなった。
ダニエルたちと別れ、しばらく他の人たちと談笑して過ごしていると、壁ぎわで1人ワインを飲んでいるラフィナが目についた。
たびたび男性が来ては彼女を口説いている。
ラフィナは断っているようで、常に苦笑を浮かべていた。
ある界隈では有名というのは、本当のようだ。
僕はそんな彼女と話してみたくなり、近づいていった。
「赤ワインが好きなのか?」
ちょうど、グラスに口をつけているラフィナに話しかけた。
ラフィナは一旦グラスから口を離して僕に返事をする。
「うん。お酒の中では1番好き」
彼女は眉を下げたまま、弱々しく笑った。
「そのワインは南のセントリアで作られたもので、ジューシーな果実の味と、しなやかな渋みがーー」
僕がいつものようにコメントをし始めると、ラフィナはきょとんとした。
そして僕が喋り終わると「美味しいものは美味しいでいいじゃない」と言ってワインを飲み干した。
…………
辛気臭いし、大雑把な女だな。
ラフィナと喋ってみても第一印象は変わらなかった。
僕が立ち去ろうかと迷っていると、彼女が空のグラスを見つめながら語った。
「でも、あれはすごく美味しかったなぁ。出来ることなら、もう一度飲みたい」
ラフィナがそう言って、何かを諦めたような切なげな笑みを浮かべた。
少しだけ可哀想になった僕は、彼女が求める赤ワインについて詳しく聞いてみた。
「そのワインの名前は?」
「……知らないの。外国語でSみたいな文字から始まったかな?」
「ラベルとかは見た?」
「……見たけど、知らない古い建物だったことしか覚えてない。丸い……神殿かな?」
「……味は?」
「すごく甘いんだけど、深みもあって……」
ラフィナが宙を見つめて思い出そうとしていた。
「これじゃない?」
ぼくがサラッと呪文を唱えると、ラフィナが持ってるグラスに赤ワインが現れた。
「!?」
「魔法だよ。僕は1度食べたり飲んだりしたものを魔法で再現出来るんだ」
「すごいね。そんな素敵な魔法があるんだ」
ラフィナが目を丸めながら、赤ワインが入ったグラスを興味深く眺めていた。
それからグラスに鼻を近付けて香りをかぎ「いただくね」と囁いてから、一口飲んだ。
「あ、これだ」
ラフィナが僕を見て顔を綻ばせた。
柔らかい印象の顔が更にフニャッとする。
「このワインは〝サララクス ラミニファリ〟と言って、似たような味のワインは……」
「…………」
ラフィナが途端に眉を下げて困惑した表情を浮かべた。
僕は説明を途中でやめて、彼女の視線を受け止めながらつい聞いてしまった。
「……覚えられない?」
「……うん」
深刻そうに頷いた彼女が、また一口ワインを飲んだ。
覚えられないんじゃなくて、覚える気がないじゃないか。
少しムッとした僕は呆れた口調で尋ねた。
「歌う時もそんな感じなのか?」
「さすがに違うよー。声を出す時ってね、一音ずつ芯にぶつけにいく感じなんだ。少しでも外れると全然綺麗じゃないの。だから一瞬たりとも気が抜けない真剣勝負なんだよ」
ラフィナが穏やかな目つきで遠くを見た。
そして優しくほほ笑んでいる。
その様子から、とても歌が好きなことを感じ取れた。
僕は冗談めかして聞いてみた。
「そんなにすごいなら、今にでも聞きたいんだけど」
「フフッ。ここじゃダメなんだ。私は歌うために開かれたパーティでしか歌えないの」
一瞬だけラフィナが泣きそうな顔をした。
けれどすぐに笑顔に戻し、優しく僕に告げる。
「ワイン、ありがとう。また飲めるなんて本当に嬉しい」
彼女は大事そうにそのワインをゆっくり飲んでいた。
**===========**
……ラフィナはどんな歌声を披露するんだろう。
あんなに大雑把なのに。
逆に気になった僕は、ダニエルに招待されたパーティに参加した。
ダニエルが所有する洋館が会場で、そこの広いホールに若い男女が集まって気ままに過ごす。
そんなフランクなパーティだった。
ソファとローテーブルもたくさん用意されており、僕はその1つに座って友人たちとお酒を飲んでいた。
喋ったり、ダンスをしたり、気になった異性と抜け出したり。
あちこちで楽しそうに笑い合う陽気な空気に満たされていた。
そんな中、主催者のダニエルの声がホールに響き渡った。
「今日は集まってくれてありがとう」
声がした方を見ると、ダニエルは2階にいた。
ホールの2階部分は壁に沿った通路があり、焦茶色の柵で囲われていた。
その一部が半円状に大きくせり出している。
ちょうどホールの前方にあたるその場所は、ちょっとした舞台のようだ。
そこに立つダニエルが簡単な挨拶を始めた。
みんなが一斉に立って彼を見上げる。
挨拶の締めくくりに、ニヤリと笑ったダニエルが宣言した。
「ではお待ちかねの、ラフィナによる歌唱を始めようじゃないか!」
途端に沸き立つパーティの参加者たち。
その異様な熱気に驚いて、僕は眉をひそめるほどだった。
すると、ダニエルと入れ替わるように奥からラフィナが出てきた。
彼女1人が舞台に立つ。
今日は水色の美しいドレスを着て、長い髪を下ろしていた。
初対面の時より幼く見える出で立ちのラフィナは、心なしかニコニコと嬉しそうだった。
そんなラフィナが目を閉じて、大きく息を吸った。
一瞬の静寂の後に、ラフィナの美しくて甘い歌声がホール全体を包んだ。
僕はラフィナの歌声を聞いた瞬間、動けなくなった。
圧巻だった。
繊細で、どこまでも優しくて、魂が揺さぶられる音。
こんな歌を僕は聞いたことがなかった。
ラフィナが手を緩く左右に広げ、遠くを見つめ情緒的に歌い上げる。
彼女は歌いながら瑞々しくなっていった。
肌の色艶も良くなり、頬に薄っすら赤みがさす。
瞳にも光を宿し、生き生きとし始めたその様子に僕は目を見張った。
ラフィナは誰よりも美しく輝いていた。
僕が我を忘れて見つめていると、彼女と1度だけバチっと目が合った。
途端にラフィナが真っ赤になり、少しだけ声量が落ちる。
けれどすぐさま目を逸らし、僕とは違う方向を向いて歌い上げた。
ーーーーーー
歌い終わると、ラフィナが「はぁ」と満足そうなため息をもらした。
「気持ちよかった〜」
誰に言う訳でもなく、お風呂上がりのようなテンションで彼女は一声発すると、すぐにきびすを返して2階の奥へと消えて行った。
僕は気持ちが昂まっているからか、体が熱くて頭がポーッとしていた。
ラフィナがいなくなったことにワンテンポ遅れて気付くと、すぐさま彼女を追いかけようとした。
「って、あれ?」
けれど体が思うように動かなかった。
「どこにいくの? 一緒に楽しみましょう?」
気がつくと、パーティ参加者の1人であろう女性が、僕にまとわりついていた。
僕の首元のタイは解かれており、彼女がもどかしそうにシャツのボタンを外していく。
そこで初めてホールの異様な雰囲気に気付いた。
会場を見渡すと、みんな絡み合って事をおっ始めようとしていた。
さっきまでとは少し種類の違う熱気が渦巻く。
誰も彼も操られているかのように、頬を上気させて相手を求めていた。
その気持ちは僕の中にも生まれていた。
その衝動が爆発しそうになるのを必死に抑え、まとわりついている女性を跳ね除ける。
一様に熱に浮かされた人々の間をすり抜け、ラフィナのもとに急いだ。
階段を見つけ2階に駆け上りながら、頭の中のまだ冷静な部分で必死に考える。
みんな、ラフィナの歌でああなった。
ラフィナの歌に惑わされたんだ。
彼女は…………
セイレーン!!