【番外編16】 準備
今日の出先での仕事を終えた僕は、自分の家の前で馬車を降りると、玄関扉を慌ただしく開けた。
その音に気付いたラフィナが、奥からいそいそとやってきて僕を出迎えてくれる。
「おかえりなさい」
ニコニコ顔のラフィナが、上着を受け取ってコート掛けになおしてくれた。
安らげる場所に帰ってきたからか、僕は疲れた笑顔をつい彼女に向けてしまう。
それに気付いたラフィナが心配そうに聞いてきた。
「どうしたの?」
「明日から2週間、辺境の土地に行かなきゃいけなくなったんだ」
「え? 2週間?」
目を丸めた彼女が、次の瞬間には不安げな表情を浮かべた。
ラフィナの視線を受け止めた僕は、カバンからある物を出そうとした手を思わず止める。
そして彼女に背を向けて歩きだした。
ラフィナもパタパタとついてくる。
僕は衣装部屋に入ってトランクケースを出し、出張の準備を始めた。
まごまごしているラフィナが、僕にようやく尋ねてきた。
「血は? 禁断症状になるよ? 大丈夫??」
「……高位貴族に仕事で呼ばれたんだ。どうにかするしかないよね」
僕は極力深刻そうに喋った。
ラフィナがシュンとして、僕が準備する様子を悲しそうに見つめていた。
しばらくすると、僕の背中にラフィナがピッタリくっついてきた。
両方の手のひらも添えているのを感じる。
僕は準備を進めていた手を止めた。
「どうした?」
「……寂しいなって……」
「どうしたい?」
「……一緒に行きたいなぁ。滞在先の部屋にじっとしてるからさぁ」
僕はクルッと振り向いて、ニコニコとラフィナを見た。
彼女は両手を僕に向けるように少し掲げており、ピッタリ背中にくっついていたポーズのまま固まっていた。
そんな彼女を優しく抱きしめて告げる。
「いいよ」
ラフィナが可愛すぎて笑みがあふれてしまう。
「え? いいの?」
腕の中から、ラフィナの間の抜けた声がした。
「うん。向こうで仕事とは違うパーティに呼ばれてるんだけど、ラフィナも参加していいって」
「え!?」
「ラフィナは僕の奥さんだから。招待状に名前も乗ってるよ。籍を入れて良かっただろ?」
僕は抱きしめる力を少し緩めて、ラフィナの顔を覗き込んだ。
僕を見ながらパァァと喜び始めたラフィナだったけど、ある事に気付いてスンとした。
「あれ? 帰ってきた時から分かってたよね? なんで1人で行く感じで喋ってたの?」
「あはは。ラフィナが可愛かったからつい」
「…………」
ラフィナはジト目を僕に向けたまま、頬を染めた。
気を取り直してラフィナも出かける準備を始めた。
彼女用にトランクケースをもう一つ出してあげた。
僕たちは並んで必要な物を詰めていった。
ケースの中に目を向けたまま、僕は隣のラフィナに声をかける。
「長距離移動用の馬車を本家から借りてきたから、荷物が多くなっても大丈夫だよ」
「はーい」
どことなく嬉しそうなラフィナが、元気よく返事をする。
しばらくすると、ラフィナが陽気な曲調の鼻歌を奏でた。
「……ラフィナ、わざと?」
「??」
トランクに何やら小物を楽しげに詰めていたラフィナが、顔を上げてきょとんと僕を見た。
僕は呆れながら伝えた。
「あー、わざとじゃないんだ。歌わないで。準備出来なくなるから」
「あ、そうだった。ごめん……」
ラフィナが目に見えて落ち込んだ。
「……明日から行く所は、ブドウの名産地なんだ」
「ブドウ? もしかして、ワインも有名?」
「そうそう。ラフィナが好きな赤ワインも沢山あるそうだよ」
「わぁ! すごく楽しみ!」
「……ラフィナって旅行好きなの?」
「うーん、どうだろう? あんまり行ったことないからなぁ。どっちかって言うと、家でゆっくり過ごす方が好きだし。旅行みたいに遠くに出かけるのは、実家に帰る時ぐらいかなぁ」
僕は気になるフレーズを聞いてしまい、ラフィナを見た。
「……実家?」
「うん。ママがいる所。そう言えばしばらく帰ってないかも」
ラフィナが何てことないように言って、宙を見上げて考えていた。
「……ママって…………セイレーン?」
僕がおずおず聞くと、ラフィナがきょとんとしたまま返事をした。
「そうだよ」
「……実家ってどこ?」
ラフィナが人差し指を立てて上を示した。
「天かな?」
「…………」
言葉を失った僕の様子なんか気にせず、ラフィナがまた準備を再開した。
トランクに荷物を詰めながら喋る。
「パパは誰か知らないんだけど、人間なんだよねー。それで確か4年前にこっちに遊びに来て……1回しか帰ってないかも。けど、そろそろ人の世界も飽きたし、実家に帰ろうかなって思ってたこともあったんだよ。クライヴに会う前にだけどねー」
ラフィナがそこまで喋ると、エヘヘと照れ笑いを浮かべて僕をチラリと見た。
僕のそばにいることを選んでくれて嬉しいんだけど、衝撃的過ぎてそれどころじゃなかった。
…………
セイレーンの血を引くんだから、当たり前って言えば当たり前なのか?
固まっている僕にようやく気付いたラフィナが、首をかしげる。
「どうしたの?」
「…………結婚の挨拶をしに行った方がいい?」
「あはは!」
ラフィナが高らかに笑い、幸せそうな笑顔を浮かべた。
「クライヴは飛べないから無理だよねー」
「え?」
「え?」
ラフィナがまたきょとんとした。
本物のセイレーンは半身が鳥のような姿をしている。
ラフィナは人間の姿をしているけど……飛べる?
僕は思わず翼の生えたラフィナの姿を想像しながら聞いた。
「……飛べるんだ。天使みたいに?」
「うーん……飛ぶの苦手だからなぁ。そんな優雅なものじゃないよ。天から降りる時なんか、落ちてるに近いかも」
「なんだか追放されたみたいだな」
「そうそう天から堕ちちゃったねー」
ラフィナはまるで他人事のようにクスクス笑い続けていた。
僕は呆れながらも、この気まぐれなセイレーンが地上にいる時に出会えて良かったとホッとしていた。