【番外編11】 条件反射
夜の帳が下りるころ、僕とラフィナは夕食を食べにお店を訪れていた。
カウンター席に並んで座り、目の前の厨房で料理人たちが調理している様子を見ながら、スパークリングワインで乾杯する。
「美味しい」
一口飲んだラフィナが、花が綻ぶように笑った。
相変わらず美味しいものに出会うと、彼女は良い笑顔を浮かべる。
するとカウンターの内側にいる料理人の1人が、白いお皿を僕たちの目の前に置きながら言った。
「お気に召して良かった。この貝料理とすごく合うからご賞味あれ」
男前の料理人が、ラフィナをジッと見つめてニコリと爽やかに笑った。
「わぁ美味しそう! ありがとう」
ラフィナも無邪気に笑う。
僕は呆れながら、その料理人に苦情を言った。
「僕の恋人にちょっかいを掛けないでよ。サイラス」
「可憐な女性には、つい話しかけたくなるだろう?」
友人のサイラスが、笑いながらまた厨房へと戻っていった。
ここは独り立ちしたサイラスが、最近始めた海鮮料理のお店。
白ワインがメインだけど、ラフィナを誘ってみたら喜んでついてきてくれた。
店内は僕たち以外に3組のお客がテーブル席についており、そこそこ賑わっていた。
「本当だ。この貝すごく美味しいよ! お酒が進む〜〜!」
ラフィナが口から離したフォークを握りしめながら、目をギュッと閉じた。
幸せそうなラフィナに、僕はつい笑みをこぼした。
それから僕も料理を口へ運ぶ。
「美味しいね。この貝はカキと言って、ここらへんじゃ手に入りにくい物なんだよ」
「そうなんだ。だから初めて食べる味なんだね」
ラフィナがそのカキをフォークで刺してまた口に運んだ。
すると目を細めて咀嚼した。
味わっているようだ。
そこに次のお皿を運んできたサイラスが声をかける。
「ラフィナちゃん、本当に美味しそうに食べるねー。作っている身からしたら、とっても嬉しいよ」
「えへへ。美味しいもの食べるのが大好きなんで」
「それでクライヴを選んだの?」
「違うよ。クライヴが私の歌声に惚れ込んで、口説き落とされたの」
ラフィナがクスクス笑いながら告げた。
驚いたサイラスが何か言いたそうに僕を見る。
僕は少し照れながら答えた。
「まぁ、そういうことなんだ」
そんな僕を見たラフィナがニヤリと笑って喋る。
「それで、クライヴが振る舞う美味しいもので餌付けされた感じかな……あ、反対? 私が餌付けしてる??」
ラフィナは、僕が彼女の血を好んでいることを暗に示していた。
普通の解釈をしたサイラスが話を続ける。
「へぇ、ラフィナちゃん料理もするんだね。クライヴに振る舞う時、緊張しない? こいつ美食家だから辛辣な評価されそうで」
「フフフッ。いつも1番美味しいって反応してくれるよ」
「え!? おまえ恋人には甘すぎない? 俺の店への評価もそのぐらいにしろよ!」
サイラスが大笑いしながらそう言うと、厨房の奥へと去っていった。
「…………」
僕は無言でラフィナを見た。
「あはは。何〜?」
「後で覚えといてね」
「!?」
そんなやり取りをしていると、注文していた最後の料理と、とある紙を持ってサイラスが帰ってきた。
その紙を、僕とラフィナに1枚ずつ配って彼が説明する。
「後ろに広いスペースとピアノがあるだろ? ゆくゆくはディナーの時に生演奏を楽しめるようにしたいんだ」
サイラスが僕たちの背後の空間を指差して続けた。
「初めはピアノを弾いてもらう予定を立ててる。それからはいろんな楽器や歌声なんかもここで演奏会を開けるようにしたい。ラフィナちゃんさえ良ければ、クライヴが惚れ込むほどの美声を披露してくれる?」
サイラスがくれた紙は、グランドピアノの近くにこじんまりしたステージを作り、そこを取り囲むようにテーブルと椅子を配置した計画図だった。
図の下には、演奏者に対しての報酬が書かれている。
ラフィナが後ろを振り返り、奥のピアノがある空間をジッと見ていた。
僕も後ろを振り向き、次にラフィナの横顔を見つめた。
彼女はどこか悲しそうな表情をしていた。
少しすると、ゆっくり瞬きをして気持ちを切り替えたラフィナが、笑顔を浮かべてサイラスに向き直る。
「ありがとう。ちょっと恥ずかしいから考えさせてもらうね。けど素敵な催しだね」
「そっか。じゃあまたディナーだけでも食べに来てよ。ワインの追加は何かいる?」
サイラスは僕たち2人のワインの注文を取ると、再び厨房へと戻っていった。
貰った紙にまた目を通しているラフィナに、僕は声をかける。
「歌いたいの?」
「……けど、ここをいかがわしいパーティ会場に変えるわけにはいかないし……」
紙に向かって苦笑したラフィナが、ゆっくり顔を上げて僕を見た。
そして眉を下げながらニッコリ笑った。
「初めて熱心に歌を聞いてくれる人が現れたから、欲張りになっちゃった。クライヴがいるだけで幸せなのにね」
「……ラフィナ」
僕は胸が締め付けられた。
誰よりも歌を愛している彼女は、その能力のせいで誰からも歌を聞いてもらえなかった。
……それは、どんなに辛いことなんだろう。
けれどそんな感傷的な気持ちは、次の瞬間に吹き飛んだ。
「……いたっ」
ラフィナから小さな声が聞こえた。
「どうした?」
「紙で指を切っちゃった」
ラフィナが左手を持ち上げて僕の前に掲げた。
人差し指の先に斜めに赤い線が入っている。
そこから溢れ出す血の雫。
……血。
気付くと僕は、彼女の左手を取って自分の方へ引き寄せていた。
戸惑うことなく人差し指を口に含む。
ラフィナは僕の様子を、頬を赤く染め目をトロンとさせながら見ていた。
「ほぅ」と彼女のため息が聞こえてくる。
「お待ちどうさま。あれ? どうしたんだ?」
追加注文したワインを持ってきたサイラスに声をかけられた。
「「!?」」
揃って正気に戻った僕たちは、真っ赤になりながら慌ててサイラスの方へ向く。
僕が口から離した左手を引っ込めながらラフィナが喋った。
「ちょっと紙で切っちゃって。血が出てたから……」
「大丈夫? 包帯いる?」
「ううん、大丈夫! もう血は止まったから。ありがとう」
ラフィナがその手をブンブン振って遠慮する。
「……クライヴお前、ラフィナちゃんに激甘だな」
サイラスは呆れながらそう言うと、離れていった。
彼は僕がラフィナの指を咥えていたのは、治療の一環と思ったらしい。
……まぁ、普通はそうだよな。
「…………」
僕たちはチラリとお互いを見た。
ラフィナが気まずそうに目を伏せる。
僕はひそひそ喋った。
「……帰る?」
「早くない?」
「だって条件反射で、スイッチ入っちゃったから……ラフィナも」
「…………」
顔を更に赤くしたラフィナは、誤魔化すようにワインをあおる。
「あー、違うことは気を付けてるんだけど、まさか紙で指を切っちゃって血が出るなんて……」
「違うことって?」
僕が聞くと、ラフィナがいきなりスンとした。
「……鼻血を出さないように気を付けてる」
「…………」
「鼻はやめてね」
「……流石にそれは……」
「良かった……例えば、家に帰ってきたクライヴに駆け寄った私が手前でこけて、鼻血を出して泣いてたら、助けて手当してくれるよね?」
「…………」
「え? 何か言ってよ」
「餌付けされてるからなぁ」
「!?」
「あははっ。冗談だよ。助けるから」
ラフィナが呆れながら僕をジト目で見た。
そんな彼女が可愛くて頭を撫でた。
いつもの流れでキスしようと思ってしまい、ここが店の中だと気付く。
あらかた食べているお皿を見ながらラフィナに伝えた。
「……食べて飲んだら出ようか」
「うん……」
僕たちは、早く2人きりになりたくて、少し急いで食事をした。




