【番外編10】 もう1人の美食家
ラフィナの帰りが遅くて心配になった僕は、彼女を探しに出かけた。
「薄い茶色の長い髪に、エメラルド色の垂れ目の女性を知りませんか?」
要所要所でそう尋ねていると、見たよという人がいた。
街の書店の店主だった。
「広場の方へ歩いて行ってたけど……」
気の良さそうな店主が、全く悪くないのにすまなさそうに眉を下げた。
「ありがとうございます」
僕はお礼を告げて書店を出た。
そうやってラフィナの足取りを追っていると、彼女がリューベック家の馬車に乗り込んだことが分かった。
…………
なんでリューベック家なんかに……?
疑問に思いながらも取り敢えずリューベック家に向かうと、門の前が人だかりになっていた。
野次馬たちが屋敷の中の様子をのぞいている。
僕はそのうちの1人の男性に聞いてみた。
「何かあったんですか?」
「あぁ、何やら騒動があって、自衛団が入っていったんだよ」
「…………」
僕は門の柵の間から屋敷内を見た。
衣服が乱れた数名が取り押さえられている。
嫌な予感がして、もっと中の様子が見れる場所を探した。
屋敷をぐるりと取り囲んでいる垣根沿いを歩く。
すると、ひょっこりと裏の門からラフィナが出てきた。
彼女は僕に気付いてはないようで、門に向き直りきちんと最後まで閉めていた。
「はぁ。楽しかった〜」
背中を向けてひとりごとを言うラフィナに近付くと、そのまま背後から彼女を抱きしめた。
そして耳元で囁く。
「何が?」
「!?」
ビクッとしながら瞬時に振り返ったラフィナは、僕だと気付くと体の強張りを解いた。
「……首を狙う不審者かと思った……あれ? いきなり抱きついてくるから、不審者で合ってるのか。あはは」
ラフィナがケラケラ笑った。
頬を上気させて目が開いてないほどニコニコし続ける彼女は、普段よりだいぶ酔っていた。
なんでこんなに酔っているんだろう?
……何を飲んだんだろう?
僕はムッとしながら再び問いかけた。
「何をしてたの?」
「んー、赤ワイン飲んでぇ、ちょっと歌ってきただけだよー」
ラフィナがフラフラ歩き出した。
僕は慌てて彼女の手を握る。
転びそうなほど危うい足取りだ。
「誰と?」
「リチャードと。あの人、クライヴのこと妬んで悪くばっかり言うから、つい仕返ししちゃった。なんか悪どいことしてそうだったし、ベルンハルト家管轄のお堅い自衛団が来たから、いろいろ暴かれるんじゃないかな〜??」
ラフィナが黒い笑みを浮かべてクスクス笑う。
僕は思わず目を見開いて彼女を見つめた。
「え? 僕のため?」
「そうだよー。セイレーンの力を思い知ったか!」
隣の酔っ払いが、繋いでいる手とは逆の手を高々と突き上げた。
すごく酔っている彼女はとても素直になるらしい。
「どうやって会ったの? ツテとか?」
「んー、リューベック家に関係した孤児院の前をフラフラしてたら、従者に攫われて〜」
「え?」
「リチャードの前に突き出されて〜、なんか私を囲いたい宣言してきたから、笑っちゃう前に歌ってきたんだよ〜フフフッ」
ラフィナが体を揺らしながら思い出し笑いをする。
そして溌剌とした笑顔を僕に向けて叫んだ。
「私はクライヴの恋人だってば! あははは」
「…………」
僕はラフィナの勢いにきょとんとしてしまった。
黙っている僕に不安になったラフィナが、笑うのをやめる。
久しぶりにエメラルドの瞳が見えた気がした。
ラフィナが心底不安そうに眉を下げながら僕を見る。
「あれ? 恋人じゃない?」
「フフッ」
おどおどし続けるラフィナが可愛すぎて吹き出してしまった。
それを更に彼女は悪く解釈する。
「もしかして、クライヴはパトロンの延長的なだけ?? 愛してるのは私だけ??」
「……なんでこんな道端で、そんな大事なこと言うかなー!?」
僕は照れてしまって、顔を赤くしながらそっぽを向いた。
実は僕たちは、お互いを好きな気持ちをあまり言葉にしない。
僕は惑わされると意識が朦朧としてハッキリと覚えていないし、ラフィナは変な所で照れるし。
ストレートに〝愛してる〟って言われたのは初めてかもしれない。
いつまでもラフィナから顔を背けている僕に対して、彼女はさらにおどおどする。
チラリと見ると半泣きになっていた。
さすがに可哀想になり、僕は彼女に向き直る。
「クライヴ?」
「……僕も恋人だと思ってるよ。僕のために怒ってくれる可愛い大切な人だって。でも、こんな危ないことはもうしちゃダメ」
「えへへ〜」
ラフィナが繋いでいる手を離して僕の腕に抱きついた。
「だってクライヴのこと、大好きなんだもん」
彼女はそう言って、コテンと僕の肩に頭をくっつける。
ラフィナからの2度目のストレートな言葉に、僕はまた照れながらも彼女に聞いた。
「ねぇ、何ていうワイン飲んだの?」
「分かんないー」
「家に帰るまでもつ? そのテンション」
「分かんないー」
素直なラフィナは、相変わらず目を閉じているような笑みを浮かべて、ずっと幸せそうにしていた。
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翌朝。
寝室のベットの上で目覚めた僕は、もそもそと体を起こした。
両手を上げて軽く伸びをしていると、隣で眠っていたラフィナも目を開けた。
彼女は2、3度ゆっくり瞬きをしたあとに、顔をしかめながら起き上がり俯く。
いつもと様子が違うラフィナに、僕は心配になって尋ねた。
「どうした?」
ラフィナが俯いたまま、両手で頭をかかえた。
「……頭がガンガンする……」
「ラフィナが2日酔いになるなんて珍しいね」
「…………しかも」
ゆるゆると頭の手が下がっていき、顔を隠すように覆った。
「昨日ここで、なんかすごいこと言ったし、言わされた気がする」
「僕は正気だったから覚えてるよ。教えようか?」
「…………遠慮します」
消えそうな声でラフィナが喋った。
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数日後、すっかり元気になったラフィナは、今日も1人で懇意にしている書店に向かった。
いつものように、日刊紙売り場の馴染みのおじさんを見つけて声をかけようとすると、ラフィナに気付いた彼が先に喋った。
何故か驚いた表情をしながら。
「この前、本物のクライヴ・プレトリウスさんに会ったんだよ」
「え?」
目を見張りながらも、ラフィナは薄っすら思い出していた。
クライヴが、リューベック家に行ったラフィナを探していた時に、書店でも聞いたとか言っていたことに……
すると、馴染みのおじさんがニッコリ笑いながら言った。
「ラフィナちゃん、クライヴさんの奥さんだったんだね」
「!?」
「クライヴさんがラフィナちゃんを探しているもんだから、初めはあの美食家さんだと気付かずに〝どういった関係ですか?〟って聞いちゃったんだ。そしたら〝妻です〟って言われた後に、美食家のクライヴさんだって気付いたんだよね」
「…………」
「大ファンである旦那さんの記事集めしてたんだ。可愛い奥さんだね。これからも日刊紙置いとくから、ご贔屓に」
おじさんがお茶目にウインクした。
ラフィナは真っ赤になりながら、コクコク頷いた。
日刊紙を何とか買ってラフィナが書店を出ると、そこにはクライヴがいた。
「え? なんで?」
「フフッ。また攫われないか気になって追いかけてきたんだ」
クライヴがラフィナの手を取って歩き始めた。
引っ張られるようにして、ラフィナも歩き出す。
クライヴがニヤニヤしながらラフィナの顔をのぞきこんだ。
「何を買ったの?」
「……知ってるくせにー」
恥ずかしそうにラフィナが顔を背ける。
「うん。知ってる。僕の記事集めてたんでしょ?」
「……クライヴの奥さんらしいから、そんなこともするんじゃない?」
「あはは! 本当に奥さんになって欲しいから結婚しようか」
そっぽを向いていたラフィナが、クライヴに顔を向け、彼を穴があくほどジッと見つめた。
そしてわなわなしながら口を開いて、大きな声をあげる。
「……なんでこんな道端で、そんな大事なこと言うのー!?」