【番外編9】 もう1人の美食家
「……大ファン?」
リチャードはラフィナの勢いにたじろんでいた。
彼はラフィナより3歳ほど年上の青年で、眉をピクリと動かす仕草から神経質そうに見えた。
ラフィナは笑顔を浮かべて大きく頷くと、部屋の隅に鎮座するワインセラーを見つけた。
「すごいっ! 立派なワインセラーですね。さすが美食家のリチャード様」
ラフィナが目をキラキラさせて褒めまくる。
リチャードはラフィナを上から下までじっくり眺めたあとに、少しだけ警戒心を解くと、彼女の腰を抱いてワインセラーの前まで連れていった。
ラフィナは憧れの人と触れ合って、照れてるフリをする。
何だかどんどん楽しくなってきた。
「良かったらどれか飲む?」
「いいんですか? でも、その……ワインについてよく分からないので……リチャード様が好きなワインを飲んでみたいです」
ラフィナがしおらしく言うとリチャードは気をよくした。
「じゃあ、とっておきを出してあげよう」
ラフィナは心の中で2つのことにほくそ笑んだ。
リチャードが罠にかかり始めたことと、美味しそうなワインが飲めることに。
部屋の中には2人用の机と椅子があり、ラフィナはそこで待つように言われた。
大人しく座っていると、やがてリチャードも向かいに座った。
そこに彼が手配した従者がやってきて、ワインをグラスに注ぐ。
チーズやオリーブの実なんかの軽食も用意されており、机に並べられた。
2人でささやかに乾杯をし、ラフィナはワイングラスに口をつけた。
うわっ。
重厚なやつだ。
ちょっと苦手だけど……美味しい!
ラフィナはニコリと笑って喋り始めた。
「最近出た日刊紙に、リチャード様のコメントが載っていましたよね。リチャード様の着眼点にいつも感心しちゃって……」
そう言いながら、ラフィナは遠くのソファに置いているバッグをチラリと見た。
それからリチャードに目線を戻し、はにかんだ笑顔を向ける。
あからさまな嘘に、自分で大笑いしそうになるのを必死に耐えながら。
リチャードが口元を緩めて答えた。
「大ファンっていうのは本当のようだな。最近目立ってきた自称美食家に対するコメントのことだろ? そいつはやけに鼻につくやつなんだ。プレトリウスなんて聞いたことのない弱小貴族のくせに……」
プレトリウス。
クライヴの家名だ。
それからリチャードが語ったのは、クライヴに対する悪口のオンパレードだった。
お酒も進み、お喋りも弾む。
話の内容は面白くないので、ラフィナはお酒をつい飲みすぎてしまい、いつになく酔っていた。
ラフィナはニコニコ笑って頷きながら、リチャードの話を聞き続けた。
満足いくまで喋ったリチャードは、そんなラフィナにすっかり心を開いていた。
「こんなに気が合う女性は初めてだ。良かったらここに住まないか?」
「え!?」
そこまで言われると思ってなかったラフィナは、思わず動揺した声を出してしまった。
フフフッ。
美食家さんの話の聞き方は心得ているんだよね。
酔っているラフィナは心の中で大きく出た。
そして目を細めてニッコリ笑った。
愛らしいのに妖艶な笑みに、リチャードは息を呑む。
「嬉しい。私、実は歌が得意なんです。毎日聞きたいっていう物珍しい人がいるくらい。フフフッ。ちょっと聞いてくれます?」
ラフィナはその色香を放ちながら立ち上がった。
「…………」
リチャードは圧倒されて喋ることが出来なかった。
ラフィナはそんなリチャードを、手のかかる子供を見るように眺めると、ゆっくりと口を開き歌を紡いだ。
ーーーーーー
ラフィナが歌っていると、リチャードが立ち上がった。
ラフィナはそこで歌を切り上げて、遠くのソファに駆け寄ってバッグを掴み取り、素早く部屋を出た。
「待て!」
歌により惑わされたリチャードが、後を追いかけて手を伸ばしてくる。
ラフィナは部屋の扉を閉めると、しばらくそこで扉の押し合いをした。
「ど、どうしたんですか?」
たまたま通りかかった、少女のような若いメイドが声をかけてくれた。
扉の内側からはドンドン叩く音と叫び声。
外側にはその扉を開かないようにしているラフィナ。
その危機迫った状況を察知してか、メイドの声が少し震えていた。
ちょうど良かった!!
ラフィナは口早に告げる。
「リチャード様に殺されそうなの! 自衛団を呼んでくれない!?」
「!! 分かりましたっ」
少女のメイドは青ざめながら廊下を駆けていった。
その背中が見えなくなるまで、ラフィナは歯を食いしばりながら扉を押さえていた。
次第に騒々しさに驚いた他の従者も駆けつけてくる。
「…………フフッ」
ニヤリと笑ったラフィナが扉から離れ、歌いながら廊下を優雅に歩き始めた。
リューベック家の人たちが次々と惑わされていく。
ちょうどその時、扉が開いてリチャードが出てきたけれど、目の前にいる騒ぎに駆けつけたメイドの1人と熱く抱擁し始めた。
メイドも惑わされているので2人して盛り上がっている。
ふと廊下の窓から外を見ると、太陽が沈みかけており、空が燃えるようなオレンジ色に染められていた。
帰るのが遅くなっちゃった。
クライヴ心配してるかな……
愛しい人に思いを馳せながらも、ラフィナはニコニコと歌い続ける。
酔っているのも手伝って気分が乗ってきた彼女は、歌に合わせて手振りをつけたり、クルッとターンしたりした。
演劇みたい!!
興奮しながらチラリと後ろを振り返ると、たくさんの男女がもつれ合っており、誰もラフィナのことなんて気にしていなかった。
「フフフッ」
魅惑のセイレーンはそれからも屋敷を練り歩き、なかなか1人演劇の幕は下がらなかった。