第九話
激熱、ぱいぱいゾーンを切り抜けて、な、なんとかカラオケボックスについたぞ~。俺はもはや息も絶え絶え。時計を見ると、まだ11時40分。昼前でございます。
この地獄のデートいつまで続くのでしょうか? 誰かおせーて。
可愛い女子二人を連れて、四人乗りエレベーターで六階に到着。そこは暗い雰囲気のカラオケボックス。
そこに加川さんが受付けまで走り、手続きをしてくれるようだ。ホッ。ようやく猛攻を切り抜けたか。
「ねねえ、空きゅぅん」
一條さんが上目遣いで、俺の耳に口を寄せたがっているので、身を低くして耳を近付けると、一條さんは甘い吐息と共に睦言を吐いてきた。こ、今度は何?
「ね、今日はデートなのに、キス出来ないね。いつも学校帰りだと空きゅんが公園でしてくれるのにぃ。ねぇ、どこかでしてよぅ」
タタタタタタ! タタタタタタ!
き、機関銃!! こんな至近距離で!? うがぁ! 俺は穴だらけです……。一條さんは、俺に休息など与えてくれない。
そしてなんですか? キスのおねだりですと!?
キスは俺の最終手段。一條さんの攻撃を一時的に止めるたった一つの技だというのに!
……慣れ? 慣れてしまったと? お前のキスなど、すでに攻撃にならんと? 私を止めるにはもはや効かぬと? そういうことか!? 一條さんめぇ!
ど、どうすればこの妖魔を封じることが出来る? 悪霊退散、悪霊退散! きえーー!!
いや待て、森岡空。もはや、神にも仏にも祈ったが効果などないことは立証済み。神は己を助くもののみを助く。目に見えないものに頼ったところで、その恩恵はないに等しい。道は自分で切り開かなくてはならない。
出来るのか!? この巨大な山を登ることが? こんなロープもコンパスもない軽装では死にに行くようなものだ。だがやるしかない!!
そ、それに! これは挑発だ。一條さんの……。一條さんの嘘告を受けて以来、毎日公園でキスをしているが、全くの受け身。俺にされるがままなのは、好きでもない男の唇など、受け入れられずに固まってしまうからに相違ない。
ましてや、この陰キャを司る俺の舌を入れられるなどの屈辱を与えているのだ。
な、なるほど、そうか。怖い夢を見るのは、体験して恐怖を柔らげるためと聞いたことがある。つまり一條さんも、それを言うことにより、恐怖体験を味わい、その感覚を麻痺させようとしているのだ!
クソ! 答えが分かればなんてことはないが、それはそれで俺への屈辱。一條さんめ、恐るべし!
「はい、部屋取ってきたよ~。学生はフリータイムだって。18時まで使えるよ」
「は、はい!」
あ、あっぶね! 加川さんの声に思わず声が上ずったが、大丈夫。今の一條さんの『キスして』には多少動揺したが、今日は加川さんがいる限り、それは出来ない。
な、なんとかこのカラオケ六時間を駆け抜けなくては。
部屋に入ると、長いソファーに座る。右に一條さん、左に加川さん。あの~いっぱい空いてますけど……。
俺の前にはメニュー表。一條さんは前のめりになって、パラパラとめくっている。
「ねねえ、空くん、お昼ごはんシェアしようよぉ。瑠菜、このアスパラベーコンのパスタがいいなぁ」
「えっとぉ、じゃあ俺はマルゲリータピザにしようかなぁ~、な、なに怒ってんの?」
俺の注文を聞いた途端に一條さんは頬を膨らましたまま俺を睨んでいる。そして耳に口を近付ける。
「ピザでわぁ、間接キスできないでしょ!」
か、かわいい。
「聞こえたわよ!」
「ひゃん!!」
加川さんと、一條さんが、俺を挟んで言い合いしてらっしゃる……。それを俺は川の流れを見るように眺めるだけ……。
「こっちはさっき別れたばっかだって言うのに、間接キスぐらいどうだっていいでしょ!?」
「あ~ん、もう美羽ちゃん、邪魔。空くん独り占めにできないいいいいいい!」
「な、なんですってぇ!?」
「美羽ちゃん、いなかったら、空きゅんとラブラブチゥチゥできるのにぃ。ぷう!」
「ちょっと空くん貸しなさいよ!」
「のわーー!!」
「ダメぇ! 返してぇ!」
「痛い、痛い、痛い!」
「空くん、こっち!」
「あいたー!」
「いやーん! 空きゅぅん!」
「わたたたーー!!」
お二人が俺の腕の引っ張りっこ。引っ張った先にはでっぱいとおっぱいに顔を埋めるという天国。その時、扉が開いて店員さんが入ってきた。
「他のお客様のご迷惑になりますので……」
「すいません……」
な、なんで、俺が謝るのぉ? 巻き込まれてるのは俺なのに……。つまり、これはあれでしょ? 女子二人は、俺を散々にもてあそんで、俺が困る様を味わいたいと。いつものやり口でしょ?
大体にして、大岡裁きに『子争い』というのがある。一人の子供に対して二人の女が「私が母親です」と名乗りを上げたのを大岡越前守がお白州で裁いたのだ。子供の手を女が引き合って勝ったほうが母親である、と言われて女たちは子供の手を引くと果たして子供が「痛い!」と言ったので、片方の女が手を放した。しかし大岡越前守は手を放したほうを母親とした。曰く、子供に愛情があれば痛いと言えば手を放すだろう、という美談。
まさしくそれだ。俺が腕を引かれて痛いと言って、かつ店員に怒られても、彼奴らは意に介さず平気の平左衛門。この愛情の無さを見れば、彼女たちが遊んでいることが分かる。その手には乗りませんよ。
俺は立ち上がり二人から離れて長いソファーに隣接する四角い一人掛けの椅子に座った。
「これならいいでしょ。それに俺はピザ食べるから。瑠菜はパスタね、加川さんは?」
「じゃあ私は、シーフードドリアにしようかな? あとストロベリーパフェとレモネードね」
一條さんは俺が離れたことに、またまた頬を膨らませて不満そうだった。
「ぷん。空くん、ご飯のシェアはしようよぉ」
「するよ。瑠菜、飲み物は?」
「メロンソーダ」
「オーケー。じゃ、注文するから」
俺は立ち上がって受話器を取り受付けに電話をする。
「すいませーん、注文いいですか?」
「タブレットからお願いいたします」
「ですよね~」
はい、本日二度目でございます。一條さんも、加川さんも爆笑している。俺も連られて爆笑してしまった。はー、恥ずかしい。
やがて食事も届き、俺と一條さんはフードをシェアしあった。一條さんは加川さんともシェアしていた。
ポテトを挟みながら歌を歌い始める。女子二人は今どきの歌を。俺はアニソンばっかりだった。
そのうち、知らず知らずに一條さんが距離を詰めて来て、いつしか俺の隣のソファーに。
そして、加川さんが歌い出したバラード曲の間に、俺の肩にコテンと首を倒して寝息を立て始めた。
俺はしばらくそのままにさせていたが、加川さんが笑顔で言ってきた。
「ありがとうね、空くん」
「え? な、なんで?」
「瑠菜の告白受けてくれて」
「えと、あと、それは……」
君たちの悪戯でしょ? とはやはり言えない。
「この子ったら、今日をホントに楽しみにしてて。んー、でも悪いけど最近冷えてたあたしらの仲も初々しい二人を見たら何か変わるかなぁなんて思ってダブルデートにさせて貰ったけどさ、結果は散々で……。途中、瑠菜に相談しようとしても、この子はもう空くんに一生懸命でさ」
えーと、つまり、一條さんは、俺を陥れるために本日一日中奔走していたと。なるほど。一生懸命になるほど、俺は上手く一條さんを躱していただろうか?
答えは『否』だ。おそらく、一條さんが放つ攻撃の九割はぶち当たってしまっていた。今でも満身創痍。考えが追い付かないほど一條さんの攻撃は読めなかったのだから……。
じんわりと背中に冷たいものが沸く。加川さんは、それでも話を続けた。
「この子は偉いよ──。自分の好きに正直で。あたしは……、良い顔とかのトロフィーに惑わされちゃってたんだね~。中身は最悪。あんなんに体許しちゃうなんてさ……。あたし気付いたんだ。やっぱり本物の男ってのは、空くんみたいなのだって、さ。あ、あ、あ、誤解しないでね。瑠菜から取ろうなんて思ってないし、それに──。二人はお似合いだって思ってるからさ。ちょ、ちょっといいなっ、かっこいいなって思っただけ」
おおっと、これはこれで……。か、加川美羽、キミって女は! このしんみりしたような感じで、俺に少し横恋慕しちゃったみたいな雰囲気を出してきたな!?
す、少し前の俺ならグラグラっと来たかもしれない。だが、今の俺は一條さんという十倍の兵力を持つ大軍に対して籠城することが精一杯で、キミという伏兵に兵を割けるほどの余裕はない──!
悪いが、その程度の策ならばすぐにはね除けられる。御堂のようなスーパーダーリンと付き合っていたキミなんかが、俺みたいな凡凡バカ凡になびくわきゃない。ちょっと考えれば分かる。
ホッ。とりあえず、やっぱり目下の敵は一條さん、ということで大丈夫のようだ。
はぁ……、女って怖い。