第七十二話◇森岡海
兄とさやちゃんが誘拐された事件は、結構大きく報道された。TSUKISHIMA自動車の御曹司と勘違いされ、一般人が誘拐されたが無事だった的な感じだったが。
まあ兄とさやちゃんのプライバシーは守られ、家の前に報道陣なんかが来ることはなかった。おそらく月島くんのお父さんが手を回してくれたのだろう。
ともかく私は普通通り登校することにした。兄は大事をとって、今日は休むとパジャマ姿でゲーム機に向かっていた。ムカつく。
学校に着くと、相も変わらず月島くんはニコニコしながら、昨日は大変だったとか、今週末にまた出掛けようとか言ってきた。
「あんのねー、昨日だって大変な目に遭ったのに、どうしてまた出掛けようとか言えちゃうわけ? 嫌いだなー、そーゆー軽はずみな考え方」
「い、いや、ホラ、あれだよ。そうだ! 部活で使うラケット! あれ買わないと。お願い、付き合って」
「えー。マンションの近くにスポーツ用品店あるでしょ。そこで学校帰りに買ったら?」
「いやだって、俺みたいな素人には分かんないし。海くんの目利きでどうか一つ」
「はー、しょうがないなァ。じゃさやちゃんも一緒に、ね」
「彩花はァ、また事件に巻き込まれるといけないから、二人で行こうよ、ね?」
ふーん。まぁそれもそうか。了承の答えを出そうとすると、そこに北大路由真が割って入ってきた。
「宙くん。昨日は大変だったみたいね」
「は? はぁ……」
「お見舞いさせてよ。週末、我が家にいらしてよ。父も母も喜ぶわ」
「なんだいそりゃ。好意はありがたいけど断るよ。忙しいんでね」
ん、なんだコイツ、忙しいんじゃん。まあTSUKISHIMAの御曹司だもの、そりゃー何かと忙しいでしょうね。そんなせわしい中で買い物なんて私はしたくないぞ?
「なんだソラ、忙しいなら別に週末でなくてもいいよ。部活の帰りにちょっとだけ見に行く?」
「い、いや、海くん、そういう分けでは」
そこに由真が嬉しそうに月島くんへと言う。
「ホラ。森岡さんも気を遣ってくださってるわよ。ね、お迎えの車は出すわ。あなたには、同じレベルの私がピッタリなの。これからも家同士懇意にしたほうがいいと思うの」
「いいえ結構。どうぞお構い無く」
そんなやり取りが私の机の前でやられている。どちら様も邪魔でしょうがない。王子さまと王女さまはよそで話せばいいのに。
そこに先生が入ってきたので、休戦となった。
それからも休み時間はそんな感じで、私の回りは騒々しくて仕方がない。月島くんは私にピッタリとくっついていたが、トイレと言い残し、ようやく離れた。よかった、よかった。
「ちょっと、森岡さん」
む。この声はもう一人の騒々しいヤツ、北大路由真。一体なんだというのか。
「あなた、宙くんとどういう関係?」
月島くんと。うーん、前は気の毒な少年だったから面倒は見ていたものの、今は金持ちだし、もはやアヤツは自立している。
まあ、さやちゃんのお兄さんだろうね。でもまあこの場合、人に言うには……。
「トモダチ、かな?」
すると由真はハァーとため息をついた。
「やっぱり。そうやって言葉を選んでいるけど、宙くんとは一夜を明かした仲ですもんね。いいこと? もう宙くんは、大富豪なの! アンタみたいな庶民、遊びに決まってるでしょう? いい加減に身を引きなさいよ。宙くんに見合うのはこの北大路由真なの!」
何言ってんだコイツ。そりゃ遊びに決まってるでしょうよ。私だってさやちゃんと遊ぶの楽しいもの。はっはーん。つまり、由真は月島くんが好きだってことなのかな? 私のとこに月島くんが来ることが目障りなんだと。
しかし、それは不可抗力。私がどうこう出来る立場にはいない。
だけどやっぱりコイツは性格が悪いぞ? 月島くんなんてどうでもいいけど、コイツと付き合ったってろくなもんになれない。とは言え、月島宙もどっこいどっこいの性格とは思うけど──。
「おい、何やってる! 海くんから離れろ!」
む。この声は月島宙。由真を睨み付けている。やはりコヤツはあの時のままだ。女子に声を張り上げて自分の思い通りにしようとしてやがる。
そんなお二人はまた私の前で言い争いをしてらっしゃる。私は頭を抱えた。
「いいこと? 宙くん。私はあなたにたかる悪い虫を駆除しようとしてるの。今は怒るかもしれないけど、後々感謝することになるわよ」
「はあ? いい加減にしてくれ。キミと俺はなんの関係もないんだから」
「まーた強がっちゃって。将来はあんなこともあったなんて笑って一緒に生活してるわよ」
「勘弁してくれ、そんな未来。俺には心に決めた人がいる!」
へー。そーなんだ。月島くんって、結構すみに置けないなぁ。それって誰だろう……。
ん? なんだ、この心に涌き出るモヤっは?
んー。多分、月島くんの、そのお相手が気になるのだ。普段は私にベッタリのクセして、他の女性が好きなのねー……。それって、同学年? それとも年上の人かな? ま、まぁ、別にいいけどね。
それにしても! だったら私に相談なり打ち明け話みたいにしてくれても良くない? まあ男子が女子に恋バナは言いにくいかもだけど……。
ムカつくわー。由真も、月島くんも。
その後、月島くんは私の近くでいつものようにペラペラとなにかしゃべっていたが、モヤっが加速して話も聞こえないし、機嫌悪い顔になっていたと思う。
月島くんはしきりに『怒ってる? 怒らせてゴメン。何で怒ったの? 反省するよ』とか言っていたが、分かってないようなのでそっぽを向いて口を尖らせた。
部活の帰りも月島くんはついてこようとしたが、断ると肩を落として駅前の自宅マンションへと向かっていった。
なによ、なによ。
ムカつきながらもうすぐ家というところで、後ろから声をかけられた。
「あら、森岡くんの妹さん。今帰りかしら?」
おおう。これはこれは美人、麗人、佳人でお馴染みの一條先輩。私と比べりゃ月とスッポン、玉と瓦。月島くんもキレイな人と言っていたぞ?
はっ!
さては、月島宙の思い人は一條先輩なのでは?
アヤツが私以外に女性と接触して言及したことがあると言えば、一條先輩だけだ!
くうっ! さすが一條先輩。王侯貴族がお似合いとは思っていたが、まさに月島家のお坊ちゃまは王子さま! 軍師曰く『二人なら良縁と言えましょう』
「森岡くんの誘拐事件、無事で良かったわね。私も安心したわ」
「あ、ご心配かけました」
「それより、何か浮かない顔ね。どうしたの? もしよかったら相談に乗るわよ。将来は義妹になるかもしれないし……」
最後のほうは声が小さくて聞こえなかったが、この才女で美人麗人佳人に、この心のモヤっを聞いて貰うのも言いかも知れない。
私は、いけ好かない男友だちの『心に決めた人がいる』発言を聞いてからモヤっとすることを一條先輩に説明した。一條先輩はフムフムと頷いてから答える。
「なるほどね、それは間違いなく──」
「間違いなく?」
私はゴクリと息を飲み込む。
「恋よ! 恋。まさしく恋。森岡くんの妹さんは、その彼に密かな恋心を抱いているのよ!」
ドッドーンと、一條先輩は私を指差す。その背後には葛飾北斎 の富嶽三十六景、神奈川沖浪裏のごとき波のイメージが現れていた。
「こ、恋、ですか? 私が──彼に?」
「そう。私にも経験があるわ。その人を思うと、甘酸っぱい気持ちになるの。胸は高鳴るけど、決して嫌なものじゃない。溢れでる思いは、毎日を幸せにしてくれる。彼に触れたい、彼に触れられたい。そして二人は──」
一條先輩は、自身の胸を抱き、うっとりとした顔で空を見上げていた。が、ちょっと空を見上げる角度が低い。そこはウチの二階。その方向にはパジャマでゲームしてる兄しかいませんぜ?
「ね、ね、あなたもそうでしょう?」
「い、いえ、私は特には……」
だって、さっき始まったばかりだもの、甘酸っぱいも何もないよね。
そ、それより、一條先輩の思い人は誰だろう? まさか月島宙なのでは? いや、まさか、それはないか。だって、一條先輩が月島くんと接触したのは私と共にいたときくらいだもの。
でも分からないわ。月島くんには外で働いていた時期があったもの。一條先輩はウチの近所だし、月島くんの旧アパートにも近い。バイト先に行っていたとしても不思議じゃないもの。こ、これは聞いてみる価値がある、かも?
「せ、先輩の好きな人って誰なんです、か?」
すると先輩は真っ赤になって、片手で頬を押さえた。
「まだ、誰にも言ったことないの……。誰にも言わないでよ。もちろん、本人には──」
へー、そうなんだ。人に言えない恋? それって……、相手は大富豪だから、とか?
「その人ね、とっても優しくて、男らしくて、妹さん思いなの……」
う。月島くんも、確かに優しくて男らしいっちゃ、らしい。そして何より妹思いだよね……。
「私にとって、特別な人。まるで天使のような」
く。そこまで思われるって、すごいことよね。一條先輩ほどの人がそこまで思う人なんて……。
「その人の名前は──」
思わずたじろぐ。私は一歩後退りしてしまった。聞きたくない。その人の名前を聞きたくない。
「……空、っていうの」
ガーーン!
ガーーン!!
ガーーン!!!!
私の脳内には、教会の前で月島宙と一條先輩が白い衣装を着て、腕を組みながらみんなに祝福されている映像が流れた。
『宙っていうの』
『宙っていうの』
『宙っていうの』
『宙っていうの』
心がひび割れて行く。先輩の言葉に。
まさか、私──。
月島くんを好きなわけ?




