第六話
俺に一條さんが、グイグイ絡み付いていたその時、さっきまで犬を恐れていた御堂はベンチから颯爽と飛び降りた。
「犬に好かれたからってなんなんだよ。ヘタレには変わりね~だろ。それじゃ美羽、行こうぜ」
そう言って街中に向けて歩き出すと、加川さんはちょっとだけため息をついて、その横に並んだ。
俺は横に一條さんが、ぶら下がるように絡まっていたので、それを引きずる感じで御堂の背中を追った。
しばらく行くと、御堂は振り返って言う。
「どこ行く?」
それに加川さんは呆れて突っ込んだ。
「え? 決めてないで歩いてたの?」
まさにその通り。率先して歩くから目的の場所があると思ったのに。しかし御堂はそれに答える。
「あのな、俺は平日は部活で忙しいの。普通プランは帰宅部のお前らが考えるべきだろうが」
ですよね。おっしゃる通り。加川さんと御堂は揉めているようだったが、俺はスマホを出した。少しだけチェックしていたのだ。
「じゃ、カフェに行く?」
それに一條さんは、絡み付いている腕の力を強くしたので、そちらを向く。微笑んでる。
な、なにぃーー!? なにその可愛い笑顔。これ、無形重要文化財? それとも国宝? うぬぬ、一條さんめ! お賽銭が必要なくらい神々しい顔をこっちに向けやがって!
「じゃそこにしよ!」
加川さんの笑顔の提案。御堂は面白くなさそうに頭の後ろで手を組んで答えた。
「へー、いいとこ知ってんすね~。そんじゃ道案内よろしくっす、せんぱぁ~い」
うぬ。同級生なのに。先輩とは。
俺は前に立たされた。横には一條さんがいるものの、ここでは俺は完全なアウェイ。
加川さんと御堂はデート慣れしているだろうから、俺の行くカフェなんて知っているかも知れん。
それに一條さんは、猫みたいに目を細めて、俺の腕に絡み付き、歩行の邪魔をしている。くっ、だが負けるわけにはいかん。
俺は道の途中で一條さんをぶら下げたまま、道に落ちている空きカンを拾って、コンビニ外付けのゴミ箱に入れた。
すると、後ろの加川さんから声が上がる。
「ふえー、すげぇ、カッコいい」
「え? そ、そう?」
一條さんは、さらに腕を絡ませて体を押し付けてくる。
「ちょ、瑠菜ァ、歩きづらいよ」
「んんん、空くんが美羽ちゃんに浮気するからぁ」
「し、してないでしょ~」
「ダメ~、空くん、私だけ見てえ~。他の人によそ見しないでよぅ~」
はあ~、柔らけぇ~。なにこのふんわりふわふわな感覚。他の女子もこんなに柔らけぇのかな……。いやいやいや、いかん、いかん! それはマジもんの浮気!
「ハン! ゴミ拾いなんて雑魚がすることだろ? 汚え」
くく、御堂。女子に聞こえるように。俺はゴミを拾った手を見た。うん汚くはない。でも一応ハンカチで拭いとこう。
徒歩10分ほどで、調べていたカフェに到着。なかなかお洒落な佇まい。
率先して店に入ると、窓側角のボックス席に案内された。
俺の横には一條さん。一緒にメニュー見よぉ、とか言って近い、近い、近い。
あわわわゎ。一條さんの髪の匂い、ヤバ! 甘ぁ~。なにこれ、クンクン。飴? 飴ですかぁ? どーすりゃこんな甘い匂いになんの? へー、すごい。
「ねねぇ、空くん、何にするぅ~?」
「え? はわわわわ」
メニュー見てなかった! 見てませんでした、ごめんなさい!
「んじゃ、俺は~、カフェオレにしようかな?」
「んじゃ私もそれ~、美羽ちゃんたちは?」
「私はアイスティ。修斗は?」
「おいおい、カフェ来たら普通コーヒーだろ。男がダルいもん頼みやがってよ。じゃ森岡、注文よろしく!」
はいはい、カフェオレ二つに、アイスティにコーフィーね。ここは、颯爽と男らしく決めてやるぜ!
見さらせ! 俺の記憶力と、注文の声を!
「すいませーん!」
「あ、タブレットからお願いします」
「で、ですよねぇ……!」
さ、最近のヤツか! く、くそぅ。御堂のヤツ、大爆笑しやがって! はー、恥ずちぃ。消え入ってしまいたい!
はぁ、はぁ、なんとか一條さんと共同作業で入力完了したぞ。どうだ!?
しかし御堂は俺の功績など認めず、上から目線を崩さなかった。
「はーあ、付け焼き刃がバレちまったな。俺たちは知ってたぜ、タブレットだって。な、美羽。俺たち来たことあるもんな」
「は……? 初めてだけど?」
御堂は、焦りながら手をバタつかせた。
「あ、そうそう。初だった。別のカフェだよな、ホラ、駅中の」
「あー……、うん。行ったことあるけど」
「だよな、あそこもタブレットだった。な、な?」
「はー、覚えてない」
「なんだよ、思い出してくれよぅ」
何やら御堂と加川さんが揉めている……。そっちに気を取られていた。
「ひゃうん!」
ヤバ。変な声を出してしまった。なぜなら、テーブルの下に下ろしていた一條さん側の手を! 彼女はニギニギしてきやがったからだ。
彼女のほうを見ると、まるで純粋無垢な笑顔を向けてくる。
「えへぁ……」
「あわ、あわわわわわ!」
な、なんてことだ……ッ! 彼女の一撃死の大魔法! 俺の心臓は止まり、血液は完全に凝固して、その進行を止める。結果──、無。
俺の顔、完全に仏。全宇宙と一体。ただただ、空をさ迷うよう。
その手のぬくもりを解除するためには、いつもの征服のキスを──。
いいやダメだ! ここは、その環境じゃない! 一條さんめ! やったな!? ここを決戦の場としたんだな!? 俺を殺すために……!
「にゃんごろ、ずでーん」
はっ!? 最初は意味が分からなかった。手のニギニギは解除され、ホッとしたのも束の間、一條さんの姿が視界から消えた!
だが──!
一條さんは消えてはいなかった──ッ!!
一條さんは、ボックス席をいいことに、靴を脱ぎ、寝転んで俺の膝に頭を乗せてきたのだ!
し、白目……。な、なんですか、この生き物は。ただの愛玩の生き物なのですか? おお神よ、あなたなのですか!?
「空きゅん、もうだめぇ、頭ナデナデしてよぅ。お願い~」
な、なんというバカップル! しかし、この牝毒竜の毒気をまともに吸い込んでしまった俺は、彼女の小さな頭に手を伸ばし、撫でさすってしまった!
「あーはははは、瑠菜は可愛いなぁ」
「んん~、ゴロゴロにゃんにゃん」
か、かわい過ぎる~。完全に俺は落ちた。そもそも、こんな美麗な一條さんの嘘告に抗うなんて、無駄な抵抗だったのだ。
俺は負けた。完全無欠な敗北。
さあ、一條さん。勝利宣言するがいい。『この男は、我が魅力の前に自ら屈した! 我が軍の大勝利である』と!。
「ん……?」
「あわわわ!」
し、しまった! 気を抜いた。確かに気を抜いてしまったんだ。
だから、膝の上の一條さんの頭はいち早く気付いてしまったろう。
てゆうか、股間の上の一條さんの頬。そこに跳ね橋のように跳ね上がった俺の体の一部が当たっているぅーー!!
「お待たせしました」
「ひゃん!」
た、助かった……。のか?
ウエイトレスさんが飲み物を持ってきてくれたお陰で、一條さんが跳ね起きてくれた。か、神は我れを見捨てなかった。
加川さんと御堂も、揉め事を一時休戦し、加川さんは一條さんに言ってきた。
「ちょっと、瑠菜? 公共の場でそーゆーことしちゃダメでしょ。止めてよね、恥ずかしい」
「えあ! ごめんね……」
「分かればよろしい」
ホッ。加川さんも、さすがに今の攻撃は世間の目の範疇からずれていると感じてくれたのか。案外彼女はまともなのかもしれない。
ん、ん、ん?
俺の腕に何かのしかかるものが……?
「んぎぎぎ、怒られたぁ~」
一條さんだった。俺の腕に顔をすがり付けながら手で俺の腕を引っ掻いてる。
はぁ~、なにこの可愛い生き物。ずっと見てられる。
いや違う! そうじゃない! 加川さん! これは注意しないの? 紅茶飲んでっけど?
「もぉ~う、空くんだって悪いのにぃ! 私ばっかり怒られたぁ! バカァ! 空くんのバカァ!」
う、うごごごごご……。も、もう無理かも知れない。もはや、この魔獣を止める手立てはないのかも……。
一條瑠菜、恐るべし!