第五十三話◆一條悟
俺は中東に行くための準備と言うことで、会社から幾日か休暇をもらって準備していた。そんな中、思い立って空の家である森岡家へと電話をした。
空のお父さんは気さくな方で、出張前にお会いしたいと申し入れるとすぐさま応答してくれた。
「うちの方ではいつでも大丈夫です。もしよろしければ妻にも休暇をとらせ、我が家で飲みながらお話しませんか?」
「お、飲みながらですか?」
「お嫌いですか?」
「いえまさか。大好きです」
「それはいいですな、私も好きです。ビール党なんですが、一條さんは?」
「いやぁ、なんでもいけます」
「それは頼もしい。では、今週の金曜日、子供たちが学校に行っている間なんてどうでしょう?」
「おお~。真っ昼間からとは、バチが当たりそうですな」
「そうですね。バチが当たる前に好きなことをしましょう」
「はい。では金曜日のお昼頃に伺います」
これはいい。両家の仲が深まるというのは良いことだ。空は将来、瑠菜と結婚したいと言った。そんな空の家族と仲がよくなり、酒のやり取りなんぞで行き来できたら最高だ。俺は金曜日を楽しみに待った。
その日は瑠菜の学校は文化祭初日で、みんなで仮装をして街を練り歩くのだそうだ。俺が森岡家へと行く途中では、ちょうど仮装行列は学校への帰り道だったらしく、行列に紛れて娘の姿を探すと、なんとも美しいウェディングドレスに身を包み、空に手を引かれながら踊るように歩いている。俺は目頭が熱くなり、彼らに見つからないように身を低くして涙が溢れないように目を抑えた。
そうして森岡家の門をくぐると、森岡家の旦那さんと奥さまは歓待して迎え入れてくれた。
「初めまして、一條瑠菜の父で、一條悟といいます」
そう言って、持参した赤ワインを差し出すと、旦那さんは笑顔を受け取りながら答えてくれた。
「おお、これはご丁寧に。私は森岡空の父で陸と申します。本日はお越しくださり誠にありがとうございます。ささ、どうぞ中へ」
そしてリビングへと案内してくれた。テーブルには旨そうなつまみがたくさん並べられている。なんでもご夫婦お二人で朝から作られていたのだとか。これは嬉しい馳走だ。
やがて三人で飲み始め、なんとも楽しい雰囲気に声も大きくなったが、言わなくてはいけない。
「実は陸さん」
「どうなさいました、悟さん」
「私は出張で、中東地域に行かねばなりません」
「おお左様ですか。それは大変ですな」
「それがその地域とは、少し危険な場所でして、私も多少心得があるものの、生きて帰れる保証はありません」
「ええ!? それはまた厳しいお話ですな。どうしてもそこに行かねばなりませんか?」
「はい。そこで、お願いがございます」
「な、なんでしょう?」
「お宅の空くんと、当家の瑠菜は恋人同士であり、将来を誓い合ってるそうでございます。とは言え若い二人です。いつケンカ別れなどするか分かりません。しかしですね、空くんはとても誠実な男でありまして、逆に当家の瑠菜が恋人など甚だ恥ずかしい限りです」
「いえいえ、瑠菜さんはとても可愛らしいお嬢さんで、当家の空なぞを見初めてくださり、感謝しかありませんよ?」
「いやぁ、嬉しいお言葉を頂戴いたしました。もしも、二人がこの先、結婚したいと言いましたら、是非ともそのようにさせてやりたいと思います」
「そうなれば、なんと嬉しいことでしょう」
「私はそれを見れないかもしれません。そこでお二人にこんなことを申し上げるのは大変恐縮ではございますが、私の代わりに二人の結婚を許して上げて欲しいのです」
「ちょっと待ってください。悟さん、縁起でもないことを言わないでください。必ず生きて、二人の結婚を祝福しましょう」
「ええ、私とてむざむざ死ぬわけには行きません。必ず戻ってくる気ではおりますが、これは覚悟です。万に一つではあるとしても、森岡家のお二人に私は二人の結婚を祝福していたと、その覚悟を受け取っていて欲しかったのです」
「それは──、もちろん」
「実は私の妻の実家というのが多少厄介な名士でして、孫の瑠菜を大変に可愛がっておりまして、自分が決めた婿でなくてはいかん、などという人でしてな」
「え? そうなのですか? それでも、私は二人を守りますよ」
「そのお言葉を待っておりました。これで心置き無く出張に行けます」
「なんだ、そんなことですか。任せてください。どんな風にされようとも、瑠菜さんは当家の嫁として守ります」
「ありがとうございます。いやぁ、今日は過分に御酒を頂戴して長居しました。まさか、子供たちが帰ってくるまでおれません。今日のところは退散いたします」
「いやいや、ゆっくりして行ってください」
「いえいえ、続きは出張から帰ってからに致しましょう」
「おお、そうですか。では必ずですよ。必ずこの続きをしましょう」
俺は陸さんとの名残を惜しみながらソファーから立ち上がった。お二人は玄関まで見送ってくれるということで、共にリビングを出たが、しおらしいことを言ったためか、みんな言葉が出ないまま玄関まで進んだ。
その時だった。やや急ぎ気味に玄関のドアが開いたかと思うと、瑠菜と空が玄関に入ってきて、体を密着し俺たちの目の前で熱い口付けを始めたのだ。俺たちは目が点になり、その場にただ立ち尽くしていた。
二人は自分たちの世界にいるようで、目を閉じたままこの後があるように互いの体をまさぐっている。俺から言葉が漏れる。
「──何やってんだ、瑠菜?」
その瞬間、二人は飛び上がってフルフル震えながら俺たちの方を見て歯をカチカチ鳴らしながら真っ青になっていた。
「きゃあ! 止めて! パパ!」
ハッと気付くと、俺は空のご両親の目の前で空の首根っこを片手で掴み上げて天井近くまで吊り上げていた。空は意識を失って白目になっていたので慌てて介抱した。
だって娘のこんな場面を見せられた親ならそうなるだろう? 空は瑠菜を壁に押し付けながらキスをしつつも、両の手で瑠菜の尻肉を鷲掴みにしていた。
さらに瑠菜は、はしたなくも空の前に手を添え上下にさすっていたのだ。
これは──、これは確実に二人は一線を越えており、今日も俺たちがここにいないと思い込んで、メイクラブに及ぼうとしていたのだろう。
チクショウ! 門限を18時にし、デートも制限していたが、二人はいつの間にか、そういう仲になってしまったのだ。
いつだ? いつ、こいつらが二人きりになる時があった?
そうだ! 俺と香瑠が二人でデートしたとき! あの時、二人はリビングで映画を見ていたと言っていた! だが、それを信じたのは間違いだった!
アイツらは、あの時男女となったのだ。くおおおおお! そういうことか! 甘かった。空を信じた俺の誤りだ。空は俺の目を裏切って愛娘をかどわかしたのだ……。




