第四十七話
どこのタイミングで帰ったのか覚えていない。俺の意識は真っ白というか、真っ黒というか、とにかくぶっ飛んでいた。
家に入り、母から一條さんにちゃんと御馳走を言ったのかを聞いてきたが、まともに答えられずにベッドに突っ伏してしまった。
一條さんは、俺が中三の時に転校してきた。それはお父様の会社都合。お父様は本社の営業部長で、こちらの営業所の所長であるらしかった。
それでももう転勤はなく、本社も家から車で行ける距離なのでここに家を買ったとのことだった。
だから一條さんは、ずっとここに住むものだと思ってた。そして大学には二人で他の地域に行って一緒に暮らす……みたいな感じだと思ってたんだ。
あと一年とちょっと。一年とちょっとだけなんだ。それなのに、彼女は外国に行ってしまったら……。俺たちはどうなってしまうんだろう。
「うぇーい。今日のデートどうだった? 私の作戦で外には出れたでしょう?」
そう。この妹の海の作戦だった。今日の幸せなデートも。こやつは悪魔ながら策士の才能はある。コイツならあるいは、素晴らしい作戦を思い付くのかもしれない……。
「デートは最高だった」
「そりゃおめでとう。でもなんか暗いよ? ひょっとして一條さんがどこかに転校しちゃうとか!?」
くっ! コイツ的確に当ててきたぞ? 今まではまったく見当違いのことを言ってきたクセして、こう言う時だけ悪魔的カン! じわじわと俺の心を削るつもりなのだ。
「実はそうなのだ……。瑠菜のお父さんは仕事で中東に行かねばならん」
「えー……。それはキツい、ね……」
「うん?」
「でも、さすがに一條先輩はこっちに残るんじゃない? 学校もあるし、進学するんでしょ?」
「そ、そうか!」
「聞いてみたら? トークアプリも電話もあるでしょう」
「そ、そうだな」
俺はベッドに腰を下ろし、スマホを手に取る。妹の海は隣に座った。スマホの待ち受けには笑顔の一條さん。俺はトークアプリのアイコンの上へと指を進めたが、それを止めた。
「どうしたの?」
「いや……。こう言うのはやっぱり目の前で聞いたほうがいいと思って」
「うん、そうか。そうだよね」
そうなんだ。こればっかりは一條さんを目の前に話したい。文字や電話では表情が伝わらないし、失礼だと取られてしまうかもしれない。
次の日、学校。一條さんは、少し遅れてやってきた。そして休み時間は職員室へ。一條さんの顔が暗い。重く沈んでいることが分かる。
職員室。それって、転校の手続きなのか? 一條さん。俺から……、俺から離れていってしまうのか?
まったく話すことが出来ないまま放課後、本来は文化祭の準備があったが、無理して休ませて貰うことにした。帰ろうとする一條さんを追いかけ、いつものキスする公園でその背中に追い付くと、彼女は振り返り俺だと分かるとこらえていた涙が溢れだして、俺の胸にすがってきた。
俺には彼女の背中に手を回して抱き締めることしかできなかった。ひとしきり泣いた後で、彼女は聞いた。
「空くん、文化祭の準備は?」
「いや、今日は休ませて貰った」
「どうして?」
「瑠菜に、瑠菜に会いたくて。瑠菜と話をしたくて、さ」
一條さんは、少し黙った。そして、泣き腫らした目を俺のほうに向けて笑ってくれた。
「えへぁ……」
「瑠菜……」
「空くん、瑠菜いやだよ。大好きな人と離ればなれになるの……」
分かった。それで、全てが分かってしまった。
俺は一條さんの手を引いて、自分の家へと連れてきた。そして自分の部屋に。
思えば俺は卑怯なヤツだ。彼女の告白の後でこの家に連れ込んでキスをした。そして今も、彼女を抱こうとしている。
一條さんは、理解したのか俺になされるがままだった。俺は泣いていた。この可愛らしい人と離れ離れになってしまう。
この腕の下にすっぽりと隠れてしまう小さな彼女。その人が、遠くに、遠くに行ってしまう……。
初めての二人の行為は、嬉しいとも楽しいともつかず、多幸感に包まれるようなものでもなかった。
ただ、自分たちの心の隙間を埋めるために密着した。それだけだった。
俺たちは小さなベッドの上で一緒にいれるわずかな時間を抱き合った。いつものイチャイチャはそこにはなかった。
「いつまでこっちにいれるの?」
「それは……文化祭が終わるまで……」
「そっか」
「それまでも、引っ越しの準備で少しだけ休むの」
「そっか……」
俺は彼女を抱き締めた。瑠菜を力強く。こうしていれば、ひょっとしたら俺たちは一人になれるかもしれない。そしたらずっと一緒にいれるのに、な。
昨日まであんなに幸せだと思っていたのに。幸せしかないと思ってたのに。
それが今では少し先も見えない。白くボヤけて、未来が見えない。
俺たちの未来、どうなってしまうのだろう。俺たちは結婚の約束をした。だけど、何年も向こうにいたら……。
遠い。余りにも遠すぎるよ。この悲しみを何年も何年も抱いて生きて行かなくてはいけないのだろうか?
「瑠菜、愛してる」
「え?」
「キミを愛してる。キミだけを……」
「えへぁ~、嬉しい」
「うん……」
「空きゅん、あんまり好きとか愛してるとか言ってくれなかったもん」
「そっか……」
「うん」
「そうだったか」
「えへ」
「ずっと、ずっと言うよ。キミを愛してる、愛して──。だからずっとそばにいて……」
「……そうしたいけど」
「うん」
「それは現実的に無理っていうか……」
「そうだよな──」
彼女を家まで送った。文化祭当日まで休むらしい。文化祭を全て忘れて楽しもうと約束して、俺たちは別れたのだ。




