第三十七話◇加川美羽
はぁ。あたしはため息をついて走り去る空くんの背中を見ていた。なんかドキドキ。でもちょっとやり過ぎた。ちょっとどころじゃない。暴走した。いくらなんでも、空くんは瑠菜の彼氏だってのに。これじゃ、あたしが空くん好きなのバレバレじゃん。
はーあ、自己嫌悪。でも空くんと二人で写真撮っちゃった。めっちゃ嬉しい。保存版にしよ。
あたしがスマホを操作していると、目の前が少しだけ陰る。明らかに誰かの存在がそこにあるのが分かった。あたしは少しだけそちらに目をやって、すぐに視線をスマホに戻した。
「なんだ、修斗か」
「か、帰ろーぜ……」
修斗は、あたしの家のある駅から次の駅。同じ電車に乗る。あたしはカバンを取って、立ち上がって伸びをした。
「うん。今帰り?」
「いや……」
「どうしたの? 歯切れ悪いね」
「俺も……、20時に部活終わったんだ」
あたしは興味なさそうに修斗を置いて、先に歩き出すと修斗は急いであたしの側に並んだ。
「何? あたしと空くんの後を着けてたってワケ?」
「いや、まあそういうワケじゃねーけど、偶然そうなっちまって。邪魔しちゃ不味いかな、と思ってよ」
「らしくないね」
「……だな」
「逆に割って入ってくれれば良かったのに……」
「ん……?」
「なんか、ますます、好きになっちゃって、ダメなの。あたし、このままじゃ……」
「そっか」
沈黙。いやな沈黙。どうにもならないような。誰にも解決できない沈黙だ。
あたしと瑠菜、瑠菜と空くん、空くんとあたし……。だって、空くんは瑠菜が好きなんだもの。瑠菜は気付いていた。空くんの魅力を。あたしは空くんの魅力に気付かなかった。陰キャで目立たない人、それだけの印象だった。瑠菜が空くんを好きにならなかったら空くんの存在に気付きもしなかった、あたしの負け──。
二人は好き合っていて、あたしが付け入るところなんてない。空くんだって、瑠菜の友だちだからあたしと仲良くしてるだけ。でもあたしは、空くんの優しい気持ちを利用して、こっちに顔を向けようとしている卑怯な女。自己嫌悪だ。
ダメだ、ダメだ、ダメだ。
ズルい、ズルい、ズルい。
心が叫んでいるのに、あたしの中の空くんが大きくなってしまう。だからといって瑠菜から奪うわけにもいかない。瑠菜と別れたからといって付き合うワケにもいかない。あたしの恋心の行く先は完全に塞がれてしまっている。
あの時──。瑠菜より先にあたしが空くんに告白してたら、受けてくれただろうか? どうにもならないif、もしもなんてこの世には存在しない。小説の世界ならループして人生戻るなんてことあるかも知れないけど、さ。
そしたら、そしたら、さ……。
あたしと付き合った空くんは、瑠菜とも親友になっちゃうワケでしょ? そしたら瑠菜は仲良くなる空くんに自分の気持ちを。そして、空くんは瑠菜に秘めたる思いを持ってるワケだから、結局あたしはフラれて、瑠菜との友情も失う。はー、どっちにしてもダメなワケだ。
高一のとき、オシャレでカッコよくて、他の女子に人気がある修斗から告白された。すぐにその場でオーケーをした。夏休みに入り、付き合ってから二週目で女にされた。それを誇らしいとも思ったし、修斗を独占できると思ってた。修斗と一緒にいることにステイタスを感じていたんだ。
最初の修斗は百点だった。紛れもない最高の男。あたしを恋の世界に連れていってくれた。でも会うたび、話すたび、身を重ねるたび……。
修斗の点数は少しずつ減っていってしまった。あたしの魂が減点したのだ。やがて三十点を下回ったときにはどうでもよくなった。一人のほうがいいと思って別れを告げた。
別れてしばらく経った後、反省して再告白してきて、少しだけ点数は回復した。おそらく、このままだと付き合うのかもしれない。でも修斗は僅か一年で点数を赤点まで下げた男だ。将来が見えない。今後も浮気するだろうし、あたしをぞんざいに扱うだろう。だから点数の伸びも悪い。今のところいいとこ40点だ。
空くんは、最初は零点だった。存在すら興味がない。でも少しずつ上がって、今ではその存在を目で追っている。
あたしは夢想する。空くんとの未来を。二人で仲良くキッチンに並び、彼はトイレ掃除なんかも率先してやってくれる。あたしは彼の前だと飾らない。下着姿でうろついて抱き付いたりする。それを一緒に楽しく笑い合う。そして夜は、彼の腕に包まれている。その胸の下に──。
その時だった。あたしと修斗の間に割り込むように人が入ってきたので驚いて固まってしまった。それは修斗の所属するサッカー部の女子マネージャーだ。彼女は一つ下の後輩で、修斗の腕に絡み付いていた。
「御堂先輩みーつけた!」
「う。と、戸田」
「ヒドイですよ、さっさと帰っちゃうなんて。他の人は手伝ってくれましたよぉ~」
「い、いやそれは悪かった。だけど今は遠慮してくれ」
そういうと、戸田という後輩はチラリとあたしに視線を送って、すぐに修斗に顔を戻した。
ハイハイ。修斗が好きなのね、どうでもいいよ。あたしを巻き込まないで。
「別れた人に執着してちゃダメですよ、先輩。加川先輩も迷惑してますし」
「おい、止めろ」
「いいじゃないですか、一緒に帰りましょ?」
「止めろ!」
あまりにも大きい声で、あたしはイラつきなんかも吹っ飛んで修斗のほうを見ると、修斗は彼女から腕を振りほどいて、あたしの後ろを回って逆隣りに並んだ。
「邪魔すんなよな。美羽が好きなんだ。一緒の時間が今くらいしかないんだ。だから止めてくれ……」
そう言われた彼女は、顔を真っ赤にして怒り、走って改札まで行ってしまった。あたしはため息をついて修斗を見る。
「何やってんの? あんな可愛い子に言い寄られてんのに。あたし、逆恨みされたくないんだけど?」
「それは悪い。だけど、俺にとって大事な時間なんだ」
「ふーん」
触れるか、触れないかの距離。あたしたちはそのまま同じ電車に乗り込んだ。少しだけ混んでいたが、一つだけ席が空いている。あたしは迷わずそこに座る。
「あんたは足腰鍛えないとね」
「おう、サンキューな」
イヤミを言ってやったのに、修斗は微笑んでいた。ついついその顔を見続けてしまった。あたしは思い直してスマホを取り出して、空くんとの画像を見てやろうとしたが、手を止めた。修斗は吊り革にぶら下がって私を見ている。優しい目で。
電車が走り出そうとする前に、あたしの隣のおばあさんが立ち上がって、修斗の腕を引いた。
「恋人なら隣に座ったら?」
と微笑んでいる。回りからはクスクスと笑い声が聞こえた。それは嘲笑というものではない。微笑ましいと言ったものだった。しかし、修斗は赤い顔をして断った。
「い、いえ。大丈夫ですので、おばあさんどうぞ」
「遠慮しなくてもいいのよ? 隣にいたいでしょ?」
「いや、俺たちは友だちで……。足腰も鍛えなきゃなんで」
「あらそう? 逆に悪いことしたわね」
そう言っておばあさんは座り直した。修斗は、恥ずかしいのか赤い顔して、吊り革にぶら下がって、あたしの顔を覗いている。あたしはため息をついて、少しだけ笑った。
「変わったね?」
「そうか?」
「うん、いいんじゃない?」
「元々臆病なんだよ」
「そのほうがいいよ」
「おう」
そして、電車は私の駅に停まる。私は修斗の隣を通り過ぎながら小声で言った。
「40点から65点」
「え?」
「ふふふ」
ホームに降りて修斗を見ると、赤い顔のまま呆然としていた。
ま、頑張って振り向かせて見せてよ。御堂修斗くん。




