第三十話
その晩、一家揃った夕食後、俺と妹の海は二階にある自室へと上がる。だが俺だけ父に止められた。海は気にして振り返ったが、トントンと階段を上る音がした後、父は話し始めた。
「あー、なんだな。空の彼女の瑠菜さんはかわいらしい女性だな」
「うん……」
「まあそのお、お前は大人しいと思って心配はしていなかったが、彼女と付き合いだしてお前も大人になったんだろうが……」
「うん……」
「まあ、余り情熱が盛り上がりすぎてはいかん。お前に誤りがあったら、父さんや母さんは当然頭を下げる覚悟はあるさ。親だからな、最後までお前の味方であるつもりではあるがな」
「はい……」
「でもなあ、恋愛の行き着く先はそこでもだな、結果、瑠菜さんの体を傷付けるようなことになるかもしれん。そこは慎重にな。責任を取るなんて言葉は簡単だが、決して責任を負うということは簡単じゃない。間違いは起こさんでくれよ」
「うん、分かったよ……」
俺は許されて自室へと入った。
重! なんですか、それー! 重いよ、言葉が! くそう、母さんめ。チクりやがったなぁ~。
うん、でも、そうなんだよな~。俺はまだ責任を取れる年齢じゃないし。
はあ、テンション下がる。迂闊だった。アレを見られちゃったのは、俺のミスだよな。ギリギリでもよかったのに。
でも忘れちゃって思うままにしちゃってたら、それこそ一條さんを困らせてしまう。悩ませる結果になってしまう。
うん、これはなるべくしてなった結果なんだ。逆に母さんに見つけてもらって良かったのかも。
そんな思いを抱いたまま、日常の生活。ぼーっとしてるのが多くなる。一條さんの話にも上の空で、一條さんは俺と絡めている腕を引いた。
「ん!? ど、どうした? 瑠菜?」
「なんか空くん最近おかしいよ? なにかあったの?」
「ん? いやあ、別に……」
「なんでも話してよう。瑠菜、空くんの力になりたいの」
俺は立ち止まって、一條さんの顔を見る。そして、いつものキスをする公園に彼女を連れていった。
一條さんは、木陰でキスするものだと期待しているようだったが、俺はベンチに座った。彼女はなぜか焦っているようだった。
「ほら、瑠菜も座って」
「や、やだ」
「どうして? ちょっとお話するだけだよ?」
「空くん、瑠菜、変なこと言った? 悪いとこ直すから、別れるなんて言わないでえーー!」
一條さんは、少し涙混じりに言ってきたが、俺は彼女が可愛くて思わず吹き出した。
つまりこうだ。一條さんは、最近の俺のテンションの低さは別れを考えていると思ったということだ。逆なのに。思いすぎてキミの体を壊してしまうのではないかという不安。抱き締めたいのにそれが出来ないジレンマ。
不安そうな一條さんに、俺は言った。
「いや、実はさ……」
それは間違えないように、事前にバッグにしまいこんだものが、有給の母に見られてしまい、父に咎められたということ。
一條さんは、ホッとした顔をして笑顔になった。
「なーんだ、よかった」
「俺が瑠菜と別れるなんてないよ~」
「そっかあ、よかった」
「でも週末のお約束はやめといたほうがいいな」
というと、彼女は少しだけ黙ってしまった。やがて彼女から、鼻をすするような音が聞こえる。
「やだあ……。やだよぉ」
「え? いやちょっと延期するだけだよ?」
「だって約束してたじゃん……」
「いや、そうは言っても、さ」
「空くぅん、やっと空くんと一つになれると思ってたのに。瑠菜、悲しいよお」
一條さんは、下を向いてしまった。すんごい罪悪感。でもさ、キミと合意の上で、そーゆーことするのは簡単だよ? でもまだその時じゃないよね。
俺だって同じ気持ちだよ。でもまだ付き合ってそんなに時間も経ってないし、キミのお父様にはお叱りを受けるし、嫌われてると思う。
「ねえ瑠菜、聞いて」
「なに……?」
「俺たち、まだ付き合って、全然時間経ってない。それに、キミのお父さんとは信頼関係を築き上げてる真っ最中じゃないか」
「うん……」
「瑠菜がしたい、気持ちも分かるよ。俺だって瑠菜とそういうことしたい。でも、今は我慢する時だと思うんだ」
「そっ……か」
しばらく黙った彼女だったが、そのうちに上目遣いで俺を見てきた。
「でもね、今週末はすごいチャンスだと思うの」
「ん?」
「パパもママもいないし、二人っきりになれる時間は長いし、二人で気を付ければいいと思うし、黙ってれば分からないよ?」
「もしもし?」
「だって、楽しみにしてたもの。約束だったもの。いつかは通る道だよ? 空くんと一つになりたいよ、瑠菜」
「うご! うごご……」
「ね、可愛い下着も着けるんだ」
な、なんて可愛らしい顔! エロす! エロすだぞ、一條さん! なんつー、力説! なんつー、プレゼン力!
か、可愛らしい下着! そ、それだけじゃない。普段見れない前人未踏の地が、服の下にあるんだよな。
この毎日合わせている唇の下には、二つの霊峰、有為の奥山……! さらにその下には理想郷、楽園、桃源郷……!
は、鼻血が出そう。俺は空を見上げて首の後ろをトントンと叩いた。
「ずっと想像してたの、空くんのセクシーなとこ! 瑠菜、見てみたい!」
ズキューン!!
こ、殺し屋……! 心が撃ち抜かれた。今までの悩みが吹っ飛んだ。もうダメだ。そもそも、一條さんのことを理性で押さえつけるなんて無理な話なのだ。
「んんん! 分かったよ瑠菜! 俺、週末、精一杯瑠菜を愛すよ!」
「やんやん、空きゅんのエッチい!」
もうエッチでもなんでもいいやい。一條さんとこれ以上仲良くするんだい!
◇
週末、土曜日。一條さんから、お父様とママさんが車に乗ってデートに出掛けたと連絡が来たので、マッハで一條家に到着。出迎えてくれた一條さんの服装、かーわいい。
この日、この時、初めて一條家に足を踏み入れました! 前は玄関までだったもんな~。ふーん、ここで一條さんは生活してるんだねえ。
お父様もママさんもいないということに、余裕もあり気持ちも大きくなっていた俺はそこで一條さんにキスをした。
「ん……」
一條さんから声が漏れる。今日という今日は遠慮なんていらないんだもんね。約束だ、約束。俺たちは今日結ばれと約束したんだ。
俺はさらに一條さんの腰に手を回し、自身の腰を擦り付けたが、なぜかうまくすり抜けられてしまった。
あれ……? なんか様子が変だぞ? いつものしゅきしゅき感が少ない?
「そ、空くん、リビングのテレビで無料コンテンツの映画かなにか見る?」
「いやあ、見るなら瑠菜のお部屋が見たいなあ」
いや、良かったらもう下着も……。なーんてね。だって、ホラ。約束だもん。
「え? へ、部屋?」
「ん? ダメ?」
「ううん。ダメじゃない……」
そうでしょう。なんなら、一日中部屋でいいよ。俺は一條さんの後ろについて、二階にあるという一條さんの部屋に向かったのだが、何かがおかしい。
この距離感。いつもの一條さんなら『やんやん、空きゅん抱っこしてお部屋に連れてってえー!』とか言うのに、触れるか、触れまいかの位置。
どうした、一條さん! いつものキャラじゃないぞ?
俺を部屋に招き入れた一條さんは、俺を部屋の中央に入れただけで、自身は入り口に立っていた。そして目を合わさない。ベッドに一緒に座るものだと思っていたが、何をするって訳でもない。
「瑠菜?」
と呼ぶと、少しだけ体を震わせた。そして言う。
「こ、ここが部屋。あの……、リビングに行かない? 瑠菜、見たいのあるし……」
どうした、この態度。緊張とも違う。部屋に留まりたくないみたい。だって今日は二人の初めての日にするんでしょうに。急に怖じ気づいちゃった?
俺は一條さんの手を掴んで引き寄せた。
「きゃ……!」
「どーしたの? 怖くないよ。優しくするから」
「だ、ダメ」
「あはは、ずでーん」
俺は一條さんを抱いたまま、彼女のベッドに倒れ込んだ。すると、彼女の目の焦点が合わない。なにやらおかしいので聞いてみた。
「どうしたの?」
「あ、あは……。あはは、空くん……」
「なに? おかしいよ?」
「あの……。瑠菜、なっちゃった」
なっちゃった? えーと、それは、女性特有の日というやつで、一度なるとしばらくなっているという例のアレですか……。
俺の思い続けていたエネルギーの行き場は、彼女の唇を吸い続けることだけだった。
あーん、瑠菜ちゃーん。瑠菜ちやーん。
ちょっとだけ胸を触ろうとしたが、それも拒否された。その気になっても出来ないので、その気にさせないでということだ。俺のユニコーンも叫んでる、あんまりだあああ!
それから俺たちは、気を取り直して二人でスーパーへと買い物。昼食はカツカレーを作るのだ。
二人で下ごしらえをして、一條さんがカレーを、その横で俺はポテサラを作って、トンカツを揚げた。二人で頑張りました。エッヘン。
そして仲良く昼食。
「うんめえ!」
「ホントだ」
「瑠菜は料理、ホント上手だね」
「やん。将来は期待しててね」
「期待、するする」
そして、俺は一條さんへ顔を近づける。
「あと下着も期待するする」
「やん、エッチ」
「えへへへへ」
で、その後はリビングで仲良くソファーに座りながら映画を見た。その間、寝転びながら抱き合って密着しました。密着最高です。
まあ、少しだけ結婚生活みたいなのを味わえたかな?




