第三話
お昼休み。一條さんは嬉しそうにトテトテと駆けて来て、俺の席に大きめの一つのお弁当箱を置いた。
俺の前の席のヤツは空気を読んで立ち去ってくれたが、俺を睨んでいた。
はは、そうでしょうねぇ。
一條さんは、お弁当箱を開けて俺へと突き出す。
「さ、どうぞ! 瑠菜ちゃん特製お弁当でぇーす」
か、かーわいい! 可愛い。なにこの可愛さ。
たーー!! 待て待て、俺! これは偽りの仮面だと言うことを忘れるな!
この魔女は、俺に嘘告して、男子に嫌われるよう仕向け、少しずつ、少しずつ命を削って行く淫婦なのだ。
砂時計の砂が、一粒、一粒、落ちるように、俺の命を奪ってゆく──。
そうはさせない! 強気だ! 余裕だ! 隙を見せたら負ける。見せるな隙を!
「空くん、タコさんと、カニさん、どっちが好き?」
「えーと、タコさん」
「はい、ぢゃ、あーん」
「はーい。ぱく、んー、瑠菜にあーんしてもらったタコさんウィンナーは世界一おいちいなぁ」
「やんやん、ね、おにぎりも食べて、食べて!」
「え? 具、なんだろ~」
「えへへ、なーんだ。当ててみて」
「うーんと、モグモグ。あ、タラコ!」
「当たりでーす。ね、ね、もっと食べて!」
「あーりがとぉー!」
な、なんじゃこりゃー!! 俺、まだ死にたくねぇよぉ。
うう、はあはあ、クラス男子たちの視線が痛い。
そればかりか! 他のクラスからも見学に来ているものたちも出入り口から覗いている。
その時、俺たちの席の横を通過しようとした男がヂャラリと音を立てて何かを落としたのを一條さんが拾った。
「あれ? 鈴木くん、これ落としたよ」
「え? あ、ありがとう、一條さん、このチェーン、おじいちゃんの形見なんだ」
チェーン? うそだろ! なんだその野太いチェーンがおじいちゃんの形見って! 明らかに俺の頭をかち割る用だろうが!
「あ、落とした」
「俺も」
「拙者としたことが」
「ばってんがおいどんも」
見るとそこらじゅうの男子が、メリケンサックやらバタフライナイフやら脇差しやら棒手裏剣やらを、落として拾い上げていた。
「もーう、みんなおっちょこちょいなんだからぁ!」
一條さんがそういうと、みんな照れ笑いしていたが、そんな雰囲気になる? 今の落とし物……。明らかに異常でしょ? それに銃刀法違反だよね?
「ねね、空くん」
「わわ、なに? 一條さ……、いや瑠菜」
「今日も一緒に帰ろうね」
そうさせてください! 今のままじゃ、俺、殺される。一人になんてなれない……。
そして放課後。精神疲労が半端ないが負けてはいられない。
俺は一條さんの手を握る。それは恋人繋ぎでだ! 俺たちは恋人。その城だけは守りきらなくてはならない。崩した途端にこの悪魔は、魂まで抜いてしまう。
『きゃああ! 手も握らないなんて、やっぱり陰キャなのね!?』
『どうした、どうした、一條さん!?』
『このオジサン、陰キャなんです』
『なんだキミは?』
『そうです。私が陰キャオジサンです』
やってられるかー!!
こ、この淫魔に尻の毛まで抜かれてしまう。そうはさせない。決して譲らない、俺の尊厳を!
「さ、行くよ。瑠菜」
「うん!」
学校を出た。恋人繋ぎをしたまま。だがこれは、逆ボディガード。
一條さんが隣に控えている限り、一條瑠菜ファンクラブの連中に襲われることはないという算段。まさかあやつらとて、白昼堂々一條さんの前で襲撃などしてこまい。
その時だった──。フワリと俺たちの頭上を何かが飛んだ。俺と一條さんはそれを目で追いかけたが、俺は一條さんから手を放して駆け出していた。
そして、それが車道に落ちる前にそれをキャッチ。
「くそボーズ! 死にてーのか!!」
俺はスレスレで車道にでる前に立ち止まっていた。車道では、大型ダンプの運転席から、ガラの悪そうなおっさんが叫んで車を走らせていった。怖い。
「そ、空くん!」
一條さんは駆けてきたので冷や汗を拭いながら答えた。
「大丈夫だよ、一條さん。ホラ」
俺は彼女に掴んだものを見せる。それは帽子。道の向こうでは、その持ち主であるおばあさんが駆け足ぎみにこちらに向かって来るので、俺は迎えに行って、それを手渡した。
「おばあさん、どうぞ」
「ハァハァ、ごめんなさいね」
「いやぁ大丈夫ですよ」
俺はおばあさんの背中を見送った。おばあさんは何度も振り返ってお辞儀をするので、俺も笑顔で手を振っていた。
おばあさんが道の角に曲がってその姿が消えたので気づくと、一條さんは俺の制服の端を握っていた。
「ど、どうした一條さ……、瑠菜?」
「あ、あの……空くん、やさし……。かっこ、かっこ良かったよ……」
なっ。くゎ、可愛い~。なに、この可愛さ。世界三大美女、クレオパトラ、楊貴妃、一條瑠菜。それがこんな近くにいる~。
ちょっと待て! ストップ・ザ・俺!
可愛いが、一條さんは俺を嘘告で騙眩かし、命を狙う悪だと言うことを忘れてはならない!
危うし! なんとか気力で持ちこたえたぞ? なんなんだこの上目遣い!
蕩ける! まるで快楽を与えながら溶かし食らうスライムのように、俺の全身を包み込み、捕食するつもりなのだ。
負けるな、負けるな、まけ瑠菜。うぉい! 自分の鼓舞にすでに一條さんの名前を出しちゃってるよ!
「ちょっとこっちに来て!」
「きゃん!」
俺は一條さんを引き摺りぎみに、ひと気のない公園に入った。そして、大樹に隠れて彼女に口づけをする。
征服。俺は征服者なのだ。逆に一條さんに俺から呪縛をかけてやらなくては!
お前が何をしようと、何を企もうと、俺はお前の彼氏、付き合っているのだ。俺はいつでもお前の唇を奪える男なのだということを知らしめるのだ。
おらぁ! 一応舌まで入れさせて貰うよ。俺は俺様キャラ。俺は俺様キャラ。
一條さんは俺に服従しなくてはならない。姑息な企みなど決して受け付けないのだよ。
唇を離すと、一條さんの顔がいとおしくてたまらない。くっ! この顔! ズルい! ズルいぞぉ!
役得だ。もう一回しよう。これはもはや征服の為ではなかった。自分自身の為……。いつ一條さんに別れを告げられたとしても、この思い出だけは持っていけるように……。
時を忘れて一條さんの唇を吸う。ああ、なんて心地いい。これが本当に恋人だったら……。
だけど一條さんは、嘘告なのだ! 俺をもてあそんで楽しんでいる。クソ、クソ、クソ!
胸に黒い思いを抱いて唇を離す。一條さんから、少しだけ声と吐息が漏れた。
「空くん、エッチだぁ……」
「え、エッチ?」
「いーけないんだ、いけないんだぁ……」
「だ、だって恋人なんだから。いいだろ?」
「え? うん……」
「恋人だよね? 俺たち」
「えへへ……」
「はは……」
ちょっとなんですか、これぇ!?
この強大な魔物は、俺の心を溶かすことに遠慮がない。ズルい! 卑怯だぞ! 一條瑠菜!!