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感情の灯火

作者: 夏城燎
掲載日:2023/06/16



 ――涙が出なくなったのは、いつからだろう。



 もうすっかり忘れてしまった。

 人間である証の出し方。

 私が考える限りそれは確かに人間である印だった。

 涙は人の感情を表す表現する。美しい方法だった。


 淡い光に照らされて、荒れた土地を走りながら、何をしているのか理解できない自分にとって。

 涙は分かりやすい感情変化だった。

 来る日も来る日も何も出来ず。

 いつの間にか無くなってしまった右腕が、ただただ心を空っぽにしてくる。

 ぶらぶらと宙ぶらりんにされているような感覚ばかりで。

 ずっとこの世界に酔っていた。



 そんな私にその日変化が起きた。


 とことん寒い日だった。

 東から登る太陽が意味をなしていないような、そんな極寒の日だった。

 大風が窓を叩いて白い雪が外で踊り狂っている。

 そんな光景と共に、外ではびゅーびゅーと風が泣いていた。


 私が扉のノック音に気が付いたのは、十一時ごろだった。

 ふらふらとした足取りで朧気に聞き取ったノック音を胸に、私は玄関へ向かった。

 『恥の多い人生でした』と知らない誰かの迷言が額縁に入れられ壁に飾られている廊下を歩いた。


 特に吹雪と風が酷かったから。

 もしこのノック音が幻聴ではないのならば、外に居るナニカは助けを求めているのかもしれなかった。


「――――」


 そう思いながらも足取りは変わらず。

 ほこり臭い家を歩き、冷たいドアノブを掴んで回した。


 開けると共に無尽蔵に家に入ってくる粉雪が早くも玄関に積り始め。

 昼なのにすっかりと暗い外を見つめて、なんだ、気のせいか。って言おうとした瞬間。


「こんにちは」

「えっ」


 一点、玄関の暖かい光が私の足元を照らしていた。

 視線を下に流すと共に、その小さく可愛らしい頭が目に入って。

 思わず息を呑んでしまう。


「あの」


 そして、その子供は言ったのだ。


「家に入れてもらえませんか?」


 その子供は。

 ――血だらけの軍帽を被った少年は、背丈に合わない長物の銃を担いでおり。

 雪国らしい厚い制服に身を包んだ少年は、

 子供らしくない服装をしていたその少年は、




 子供らしく笑ったのだった。




――――。



「一先ず……君は?」

「僕の名前は……ライトと言います」

「……ライトくんと」


 血がしみ込んでしまった軍帽を膝に置き。

 雪を払ってから制服の上着を脱がせ、しかし、その下にあった小さな白シャツは泥で汚れていた。

 だから全て身ぐるみを剥がして、暖炉の火に薪を追加で入れておいた。


 全身が凍えているような見た目をしていた。

 要するに、少年は全身を震わせていたので。私は出来るだけふわふわで温かい毛布を用意し。少年の肩にかけてあげた。


 そういう作業をしながら。私は少年に話かけていく。


 思えばこの家への来客は久しぶりだった。

 人と話すのも、少し久しぶりな気がするから。子供に対し気遣いながら喋れる自信は、無かったけれども。どうやらこの子に対して気遣いなんていらない様で。


「戦場から来たの?」

「……はい。前線に少年兵として派遣されて、気づいたら吹雪で迷ってしまって。困っていたんです」

「そう」


 ここ周辺に戦場があったか覚えていないけど。

 この世界では案外、少年兵と言うのは当たり前の物だった。


 この国では今、戦争は起こっていない筈だけど。

 正直私個人のアンテナはあんまり信用できなかった。

 もしかしたら知らない場所で勝手に戦争が始まっていたのかもしれないし。

 若い私が招集されないのは。もしかしたら私がここに居ると誰も知らないからかもしれない。ここ半年は外部からの連絡を絶っている私だ。

 もしかしたら知らない間に、今この国では大変な事が起こっているのかもしれない。


「――――」


 例えそうだとしても、それは私に関係ない事だった。


「所属は言えるかい? おじさん、あまり情勢とか知らないけど。力にはなれると思うから」

「……忘れました」

「えっと。ドックタグとか、服に無いの?」

「ありません。僕らのような少年兵は、歴史に残すと良くないとか……」


 ガクガクと肩を揺らし、歯を鳴らしながら。少年は零す様に告げる。

 そんなにこの世界は腐ってしまったかと苦言を呈そうと思ったけれども。

 案外私が知っているこの世界も、少し、酷い物だった気がするから。

 これがこの世界では当たり前だとしか言えなかった。


「お湯を温めてるから少し待ってね」


 私は鍋に蛇口から出る冷え切った水を入れて、火にかけ温めてた。

 最近入ってきたガス式のコンロは便利なもので、ガスさえあれば照明も付ける事ができた。

 ただし使い勝手がいいかと言われると否としか答えられなくって。

 どこか不便さは残る物の。技術の進歩を勝手に感じていた。


「おじさん」


 すると少年が背後で呟いた。


「あれはなに?」


 振り向くと分かりやすく少年は指をさしていてくれていた。

 暖炉を中心にして丁度左へ視線をずらした先。キッチンとはまた違う部屋がそこにはあった。

 中の照明は付けていない筈だけど、どうやら部屋の中にある物の独特なシルエットが少年の興味を引いたらしかった。

 ああ、そう言えばドアを開けたままにしていたと思い出して、私はまた少年を背中に向けた。


「楽器だよ。もう壊したから気にしないで」

「がっき?」

「知らないのかい。まあいいよ。知らなくていい物だ」

「……なんで壊したの?」


 そう間を置いて聞いて来たけれども、


「話すつもりはないよ。言っただろう。知らなくてもいい物だって」

「……いじわる」

「好きにいいなさい」


 口を曲げてそう少年は言うけれども。

 私はそんなことはつゆ知らず。

 温めたお湯に牛乳やトウモロコシを入れて。

 子供が好きで定番なコーンスープを自作した。

 味に関しては正直自信はないけれども、冷え切った体にはいいのではないかと思ったのだ。


 多分ちゃんとした器具とかを使って具材の量を図るべきだったんだろうけど。

 なぜかそこまで気が回らなかった。

 ふわふわした感覚のまま私はコーンスープをお盆に乗せ。


「これを飲みなさい。温まるよ」

「……あ、ありがとうございます」


 私がキッチンからリビングへ戻り。

 左手で持ち上げていたお盆を机に置いた。


 外の吹雪がまた強くなった気がした。

 音が強くなっていたからだ。

 ここまで大荒れなのも久しぶりな気がする。


 私がお盆を机に置くと、小さな手がオロオロと伸びて来た。

 少年がまだ熱が伝わっていない。

 生暖かいカップを握ると。

 ふと、


「ふぅ……」


 安心したように息を付いた。

 猫舌なのか、必死に息をスープに吹きかけて冷やそうとしていた。

 熱々にして少しだけ申し訳ないと思ってしまったけど。ぬるいとあまり効果がないだろう。

 仕方がない。


「おじさん」

「ん?」

「あの写真は、おじさん?」


 私がソファーに腰かけて、自分用の毛布を足元に被せたとき。

 少年はまた分かりやすく指をさしてくれて。

 その先には暖炉の凹凸の上に飾られた家族写真が鎮座していた。


 思わず私は全身を脱力させて瞳を閉じるけれども。閉じてもなお感じる。目の前からの純粋な視線に耐え切れなくって。私はもう一度瞳を開いてしまった。


「あれは小さい時の私と、母と父だよ」

「……あれがおじさんなの?」


 あんな可愛らしい子からこんな髭おやじになってしまって。

 何だか申し訳ないと思ってしまった。

 でも時間は流れる物だ。

 人は成長するし、変わってしまう。私のようにね。


「君も知るべきだ。人は、いずれ人生に疲れてしまう時が、あると」

「あぁ。僕も分かる。疲れちゃうよね」

「分かるのか?」


 驚きだった。

 こんな少年も、人生に疲れるという人として末期的な思考に、理解できてしまうんだと。


「――――」


 でもそうか。

 こんな子供らしい見た目で、実際子供だけれども。彼は少年兵なんだ。

 苦労してしまっているのだろう。


「ここに来る前ね、僕は絵がすきだったんだ。でもね。みんな僕より絵がうまかった」

「………続けてくれ」


 少年は勝手に語り出した。

 勝手に語り出して、勝手に聞いてしまっている私。


 そんな私はその言葉を聞いて、勝手に、釘付けになってしまった。


「僕はいっしょうけんめい絵を描いて。色んな本を読んで、お父さんに美術館に連れて行ってもらって。頑張ったんだ」

「……」

「でもね。みんなの方が凄かった。僕は諦めたくなかった。諦めたら。おわっちゃうって。やめたくなかったから」

「………」

「でも、お父さんが戦いに行くことになった。そこでさいごに、言われたんだ」







「――ライトは頑張ったよ。でもねライト。努力に結果がついてこない事もあるんだ」







「………」

「お母さんにはね。お父さんは、諦めちゃだめだよって伝えたかったんだよっておしえてくれたけど。僕はそうは思わなかったんだ」


 暖炉の暖かさと共に、どこか体の芯が凍える感覚を抱いた。

 その話を聞いて。私は何か感想を言ったり。

 客観的視点から、『それは違う』と切り込むことすらできなかった。

 何故ならその話は。

 偶然か奇跡か、はたまた運命のいたずらか。

 殆ど、私と同じような物だったからだ。


「おじさんは何に疲れたの?」


 そう、また純粋な視線が降り注がれた。

 外の吹雪がまた一層、強くなった事を肌で感じる。

 右腕が無くなった出来事を話すのは、どこか抵抗があった。

 ――いや、あったはずだけど。

 今なぜか、この少年には、話してもいいのかもしれないと。

 心の底で思ってしまっていた。

 どうしてだろうかと考えてみるけど。

 やはり明確な答えは出てこなかった。


 だから迷いながら、ふと視線を巡らせると。

 先ほども見た家族写真が、何か一層と存在感を放っているような気がしてしまった。


「私は――」


 私は音楽をしていた。

 チェロは私の人生の集大成だった。

 小さな頃から憧れていて、いざ自分のチェロを持てるとなった時。本当に嬉しかったのを記憶している。

 練習した。

 何度も何度も、旋律を弾いて練習した。

 いつか見たオーケストラの様にいつか見たあの世界のように。

 そんな物を私は楽器で描きたくってがむしゃらに努力をした。

 でも結果はついてこなかった。


『努力に結果はついてこない』


 少年ライトの父の言葉が今の私にぐさりと刺さっていた。

 無くなってしまった右腕も。

 照明がついていない暗い部屋に、壊して捨てた私の集大成も。

 全部私だった。

 私は私を理解できなかったけど。

 私は私を、一番理解していた。


 音楽や絵や、そういう他人の感性の世界では。見えていないだけで。色んな人が挫折を繰り返している。

 終わりのないリレーは人生を削って。心をすり減らしていく。

 それに疲れたのだ。私は。


「だから私は、ただ君に同情するよ。ライトくん」


 この少年の苦しみを100パーセント理解したのかと聞かれれば。ノーと答える。

 何故ならそれは。私が、他人の感性を理解する能力が著しく低いからだ。

 悲しい事に。何度もそれで恥を作って来た。

 恥の多い人生でした。と遺言を書くなら残すくらいだ。


 ……あれ。


「………」


 吹雪が窓を強く叩いて、家が軋む音が聞こえ始めた時だった。

 ふと感じた違和感に何か引っかかる音がして。

 いつの間にか感じていた息苦しさに困惑していた。

 さっきまで朧気に感じていたぶらぶらと宙ぶらりんになっている感覚が、その瞬間だけ気持ち悪くなった。


 そんな私は思わず気が動転して、思わず左腕で顔全体を覆うけれども。

 目の前の少年はそんな私を見て不思議そうな表情をした。

 何が不思議なのかその時は分からなかったけれども。

 次の瞬間、少年はこう言った。


「おじさんはどうして、右腕を使わないの?」

「え?」


 右腕? だってないから。

 あれ。

 視線を巡らせて、ゆらゆらと、レンズブラーが掛かっている視界の中で。

 私はふと自分の右半身に目を向けた。

 そこには、一本の線の様に伸びていて、先っぽで絆創膏を巻いている五本の指が、綺麗に広がっていた。

 私が数年間共に過ごした。“右腕”が、確かにあった。


「おじさん? 起きてよ」




 ――朝だよ。




「えっ」


 暖かい光が顔面に当たって。眩しくて仕方がなかった。

 全身が重くて、今まで感じていた浮遊感が嘘のように無くなっていた。

 私は瞳を開くと、そこは知らない天井であり。同時にやってくる環境音に、私はギャップを感じて。ならなかった。


 夏の昆虫が奏でる合唱曲が耳に入ってきて、思わず耳を疑ったのだ。



――――。



「ジェイドさん。あなたは半年間、昏睡状態でした」


 私の名前はジェイド・ヌルム。

 どうやら私は、半年もの間“昏睡状態”だったらしい

 らしい。は実感がまだ湧いていないからだ。


 あの雪の家なんてものは最初から存在して無くて、あの時家にやってきた少年ライトもはっきりと覚えているのに。

 それが昏睡状態の夢だなんてまるっきり信用できないし、信じられなかった。


 言ってしまうけれども。

 私はあれをただの夢だとは断言できなかった。


 妙にリアルなあの夢の中で、どうして私は右腕を失ったと思っていたのか。

 どうして私は吹雪の中にいたのか。

 どうしてあの少年は私の家に来たのか。


 目覚めてからはそれしか考えていなかった。

 退院まで時間がたっぷりあった。だから私は一人で考えることにしたのだ。



 中庭の木が風に揺られて、小鳥がワルツを演奏していた。その下で私は、自分が体験した事をメモにまとめていた。


 まず私の名前はジェイド・ヌルム。

 しがないチェロの演奏者で、その時は自分の才能の無さに悩んでいた時期だった。

 チェロを担いでいつもの自宅から練習場へ行く途中。

 私は最近この国へやってきたと言う『車』とやらに轢かれ。そこから半年間意識が無かったらしい。


 そして夢の話だ。

 場所は少なくともこの国だったと思うけれども。

 季節は半年間ずっと猛吹雪で、来客が来ることもなかった。

 食べ物は……どうしてお腹が減らなかったか分からないけど、殆ど空腹になること事が無かったから食べていなかった。

 今思えばあの世界は確かに矛盾している。そう言う矛盾が、夢である事を証明しているのだが。

 でも、少年ライトはどう考えても夢じゃない気がして仕方がなかった。


 彼は少年兵と言っていた。

 その時は忘れていたけど、考えてもみればこの国では戦争なんてしていなかった。

 そう、おかしいのだ。

 戦争は私が生まれる前に終わっているのに。

 どうして戦時中の少年兵は私の夢にやってきたのか。


 そんな疑問が生まれたとき。私は駆け付けた母親からある真実を聞かされた。

 そして真実と共に。

 悲報が届いたのだ。


「二カ月前にお父さんが死んだ」



――――。



 父は病で倒れたらしい。

 その時の私は色んな事がありすぎて少し戸惑っていた。

 でも私は退院した瞬間、すぐさま母親の家に向かった。


 真実は小説より奇なり。


 私は家に向かった。全ての答え合わせをするために。



――――。



 チェロは事故で壊れてしまったけれどもこの半年間放っておかれていた訳ではなかった。

 一度壊れてしまったけど。

 母親が必死にチェロを直してくれる人を探してくれていたらしく。

 だから私が病院で目覚めたとき。

 壊れていたチェロは、すっかり綺麗に直っていた。

 これはあくまで蛇足的な話に見えるかもしれないけど。

 そうとは断言できなかった。


 母が必死にチェロを直してくれていたおかげで。

 私はそのチェロを持参し、墓場に持っていくことができたのだから。


 父はもう埋められていた。


 曇り空が印象的で、夏なのになぜか冷たい風が体を揺らしていた。

 小さな野原の丘を登ると。そこには十字架が建っていた。

 これが父だと最初は理解できなかった。


 記憶にある父は、どこか気難しい人だった。

 私がチェロの演奏者になると言った時は反対こそはしなかったけど。

 肯定もあまりしてくれなかった記憶しかない。

 でも私は、その墓場に来て、真実を確認し、そして涙が溢れた。



 ――涙が出なくなったのは、いつからだろう。


 もうすっかり忘れてしまった。

 人間である証の出し方。

 私が考える限りそれは確かに人間である印だった。

 涙は人の感情を表す表現する。

 美しい方法だった。


 淡い光に照らされて、荒れた土地を走りながら、何をしているのか理解できない自分にとって。

 涙は分かりやすい感情変化だった。

 荒れた土地、荒れた世界。

 その先にゴールがあるかは行ってみないと分からない。

 そんな世界にとって。

 涙は。

 分かりやすい。

 感情変化だった。



 どうして忘れていたのだろう。



『ライト・ヌルム。ここに眠る。』



 答え合わせをしよう。


 私は半年前事故で昏睡状態になった。

 そこから私は夢の世界で自分の殻に閉じこもり始めた。

 閉じこもった理由ははっきりしている。


 音楽の道に絶望したからだ。


 私はその日、とあるコンクールに出場していた。

 そこで私は自分の力を最大限振り絞り、自分を全て出し切る気で望んだ。

 けれども、結果は散々だった。

 私はある程度自分に自信があった。

 チェロと言う楽器を使って、こんなに美しい旋律を奏でられるのは、私以外いないのではないかと。

 そんなありもしない幻想に胸を躍らせながら。その日に私はチェロを演奏した。


「――――」


 慢心だった。

 当たり前だ。

 そして極めつけは、その場で聞いた他の参加者のチェロの演奏だった。


 私は自分のチェロの演奏を練習の場で良く聞くから。

 耳は良い方だと思っているけれども。

 だからこそ、耳が良かったからこそ、その現実は重く突き刺さったのだ。


 他人の音色はどこまでも美しかった。

 私のと全く違うその美しさ、そしてみんなが自信満々の顔をしていた。

 そんな彼らを見て、私は自分の無力さに、滑稽さに、絶望した。


 もしかしたら今までの全部自分の思い過ごしだったのかもしれない。


 もしかしたら全部自分が勝手に暴走していたのかもしれない。


 そう思ってしまった時の、底無しの絶望は計り知れなかった。


 音楽は素晴らしい世界だ。

 だからこそ、素晴らしい人間しか残れない。

 淘汰されるのは必ず弱者だけ。


 『もう満足しただろう。だからいいんだ』


 そう帰り道に思っていた。

 音楽は私の全てだったけども。

 才能が無いのだからどうすることも出来なかった。


 そしてその帰り道、私は事故に巻き込まれた。



――――。

―――。

――。



 夢の中で私は自ら楽器を“破壊”した。全てが嫌になったからだ。


 それでも私は。何か“心”がスッキリしなかった。

 あんな“トラウマ”を植え付けられたのに、私はまた分からなくなった。

 そんな自分への“反抗”だったのだろう。右腕は。


 恥の多い人生でした。なんて迷言が私の“全て”を語っていた。


 でもそんな時、“少年”が現れたのだ。



――。

―――。

――――。



 父、ライト・ヌルムは過去に少年兵だった事があるそうだ。

 少年兵自体は、この国の政府が公式に否定していたけれども。

 父は母に、昔『少年兵だった事がある』と語っていたらしい。

 もちろん私はその事を今の今まで知らなかった。

 知らなかったのに、どうして“父は私の夢に現れた”のか。

 どうして少年兵であった父は私の心に迷い込んだのか。

 どうして父は死んだのか。


 全ては、数年前、父が母に話していた。



「お父さんはね。少年兵時代に、誰かの家で匿ってもらった事があるらしいのよ」


 それは父が語った実体験だった。

 もしかしたらそれはただ私の夢と事象が似通ってしまった別の話かと最初は思ったけど。

 のちに違うと確信させた。


 こんな私でも父に言われたことがある。

 それは父が私に教えてくれた、教育ともいえるけれども、それは父の望みでもあったと今は思う。


『誰かに共感するというのは凄い力があるんだ。父さんは昔、それで確かに救われた事があった』


 父は少年兵時代に。

 誰かの家で自分の境遇に共感された。

 それは少年兵として駆り出された境遇ではなく、他の絵描きの子供に嫉妬したと言う、子供らしい感情をだ。


 私より純粋な憤りを。

 私は醜い己の失意で、小さな父を救ったのだ。

 救ってしまったのだ。


 もしかしたら、まだ事象が似通ってしまった別の話と捉えることもできる。


 何故なら時系列がおかしいからだ。

 もし本当に私が父を救っていたなら。

 時空を超えて、未来と過去があの夢の中で混沌としていた事になる。

 SF小説は読んだことはあるけど。

 そんなおとぎ話が現実になったことが、いまだに信じられなかった。


 これが、真実は小説より奇なりと言わしめる事だった。


「――――」


 もし他の人に否定されても。

 私はこの事を、勝手に誇りに思う。

 勝手に私は私を見つめ直すし、勝手に私は少年ライトに感謝をする。


 そう、すべては勝手なのだから。


 勝手に落ち込んで勝手に感謝して、勝手に感銘を受けて。

 勝手に人を救って、救われて。

 それが人間だったのだ。


「――――」


 私はチェロを野原に置いた。


 野原に座って、私は息を小さく吸った。

 その十字架の前で、私は、あの時聞かせられなかった音色を。

 そして人生の中で一番美しい音色を。

 描いた。


 曇り空から一点の光が指した。

 妙に体が軽く感じて、半年のブランクを感じないくらい満足して引くことができた。

 思えば私は父にチェロの演奏を聞かせた事がなかった。

 何故なら父は、私がチェロをすることをあまり乗り気に思っていないと勝手に思っていたから。

 でも多分違った。今なら分かる。

 父が私に何を思っていたのか分からなかったけど、多分、父は私の演奏を聞きたかった筈だ。

 そう勝手に思っているだけかもしれないけど。

 まあよかった。


 私はあの少年兵が父だと言う事を知って、確信したことが一つあった。



 どれだけ絶望しても、

 どれだけ嫉妬しても、

 どれだけ才能が無くても、


 共感してくれる他人がいれば、がんばれるのだ。


 がんばれてしまうのだ。


 そう確信した時、私は初めて一人じゃないと感じた。


 感じたからこそ。

 理解できたからこそ。

 私は涙が溢れた。

 共感、同情、そんなもので涙が溢れてしまう私は人としておかしいのかもしれないけど。

 私はそれで救われたのだ。

 私は誰かを救ったし、私は誰かに救われた。


 時を越えた救済は、私と父を救ったのだった。



 私は全力でチェロを演奏した。全ての人生を吐き出すような音色を作った。

 私はそこで泣いた。

 号泣した。




 私は偉大なる画家と呼ばれた父、ライト・ヌルムの墓で。

 ひたすらに、初めて人の為に演奏したのだった。







 始まり。








『感情の灯火』

著者 へいたろう。


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