幕間.留守番レイバーン
アルフヘイムの森。
妖精族の里を北に越えた先。
ちょっとの草原や荒野を挟んで、また森が広がる。
そこに構築され、補強されている地下遺跡への階段。
余は、そこで膝を抱えて座り込んでいた。
シンが隣国へ向かう際について行ったからだろうか。
これは意趣返しというものなのだろうか。
皆があっさりと余が待機する事を決定した。
若干、ほんの若干だが、冷たいものだと思ってしまった。
いや、理解はしている。皆でピクニックに来た訳では無い。
リタは若干ピクニック気分だった気もするが、きちんと目的があってこの遺跡を訪れたのだ。
そこに入れぬのだから、余がこの場に置いて行かれるのは必然だ。
――ここでお留守番してもらってもいい?
驚くほどあっさり、その結論にたどり着いたリタ。
あの笑顔は忘れられない。
ヤケになって預けられた果実酒を呑もうかとも思ったが、リタの怒る姿や悲しむ姿は見たくない。
これは余が死守するべきものだ。
――その干し肉は、喰ってもいいぞ。
シンから渡された荷物には、いくつかの保存食が入っている。
昨夜、肉へありつけずに落ち込んでいた余に気付いていたのだろうか。
フェリーも言っていた。シンは目敏いと。
そういうフェリーの表情は決して、嫌がっている様子は無かった。
干し肉を齧ると、口の中に塩味が広がった。
シンか、フェリーか、もしくは人間の好みか。これはこれで、美味だ。
――ごめんね、よろしく。
そう言ったのはイリシャ。
手を前に出し、言葉では謝っているもののあまり悪いとは思っていない。
それだけははっきり解る。ただ、昔から余とリタの事を応援してくれていた。
妖精族から疎まれる事もあっただろうに、頭が下がる思いだ。
――う、うん。任せといて。
最後に、フェリーには戸惑いが見えた。
余は三人になら、リタを任せられる。その信頼の証だったのだが、フェリーを困らせてしまったようだ。
重圧をかけたつもりでは無かったのだが、人の心は難しい。
フェリーには感謝してもしきれぬ。
余は、妖精族としてのリタの立場を護るためならば死んでも構わないと思っていた。
だが、そうでは無かった。それをフェリーが身を挺して教えてくれた。
張本人であるフェリーは、シンの前では素直になり切れていない気がするが……。
リタやイリシャへ言うと「複雑なのよ」と言われた。
余とリタも十分複雑だと思っていたのだが、意味合いが違うらしい。
人の心の機微はやはり、難しいものだ。
思い返すと、素晴らしい出逢いだった。
彼らが居なければ、余はここには存在していない。
もう少しで、リタを悲しませる結果になっていた。
いや、リタだけではない。余を慕ってくれている臣下にも、申し訳が立たないところだった。
イリシャは、シンやフェリーにも難しい事情があると言っていた。
不老不死である事や、フェリーが己の過去を後悔している事を指しているのだろう。
しかし、シンもまた後悔しているように見える。
フェリーの事となると後先を考えずに飛び出したり、時々漏れる言葉からも本心が窺える。
余は、力になりたい。
恩返しだけではない。対等な友人として、力になりたいと思う。
その為には、人の機微を理解しなくてはならない。
こればかりは難しい。人間の集落に住んでいたルナールも、余へ伝える事に消極的だ。
一度、シン達について人里まで向かうべきだろうか。
シンが「街が混乱する」と言いそうだが。
「……永い」
余はぽつりと呟いた。
相手が居る訳ではない。言葉の反芻なのだ、話すよりよっぽど時間は掛からない。
シンが食べていいと言った干し肉も、延々と食べ続ける訳には行かない。
かといって、戻ってくるまで移動する訳にもいかない。
残された余に出来る事と言えば、小動物と戯れる事ぐらいだ。
昨日はリタの安全を考え、獣が一切近付かない程度には気を放っていた。
魔物なんかは余の臭いが残っているだけで近付かないが、こういった無害な動物はまた別だ。
この者たちは敵意や殺意が無ければ避けたりはしない。
昨日はやり過ぎたと思う。この者たちには、悪い事をしてしまった。
肩や頭に乗り「チチチ……」と囀る小鳥。
時々、余の毛を啄むが抜けない事に気付くと諦めてしまった。
瞑想でもするべきだろうか。
そういえば、親父はよく瞑想をしていた気がする。
今思えば、それは獣魔王の神爪に力を授けた神へ祈っていたのかもしれない。
何も教えてはくれなかったが、そういう事だったのかもしれない。
突如、風切り音が森の葉をまき散らす。
その音と衝撃に驚いた小鳥が、身の危険を感じて慌てて飛び去っていく。
「あ、やっぱりレイバーンだ」
考え事をする余の思考を遮るように、その声は頭上から聞こえた。
余も、その者が誰かは知っている。後に挨拶へ向かうつもりだった、知り合いの龍族。
「フィアンマ、久しいな」
紅龍の王、フィアンマがその長い首を覗かせていた。
相変わらずでかいその図体は、周囲の生き物を意識せずとも追い払っていた。
……*
「なんだ、レイバーンの知り合いでもあったのか」
フィアンマは巨体を横たわらせながら、そう言った。
尾が入り口を塞ぎそうだったので、慌てて尾の位置をずらさせる。
「うむ。シンとフェリーには世話になってな。
お主と逢ったという話は聞いていたぞ」
フィアンマは魔獣族の縄張り。その近くにて年に一度、訪れる。
毎年会っている訳ではないが、こうしてたまに話をしている。
世界中を渡っているので、フィアンマの話は実に興味深い。
「戦ってみたけど、二人とも中々やるね。将来が楽しみだ」
「そうだろう、そうだろう」
シンもフェリーも強い事は、余も知っている。余は友人が褒められて誇らしかった。
何より意思が強い。何かを成し遂げるという精神が、そのまま力となって表れている。
「どうして、お前が嬉しそうなんだよ」
「余の友人だからな!」
フィアンマは苦笑いをしたが、友人が褒められるというのは良い事だ。
余はシンやフェリーだけではない。リタやルナールが褒められても嬉しい。
「時にフィアンマよ、聞いたぞ。フェリーを別人と見間違えたそうだな」
「それも聞いたのか……」
尖った爪で頬を掻きながら、フィアンマは照れくさそうにしていた。
「昔の知り合いだよ。フェリーによく似ていたんだ」
「お主から人間の話を聞くとは思ってもみなかったぞ」
ミスリアと紅龍の一族が同盟を結んでいるという話は、知っている。
だが、フィアンマから人間の話を聞かされた事は無かった。
「まあ……。話すような事でも無かったからね。
レイバーンこそ、知らない間と妖精族と仲良くなったみたいじゃないか」
「な……! シンとフェリーから聞いたのか!?」
「いや?」
フィアンマは首を横に振った。
そして、悪戯っぽい笑みを浮かべていた。
「レイバーンと知り合いだなんて、さっきまで知らなかったんだから訊いているわけないだろう。
空から、妖精族の里にお前達が出入りしているのを見たんだよ」
「そういう事だったか……」
「それで、どうしてお前は動揺したんだ?」
「いや、それはだな……」
しどろもどろになる余を、フィアンマは楽しそうに問い詰めた。
結局、妖精族の里で起きた事件を全て話す事となった。
「へえ。お前も大変だったんだな」
「いや、余は何もしておらん。皆に助けられただけだ」
「そんな事言うもんじゃないだろ。それは周りにも失礼だ。
お前を慕っているやつが、お前の為に動いた。それを誇って、感謝もする。
レイバーン、お前がしていいのはそれだけだ」
照れくさくなったが、確かにその通りだ。
余もまた、同じ事を考えている。
「余も、それを理解してもらいたい者がいるんだがな……」
シンもフェリーも、自己否定が過ぎる。卑屈と言ってもいいレベルで、最後の一歩から引いていく。
余よりも余程、重症だ。
「人間にも色んな奴がいるからね。利己的な人間もいれば、心優しい人間もいる。
ボクたちやお前たちみたいに同族意識があまり高くないみたいで、人間同士で争う。
一番数が多くて、一番解らない種族だよ」
フィアンマの言う話が本当ならば、余はきっと縁に恵まれているのだろう。
イリシャに始まり、シンやフェリーと友人になれたのだから。
「ボクも紅龍王の神剣を預けている手前、ミスリアと同盟を結んではいる。
信頼のおける相手だとは思っている。だけれど、たまに悩むんだ」
神器も遥か昔に人間へと預け、フィアンマ自身には愛着も無いと言っていた。
擬態が不完全で混乱を招く恐れから、ミスリア王家の者とも王ぐらいしか謁見をしていないらしい。
そのせいで現在の所有者を名前でしか知らない。こうして、関りは薄れていくのかとぼやいていた。
余も神器というものを理解していなかった。
軽いものだと、思ってしまっていた。いや、昨日リタに言われるまで思っていた。
それが自分にとって大切なものだと考えずにいたのは、余の責任だ。
「どうやら、神器には力を授けている神がおってな」
「それぐらいは知ってるよ」
フィアンマは呆れ気味に言っていた。もしかすると、余は相当まずい位置に居るのかもしれない。
ただ、神器を持っているのはあくまでミスリアの人間だ。
祈りを捧げるべきが誰なのかは、判らないらしい。
そもそも、神に祈りを捧げはするがそれは龍族の為だと言っていた。
逢った事もない人間の為に祈る道理はないと、フィアンマは言い切った。
因みにフィアンマは世界を渡る関係上、祈りにきちんとした道具を使用していないという。
ただ、瞑想で感謝を伝えるのみだと言っていた。それが神器の力になっているかどうかは、確かめる術が無い。
それならば、余にも出来るかもしれない。
後は、きちんと自らが信仰するべき神を探すだけだ。
獣魔王の神爪は何も答えてくれない事だけが、気掛かりではあるが。
まずは、神器自体に祈りを捧げる事から始めてみようと思う。
……*
やがて、他の紅龍がこちら側に渡ってきた。
流石に龍族数匹はこの森には狭いと、フィアンマは飛び立っていく。
シンやフェリーによろしくと言っていた。
リタやイリシャは、龍族に会えなくて残念だと思うだろうか。
久しぶりにフィアンマと話せて、余は楽しかったと思う。
リタの話をすると散々からかわれたので、お返しにミシェルとやらの話を吹っ掛ける。
余と違い、情愛を抱いている訳ではないという。だが、会いたくなってしまったとも言っていた。
地盤を引き継いだだけの人間との関係にも、少しだけ興味が沸いたとも言っていた。
シンやフェリーと会った事を切っ掛けに、フィアンマはもっと擬態魔術を磨こうと思ったらしい。
あの二人は、誰かの何かを変えていく。自覚はしていないだろうが、きっとこれからも大勢の者を変えていく。
一方で、こうも思う。
余は、シンにも、フェリーにも、変わって欲しい。
イリシャが世話を焼く理由が、少しだけ分かった気がした。
ただ、今はそれ以上に切実な願いがある。
もう太陽は落ちている。辺りは真っ暗だ。
流石に寂しくなってきた。我慢にも限界があるので、シンの用意した干し肉を齧る。
リタ、それに皆よ。早く帰ってきては貰えないだろうか。