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その魔女に祝福を  作者: 晴海翼
第一部:第八章 箱入り娘の冒険/悪意の降臨
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82.箱入り娘、流される

 木漏れ日が瞼を透過し、光を知覚させる。

 無意識に身体を横に向け、起きなければいけないという現実から逃げようとする。

 

 顔が地面に近付き、鼻腔を擽るのは慣れない匂い。

 いや、この匂いはよく知っている。今、この時間に自分が嗅ぐのはそぐわないというだけだった。

 土の、草木の匂い。自然の恵み。


 夢と現実。その境界線に立っているリタは、どちらのものか判別が出来ない。

 理性よりも、睡眠を欲している本能。それが導き出そうとしている都合のいい答えに、縋りたくなった。


 その感覚を補強しようと、自分に掛けられているはずの布団に手を伸ばす。

 いつもより遥かに薄い。何なら、タオルぐらいの薄さだ。

 道理で肌寒いはずだと、リタは思った。


 そこで漸く、彼女は自分が野営をしていた事を思い出した。

 

「はっ!」


 慌てて飛び起きて、身体を起こす。眠気はあっという間にどこかへと飛んでいった。

 緊張から発せられる汗が、身体を滲ませる。

 ぼやける視界を擦って、無理矢理ピントを合わせる。


 イリシャも、フェリーもまだ眠っている。

 これならばと胸を撫で下ろしたとしたところ、男の声がした。


「起きたのか?」


 境目として張られている布をめくると、シンが大木に身を預けながら剣や銃の手入れをしている。

 シンは視線をリタへ向ける事なく、そう言った。


「あ、シンくん。おはよ……」

 

 そこまで言いかけて、リタは慌てて自分の口元を吹いた。

 涎は垂れていないし、その跡もない。

 髪は少しボサボサだろうか。慌てて、見えないまま手で整えた。


 しかし、シンがリタの様子を気にしている様子は無かった。

 それが見た目に現れていないからなのか、無関心から来ているのかは窺い知れない。

 前者なら良いのだが、後者だと乙女としては困る。

 ただ、シンプルに寝起きを異性に見られた事が恥ずかしいのには変わりない。


「わ、私。どこか変……じゃないですよね?」

「いや? フェリーに比べれば全然普通だが」


 シンがそう言ったので、リタは幕の内側にいるフェリーを見る。


「えへへ……。イリシャさぁん……」


 長い髪をこれでもかというぐらいに広げ、恍惚の表情を浮かべながら涎を垂らす少女。

 その手にはイリシャの服を掴んでおり、そのせいか彼女は少し苦しそうにしていた。


 確かにフェリーは、自分の家に泊まっている時もそうだった。

 朝起きるとイリシャにしがみついている事が非常に多いのだ。

 最初はシンを知っていると嫉妬した事は、イリシャから聞かされている。

 そこから高速で懐かれたので、流石のイリシャも驚いたらしい。

 

 しかし、そんな事はどうでもいい。

 もっと重要な事に、リタは気付いた。

 毎夜のようにイリシャへしがみついている事は知らなくても、涎を垂らしているフェリーは知っているという事になる。

 

「……シンくん、やらしいです」

「は!?」

 

 じっとシンの顔を見ながら、リタは口を尖らせた。

 その声には、少しだけ羨望が込められていた。



 

 身だしなみを整え、リタはシンと二人で鍋を囲む。

 ちょこんと座った傍には、丸くなって寝ているレイバーンがいる。

 背中の毛を撫でてみると、ほんのり温かくて手触りもいい。

 ずっと撫でていたくなった。


「飲むか?」

「ありがとう。いただきますね」

 

 シンから生姜湯の入ったコップを受け取ると、それをゆっくりと口に含む。

 身体が温まり、元気が出るのを感じると、リタは「ふう」と一息をついた。


「あの。もしかして、ずっと起きてました?」

「いや、レイバーンと交代したから仮眠はしていたぞ」


 その前はフェリーが見張りをしていた。と、シンは付け加えた。

 負担のかかる役目を押し付けたようで、リタは気が引けた。


「言ってくれれば、私もやったのに……」

「レイバーンとフェリーが『お祈りがあるから、寝かせておいてあげよう』と言ったんだ。

 俺も、いつもより人数が多いから楽だったしな」


 それに、今回に関しては本当に警戒する必要が無かった。

 魔獣族の王たるレイバーンが居るからだろう。その臭いと気配から近付く魔物は全くと言っていいほどいなかった。

 事実、昨日だって狩りに出かけたが獲物が姿を現す事が無かった。


 気楽に進めたのは良いのだが、夕食用の肉にはありつけなかった。

 尤も、一番残念そうにしていたのはその元凶であるレイバーンなのだが。

 

「そうなんですか。……ありがとう」


 その優しさが愛おしくて、レイバーンの頭をそっと撫でる。

 彼から声が漏れたので、リタはバレないように慌てて手を離した。


「じゃあ、お言葉に甘えてお祈りさせてもらいますね」


 そう言って、リタは少し離れた位置で信仰する神への祈りを捧げ始めた。

 しばらくしてからイリシャ、続いてレイバーン。最後にフェリーが目を覚ましたので一行は朝食を取った。


 ……*


「さて、と」


 改めて一行は地下遺跡の前に立つ。

 地面を掘って、それをそのまま補強した階段が真っ直ぐと伸びている。

 向かう先は地下なだけあって、その先は暗闇に包まれている。


「よし、がんばりましょう!」


 リタはもうテンションが上がり切っている。

 これまでは練習みたいなもので、ここから先が初の冒険だと言わんばかりだった。


「でもさ、これ」


 階段を降りたり昇ったりして、フェリーが高さを調べる。

 この地下遺跡に入るには、ひとつ大きな問題が残っていた。


「レイバーンさん、ムリじゃないかな? 天井低すぎるもん」

「む!? それは誠か!?」


 入口から頭を突っ込み、高さを調べるレイバーンだがその様子は芳しくない。

 今度は座り込み、足からの侵入を試みるが途中で詰まってしまいシンとフェリーが引っこ抜く事態に陥った。


「……入れぬ」


 色んな手段を試したが、結局レイバーンが侵入する事は叶わなかった。

 実際、170センチほどのシンでギリギリなのだから300センチを優に超す彼が潜れないのも無理はない。


「レイバーン。あのね」


 膝を抱えるレイバーンに、リタが優しく手を差し伸べる。

 その瞳は、慈愛に満ちている。かのように思えた。


「私たち、行ってくるから。ここでお留守番してもらってもいい?」


 だが、現実は非情だった。

 眩しいリタの笑顔が、遠いものに感じた。


 リタもまた、迷ってはいた。心苦しいとは思っていた。

 しかし、初めての冒険。初めての遺跡。その好奇心が彼女を前へ進ませる。


「分かった。リタ、くれぐれも怪我をするでないぞ」


 レイバーンに出来るのは、頷く事だけ。彼女の意思を尊重してあげる事だけだった。

 その眼には、うっすらと輝く物が浮かんでいた。


「皆。リタの事、よろしく頼むぞ」

「う、うん。任せといて」


 出会ってからこれまでで、一番小さくなる魔獣族の王。

 心なしか、フェリーはその背中を寂しく感じた。


 ……*


 天井が低く、そして深く下がっていく階段を慎重に降りていく。

 足元こそ研磨されているが、壁や天井は元々の岩盤をくりぬいただけのような印象を受ける。

 パラパラと零れる石の欠片が不安を煽るが、わざわざ階段を造るぐらいだからか、崩壊の危険はあまり感じられない。


 先頭を歩くシンは、リタが光の魔術で光らせてくれた木の棒を翳して周囲を確かめる。

 ゴツゴツとした壁に対して、歩きやすいよう同じ高さに揃えられた階段。

 その割に天井までの高さが低いのは、構造上の問題なのか、それともそこまでの高さが必要無いのか。


ギランドレ(あそこ)の遺跡とは、違うか?)


 壁に触れながら、シンはギランドレの遺跡を思い浮かべた。

 リタやフェリーの魔力に反応して、壁が光るような様子は無い。

 外観も、均整の取れたそれではなく無骨だ。

 きっと、あの遺跡とは無関係だろう。あまりにも造りが違いすぎる。


 リタの話が本当なら、ここは妖精族(エルフ)絡みの遺跡ではない。

 それと、これはシンの予測に過ぎないが魔獣族にも関係無い。

 王であるレイバーンが位置を知らなくて、更には侵入すら出来ないのだから。


 シンは腰に差している短剣へ、そっと手をやる。

 この古代魔導具(アーティファクト)が何なのかは、結局判りそうにない。

 だが、焦る必要は無い。あくまで気になるから調べよう。その程度の意識なのだから。


 それに、違う遺跡なら違う遺跡で新たな発見があるかもしれない。

 フェリーの『呪い』や、邪神の事。知りたい事は後を絶たない。

 

「結構、長く続くんですね」


 シンの真後ろにいるフェリー。その彼女にしがみつくリタが、ぽつりと呟いた。

 時々背伸びをしながら、光が照らす先を見ようとするがまだ終わりは見当たらない。

 彼女の言う通りだった。もう、かれこれ10分以上は階段を降りているが、景色は延々と同じ景色を繰り返している。


「もう、結構下ったんだけどねぇ」


 そう言って、最後尾のイリシャが頬に手を当てる。

 入口から射し込む光は、既に自分達の位置まで届いていない。

 リタが光魔術で照らしてくれたので助かったと思う。松明頼りなら、いつ使い切るか判らない。

 そうなるとフェリーの魔導刃(マナ・エッジ)が頼りになるのだが、迂闊に触れると火傷では済まない。

 この狭い階段でとても使える物ではない。


「でも、わたし似たような遺跡は冒険した事あるわ」

「ホント? どんな感じだった?」

「えっとね、あれはリカミオル大陸にある迷宮で――」


 イリシャはかつて自分が冒険者をしていた頃の話をする。

 詳細は違うようで、やはりこの遺跡とは関係が薄そうだがその話は興味深かった。

 当時は遺跡の発掘が冒険者の中で流行っていて、自分もその流れに乗っていたのだとか。


 色々古代魔導具(アーティファクト)や魔石が採れるので高く売れたらしい。

 魔導石(マナ・ドライヴ)の完成、そして魔導具の発達によってリカミオル大陸。更に言えばマギア周辺ではその価値が薄れていった。


「イリシャちゃん、結構冒険してたんだね」

「わたしは浅い所しか行ってないけどね。強い人のお供で、それなりに降りた事はあるけど。

 時間はたくさんあったから、四大大陸は全部を冒険してみたり、色々やってたわ」


 イリシャがそう言うと、リタが感嘆の声を漏らしていた。

 漸くアルフヘイムの森から一歩を踏み出したリタにとっては、想像もつかないような広い世界だった。


「イリシャちゃん、すごいですね……」

「そんな事ないわよ。船とか馬車とか、移動手段はたくさんあるし。

 それに、妖精族(エルフ)の里より向こうはおっかなくて行く気になれなかったもの。

 いきなり、遺跡に挑もうとしているリタの方がわたしにとっては凄いわ」

「そ、そうですか?」


 照れて左右の頬を抑えながらも、リタはどこか嬉しそうだった。

 イリシャの冒険話は、リタにとって新鮮で楽しいものだった。


 フェリーはそれを頬を緩ませながら、一緒に頷く。きっと、自分やシンがかつてアンダルに聞かされていた頃。

 その時もリタのような顔をしていたのだろうと思い出していた。


「これで……階段は終わりか」

 

 イリシャのお陰もあって、ただ歩くだけより時間の流れを感じる事は無かった。

 一時間程下り続けて、一行は漸く終着点を迎える。


「おお……。すっごい」


 何度目だろうか。リタがまたの声を漏らした。

 繋がっていた先は、鍾乳洞だった。天井からは氷柱のように鍾乳石が垂れている。

 うっすらと光っているが、魔力を吸い取っている感覚は無いらしい。

 どうやら、高濃度の魔石が垂れて鍾乳石のような形になっていると推測していた。

 

 洞窟を支える大きな柱は、石筍だったこちらも魔石が溶けた者なのだろうか、淡い光を放っている。

 どれほどの年月を要したのだろうか、自然に出来た広大な世界。

 あの階段は、そこに繋がる道を後から造ったようにも思えた。

 

「すごい、すごいです! とても綺麗!」


 すっかり舞い上がったリタは、光に誘導されるように洞窟を駆けていく。

 

「あ、リタちゃん! あぶないよ!」

「大丈夫! 魔物も居ないし!」


 フェリーが追い掛けるが、リタは新しい玩具を手に入れた子供のようだった。

 初めて見る外の世界が楽しくて仕方ない。それだけは十二分に伝わってくる。


「もう、リタったら」


 頬に手を当てたイリシャが、頬を緩ませながら息を吐いた瞬間。

 走り回っていたリタの姿が、消える。代わりに、水しぶきが上がるのを視界に捉えた。


「リタちゃん!?」


 近くに居たフェリーが、その様を見ていた。

 彼女は舞い上がり過ぎて、足元を見ていなかったのだ。

 淡い光に反射して、青緑に輝く川。それを地面だと思い込み、踏み外していた。


「わっぷ!?」


 顔を上げるリタだが、突然の事に若干のパニックに陥っている。

 泳いで岸に戻ろうとするが、水の抵抗に逆らう事が出来ずそのまま流されていく。


「リタちゃん!」


 躊躇なく、フェリーが追う為に川へ飛び込む。

 そのまま泳いで、リタを追いかけるが中々距離が縮まらない。


「フェリー!」


 それを見たシンが、更に二人を追いかけようとする。

 制止させたのは、フェリーだった。


「シンは、イリシャさんをお願い! リタちゃんはあたしが助けるから!」


 彼女の言う通りだった。魔物が居ないのは、あくまでこの範囲のみ。

 その先はどうか判らない。それに、この時間帯に活動をしていないだけの可能性もある。


「……っ。フェリー、無茶はするなよ!」


 洞窟に響き渡るシンの声。フェリーが、それに返事をする事は無かった。

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