81.箱入り娘の旅立ち
アルフヘイムの森にある妖精族の里。
排他的だった妖精族が漸く、その重い腰を上げて他種族との交流を始めるに至った。
今では魔獣族と領地を分け合い、種族の入り乱れる居住特区を作っている最中。
そこに住まうは妖精族に魔獣族。そして、人間の子供。
魔獣族の王に恋をする、妖精族の女王。
その構図が歪みを生んだと思われた。
しかし、決してそれは歪みではないと気付かされた。
ただ、変革の刻を迎えただけだったのだ。
いくら他者に興味が無くても、他者は繋がりを求める事がある。
それが自分達を窮地に陥らせる事もあれば、救う事もある。
妖精族はそれを思い知らされた。
だからというべきなのか、妖精族は変わる事を受け入れ始めた。
誰よりも妖精族を高貴な存在だと信じて疑わず、誰よりも他種族を受け入れまいとしていた妖精族の族長。
ストルは忌避する感情を抑え、新たな景色を受け入れるべく努力する事を信仰する神に誓った。
それでも、やはり不安な事はある。
「キーランド、くれぐれもリタ様が怪我などされないようにだな……」
シンの肩を掴み、力の限り強く揺さぶる。
この男は妖精族ではないが、恩人だ。そして、ストルはシンに親近感を覚えていた。
かっくんかっくんと糸の切れた人形のように前後に振られるシンの視界は、ストルの顔と青空。そして、地面を変わる変わる映した。
「なんで、俺に言うんだ……」
「お前ぐらいにしか頼めないからだ。あれを見ろ」
ストルが指した先には、浮かれに浮かれたリタの姿。
そして、それにウンウンと頷いているレイバーン。
更には「あらあら」と手を当てて微笑んでいるイリシャ。
最後に、「あたしに任せて!」と息巻いているフェリーの姿があった。
揃って、遠足のような雰囲気を醸し出している。
特にリタの浮かれ具合は異常だった。フェリーの話によると一晩中、鞄に詰めるものを選定していたらしい。
イリシャの話によると、リタは妖精族の女王という立場からかなり丁重かつ慎重に扱われていたらしい。
一人で暮らしてこそいるものの、妖精族全体で彼女を護っているというべきか。
端的に言うならば、排他的な妖精族の中でもとびきりの箱入り娘なのだ。
遺跡の場所だけが判るというのも、自分で見た訳ではない。
同胞の報告を聞いて、それを覚えているに過ぎない。
本人も同胞から大切にされているという自覚があるからこそ、異を唱えなかった。
しかし、妖精族は変わろうとしている。
ならば、女王である自分が率先して外の世界を識るべきだとリタは力説していたらしい。
善は急げと言わんばかりに、リタは動いた。
居住特区の責任者をストル任命したり、自分が離れても問題ないだろうという段階まで話を進めていった。
因みにレイバーンは、殆どルナールが処理をしてくれていた。
「シンくん! 私はいつでも大丈夫ですよ!
早く行きましょう!」
大きく手を振るリタの眼は、宝石のように輝いている。
その満面の笑みは未知なる冒険への期待を隠しきれていない。
対照的にしかめっ面をするストルの視線が、痛かった。
「分かったよ、気をつける」
「……助かる」
レイバーンもいるし、フェリーだっている。メンタルケアならイリシャがやってくれるだろう。
自分の出る幕は無いだろうと思いつつも、シンは頷いた。
……*
アルフヘイムの森を北へ抜けた先にある遺跡は、妖精族が発見したもので三ヶ所。
どれも地上に建造物の姿は見えず、地下遺跡という形で入り口が見つかっている。
ただ、確実に妖精族のもの。もっと言えば、レフライア神のものではないとリタは言い切った。
豊穣と愛を司るレフライア神は、アルフヘイムの森自体が遺跡だという。
実質的には妖精族専属の神として崇拝されているので、その全てがあの森に詰まっているという。
遺跡は居住特区を北に進んでひとつ、そしてシンとフェリーがフィアンマと会った湖を越えた先にふたつ。
まずは最寄りの遺跡を探索した後に、フィアンマの元へ顔を出そうという話に落ち着いた。
相手は龍族という事でイリシャが訝しい顔をしたが、害は無いと説明すると納得してくれた。
「フィアンマに会うのも久しぶりだな。シンやフェリーの話では息災のようで安心をしたがな!」
「いきなり腕試しが始まったけどな」
シンはため息混じりに毒づいた。
殺意が無いから良かったものの、フィアンマが本気だったら自分は成す術なく殺されていただろう。
結果的に腕試しには勝ったけれど、よく判らない古代魔導具に助けられた形だ。
しかも、インチキみたいな勝ち方で。決して実力で負かした訳では無い。
シンは自分がまだまだ弱いという事を、はっきり突き付けられた気がした。
その事は、素直に悔しい。もっとちゃんと、自分の意思を貫き通せるだけの力が欲しいと思ってしまう。
自然と、握る拳に力が入った、
「話してみると気さくでいいドラゴンさんだったよ。
たぶん、イリシャさんもリタちゃんも仲良くなれると思うよ」
「ほんと? そうだったらいいなあ」
鞄いっぱいの荷物どころか、夢や憧れまで詰め込んだリタはずっと笑みを浮かべていた。
道中でも率先して、色んな植物を採取してはパンパンの鞄を更に膨らませていた。
……*
「ところで、リタ。どうしてそんなに荷物が多いのだ?」
昼食を摂るため、休憩を始めた一行。まるで風船のように丸く膨らんだ鞄を指して、レイバーンは尋ねた。
正直に言うと、シンもずっと気にはなっていた。
リタの家に泊まっていたはずのイリシャやフェリーでさえもどうしてこんな事になったのか理解していない。
「これ? 結構大事なんだよ」
そう言うと、リタは徐に鞄を開いた。
まず出てくるのはさっき採取した薬草。続けて、小さい木彫りの神像。
更に木製の聖杯が出てくる。何やらぎっしりと紋様が彫られているので、高価な印象を受けた。
まだまだ出てくる。果実酒の入った瓶に、何本もの麦を纏わせた穂。
小鳥が啄みそうになったので、リタは慌てて鞄へと隠した。
最後に、それらを祭る為の土台が出てきた。
「……リタちゃん、それなに?」
「旅先でも祈りを捧げる為の道具だよ。足りないものは急いで作ったの。
日課を欠かす訳には行きませんから!」
「ええ……」
得意げに胸を張るリタだが、流石のフェリーも若干引いていた。
「そこまでして、祈りを捧げないといけないのか?」
「当たり前ですよ!」
シンのその言葉に、リタは憤慨した。
人差し指をピンと立て、子供に教え込むかのように説明を始める。
「いいですか? 私は妖精族の女王です。
そりゃあ、ちょっと神を疑った事もありましたけど基本的には妖精族のみんなを想って祈りを捧げているんです。
レフライア神への祈りは、途切れさせるわけには行かないんですよ」
一人で納得して頷くリタだが、残りのメンバー。特にフェリーは困惑をしていた。
信仰心とは無縁の生活をしていた為、そこまでして祈りを捧げないといけないものなのかと首を傾げる。
偉そうに言っているリタも、最近までは不真面目だったと反省をしている。
献選こそしていたが、自分の本当の願いが叶う気配は無かった。
耳障りのいい、一緒に笑ってくれる友や同胞の声を聞き入れたかった。
特にレチェリは、自分に肯定的な意見をくれていた。
振り返ってみれば、レイバーンを殺させてより深い絶望に陥れようとしていたのだと思うと背筋が凍る。
今は、独房でちゃんと自分自身と見つめ合ってくれているのが救いだった。
隣国が攻めてきて、その手引きを同胞がしていたあの件から、リタは少しだけ意識が外の世界に向いた。
人間が攻めてきて、同胞が裏切って、大切な人が身体を張って。でも護ってくれた中にも人間が居て。
不死身だからといって、躊躇なくその身を投げる少女。
攫われている妖精族の子供を救ってくれた青年。
そして、自分の為に命を投げ出そうとした魔獣族の王。
色んな人の想いと、色んな奇跡が入り組んで、その絵は完成した。
紆余曲折はあったものの、妖精族としては丸く収まった。
そして若干の荒療治ではあったが、信仰する神はきちんと自分の恋を実らせてくれた。
少しでもずれていたら、全てが壊れていたかもしれない。そのギリギリを、神が背中を押してくれたのだ。
今では少しだけ、そう思う。
感謝の気持ちが、今の信仰心に繋がっている。
それと、リタにとってはもうひとつ。祈りは重要な意味を持っていた。
「それに、妖精王の神弓の為でもあるんです」
「神器の?」
「はい。神器はそれぞれに神の力が宿っているとされます。
妖精王の神弓は妖精族の神……。つまり、レフライア神ですね。
きちんと信仰して敬うからこそ、力を発揮するんですよ」
成程。と、シンは頷いた。
先刻の暑苦しいまでの信仰心よりは、幾分か納得がいく。
若干、疑問には思っていたのだ。
リタの妖精王の神弓は自分のミスリル剣に付与された魔術付与。それすらも強化をする。
更に、魔力で生成された矢も精度も、通常の武器とは比べ物にならない。
シンが今までに目の当たりにした神器の中で、蒼龍王の神剣と獣魔王の神爪とは一線を画していた。
その疑問が、少しだけ解けた。彼女の信仰心や毎日祈りを捧げる直向きさが、そうさせていたのだと。
「……そうだったのか」
驚嘆の声を上げるのは、その神器の持ち主。レイバーンだった。
獣魔王の神爪とにらめっこをするが、沈黙が流れる。
強いて言えば、反射する程に磨かれた爪が、レイバーンの顔を歪めて映していたぐらいだろうか。
「えっ……。レイバーン、まさか知らなかったの?」
この場で一番言ってはいけない男が、その発言をしてしまった。
その事実に、今度はリタが若干引いていた。
「えと、信仰する神は……」
「判らぬ……」
「ええ……」
どうして、神器も彼を認めているのだろうか。
リタからすれば、そっちの方が不思議で仕方なかった。
決して世襲制ではないし、きちんと神器がレイバーンを主と認めた事にある。
「あの、さすがに見捨てられたら可哀想だから……。
ちゃんと、どの神様かぐらいは把握しておいてね」
「うむ……」
意気消沈をする巨体を、リタやフェリーは必死にフォローをしていた。
そんな様子をイリシャはくすくすと笑っていたし、シンに至ってはあまり気にしていなかった。
昼食を終えて、一行は歩みを再開する。
非常にゆったりとした足取りだった為か、遺跡の入り口にたどり着いた時には夕暮れとなっていた。
地下遺跡には何が在るか判らない。
最悪、魔物の巣窟になっている事さえ考えられる。
遺跡に入るのは、夜が明けてからにしようと話し合いで決めた。
近くに身体を洗える場所が無かったので、リタが眉を顰めていた。
箱入り娘には、やはり抵抗があるようだった。




