幕間.英雄の付き人
「クレシア。どれぐらい潜んでいるのか、判るか?」
イルが小声で尋ねてくる。
ここはラコリナ領にあるナタレ鉱山とは別の、今はもう使われなくなった廃坑。
本当に小さな山だったので、私たちが生まれる遥か昔には目ぼしいものは掘りつくしてしまっていた。
名前すら、ちゃんと覚えていないぐらい印象の薄い山。
「ちょっと待って、やってみる」
今から行おうとしているのは、魔物退治。
ギルドの正式な依頼では無いけれど、私たちはここにいた。
……*
ナタレ鉱山から私の実家は、そう遠くない位置にある。
イルが「折角だから、一度クレシアの家に寄るぞ」と言い出したので実家へ帰る事となった。
彼は何かと理由をつけて頻繁に私の実家に寄ろうとする。
旅の宿より休まるだろうという理由と、うちの親を安心させるという名目で。
きっと幼い頃は身体が弱かった私を、イルなりに気遣っているのだ。
イルは自分の実家には決して帰ろうとしないのに、そういう所だけは目敏い。
もしかすると私のお母様がイルを歓迎するので、居心地が良いという理由も含まれているかもしれない。
道中で、山賊を引き渡す為に寄った宿場であるコリーナ。
ギルドでその報酬を得て、昼食を摂ろうとした店で私とイルは妙な噂を聞いた。
――最近、ゴブリンが棲みついているらしいぜ。
――しかも、結構な数なんだろ?
そんな言葉を聞いてしまっては、この英雄症候群の男が黙っているはずがない。
次の瞬間には、眼をキラキラと輝かせたイルが噂話をしている男の前に立っていた。
「その話、詳しく聞かせてはもらえないか!?」
英雄バカの英雄魂に、火が点るのが判る。
今日も彼は誰かを救う。私はそれを、誰よりも近くで見届ける。
……*
「やってみる。少し待っていて」
廃坑の入り口から、私は風の魔術を繰り出した。
空気の流れに魔力を乗せ、奥にある音。つまり空気の振動を感知する。
それが自分達の位置で同じ動きを再現するように、今度は入り口で同じように魔力を震わせた。
「30……ううん。40は居るかも」
視ている訳ではないので、正確な数字は判らない。
自分の魔力を粒子のようにして忍び込ませ、空気で泳いでいる様を手元で再現させただけの簡易的な探知。
幼い頃、身体の弱かった私が外の様子を知りたくて身に着けた魔術。
それ故に視ている訳ではないのだが、視ているように考える事は出来る。
再現した音には「キキッ」とゴブリンの鳴き声も混じっていた。
金属音を響かせながら、がやがやと騒ぎ立てている。
時々、コツンと木の棒のようなものがゴブリンの頭を小突く。
怒ったのか、「キキーッ!」と甲高い声が漏れたが一際低い鳴き声がそれを諭していた。
「ゴブリンが殆どだと思うけれど、それを親玉が纏めてる。
あと、魔術を使うやつもいると思うから連携には注意して」
「分かった」
イルにも聞こえるように調整をしているのだが、彼は私の見解に異を唱えたことは無い。
自分ではずっと自然に行っていた事だが、どうやら聞き分ける精度が違うらしい。
ゴブリンは元々、悪戯が好きな魔物だ。
小さい身体で蹂躙できる相手、つまりは非力な子供を攫う事が多い。
そこで血の味でも覚えてしまったなら、手がつけられない。
人里近くに棲みついて、人々の暮らしに影を落とす。
それなりに数が多く、いくら駆逐しても絶滅する事は無い。
繁殖力も高く、世界中にどれほどのゴブリンがいるのだろうか。
善良な市民を恐怖の底に落とすという意味では、強さ以上に厄介な存在だった。
だから、運悪くイルの標的となったともいえるのだけれど。
「クレシア、中に人は居ないよな?」
「聞いた感じだと、居ないよ」
少なくとも、生きている人は居ない。
イルは少しだけ、残念そうな顔をしていた。
「アメリア姉の言っていた、研究施設とかではなさそうだな」
この間、ナタレ鉱山でアメリアさんに言われた事をイルは覚えていた。
国の危機かも知れないのだから、立場上忘れる訳にもいかないのだが、それ以上にイルは燃えていた。
「アメリア姉にばっかり、良い恰好はさせない!」
だったら、神剣に選ばれた時に騎士団へ入れば良かったのに。
でも、そうだったら私はきっとイルと旅が出来ていない。
ただの幼馴染で終わっていたかもしれない。滅多に逢う事も出来ずに。
だから、私は決してそれを口にしない。
「でも、放っておかないんでしょう?」
「勿論だ!」
イルは胸をドンと叩いた。子供の頃から、何度も見た光景。
自信に満ち溢れた彼は、とても心強い。
……*
廃坑に入り込んだイルが最初に狙ったのは、ゴブリンマジシャン。
狭い坑道で魔術を使われると厄介なので、まずは魔術師を潰す。定石通りの動きだった。
狡賢いゴブリンだが、イルの行動に虚を突かれた形となる。
強引に突破した最前線のゴブリンに対しては、振り返る事すらしない。
彼の目的はあくまで、奥にいるゴブリンの親玉。
周辺の雑魚は私に任せたという、無言の意思表示。
イルはいつもそうだ。だけど、彼はそれでいい。
英雄だなんて、定義も無ければ途方も無い物を目指している彼には振り返る時間すら勿体ない。
振り返らないのは、私への信頼。露払いは、きっちりとこなして見せる。
私が風刃でゴブリンを斃している間、イルはゴブリンロードを斬って捨てていた。
「フッ、他愛もない」
「イル。誰も見てない」
イルは少しだけ残念そうな顔をすると、紅龍王の神剣に付着した血をその魔力で蒸発させていた。
驚くほど簡単に、ゴブリン討伐は終わりを告げる。
……*
エトワール家。私の実家。
私たちを出迎えたお母様はとても上機嫌だった。
理由は判っている。イルがいるからだ。
「おかえりなさい、クレシアちゃん。それに、イルシオン君も」
「ただいま戻りました、お母様。
イルと今後の相談がありますので、部屋に戻りますね」
いつまでも「ちゃん」付けで呼ばれるのは、子供扱いされているようで恥ずかしくなる。
隣にはイルが居るから、尚更だった。
それを悟られないように、私はイルを連れて自分の部屋へと戻ろうとする。
「母君、クレシアの事は心配無用です。オレが必ず護りますので」
「あらあら、やっぱりイルシオン君は頼もしいわね」
「イル! 行きますよ!」
こそこそと話すイルとお母様を引き離すように、私は部屋へと戻った。
きっと、自分の事を言われているのだ。それだけは判る。
風でいじって会話の内容を知る事は出来る。
だけど、それはしたくない。それがイルに対しての私なりの誠意。
……*
「あ゛あ゛あ゛ぁぁぁ」
私の部屋に戻るなり、イルが机に突っ伏して情けない声を上げていた。
彼の魂が、呼気に混じって天に昇っているようにも見えた。
「結局、今回もいつもどおりだったね」
紅茶を淹れながらそう言うと、イルはまた情けない声を出していた。
「アメリア姉はともかく、ポレダでは一般人が巨大魔物と戦っているんだぞ。
どうしてオレだけが、そんなのと遭遇しないんだ?」
「きっとそのうち遭遇するよ。
今日だって、イルに救われた人はいる。村の人は、喜んでたじゃない」
そう、コリーナのギルドで依頼が出される前にゴブリンの巣を駆逐したと報告だけはした。
ギルドの受付は驚いていた。今、まさにボードへ依頼書を貼りだそうとしていたのだから。
正式に依頼を請けたわけではないので、報酬は無し。
でも、私もイルも報酬は二の次だった。受付のご婦人が「被害が出る前に対処してくださって、ありがとうございます」と礼をした。
大きな事件では無くても、英雄には間違いなく一歩近づいたのだ。
ただ、イルはそれだけでは満足できないらしい。
言い方は悪いが、ちやほやされたいのだ。具体的な指標としては、アメリアさんと同じぐらいに。
彼はアメリアさんと比べると、さほど国民に人気がない。その理由を私なりには分析している。
まずは、単純にふらふらしているから。社交的ではあるけれど、彼の態度はどこか高圧的に見える事もある。
自分が正しいと信じて疑わない。だから、合わない人にはとことん合わない。
次に、彼のやる気が問題に対しての初動の速さに繋がっている。
故に問題が表面化する前に解決する事が多い。
結果的に、あまりその活躍を人に知られる事が無い。
もう少し動き出しが遅ければ、目立てる可能性は高まるだろう。でも、私は敢えてそれをイルに伝える気は無い。
そんな下衆な考えを持つ人間が、英雄になれるはずはないのだから。
「そうかもしれんが、オレはもうちょっと感謝されたい」
ある意味で欲望に忠実なのが、イルの良い所で悪い所だ。
「じゃあ、気付いていない人の分は私が感謝する。
一番近くでイルのがんばりを見ているから、今日はそれで我慢して」
「分かった、それでいい。だから、いつものを頼む」
「はいはい」
イルが眉を顰めながら紅茶を飲むのを見て、私は苦笑した。
……*
夜が更けて、暗くなった部屋に蜜蝋の灯りが懸命に光を放つ。
甘い香りを放つそれは、心身を落ち着かせる。
私が今しているのは、ミスリルインゴットを用いた彫金。
何か事件を解決する度に紅龍王の神剣、その鞘に勲章代わりのアクセサリを足していく。
魔力を通しやすい素材なので、鏨に魔力を込めて彫ると力は必要ない。
部屋から中々出られなかった頃に、お母様に教わった彫金。
二人の姉は私と違って活動的で、彫金を全くしなかった。だから、彫金を私に教えるのは楽しかったらしい。
教わっている私の方は、楽しいよりもする事がないので仕方なくと言った感じで教わっていたのだけれど。
子供の頃は、彫金と盗み聞きしか出来る事が無かった。
その為、本気で彫金師になろうと思った事もある。
ベッドから身体を起こして、窓から外の世界を眺めるだけの日。
手入れされた庭園の葉が、そよ風に揺られる事さえ羨ましかった。
イルと初めて逢ったのは、そんな時だった。
自分よりも真っ赤な、燃え盛る炎のような髪をした少年が元気いっぱいに叫ぶ。
「オマエは、外で遊ばないのか?」
はっきり言うと、イルの第一印象は大嫌いだった。
ベッドで横たわっている自分の姿を見て、よくもそんな事が言えたものだと思った。
そっぽを向きながら「出来ない」と答えると「なんでだ!?」と訊かれたので、更に腹を立てたのをよく覚えている。
何故接点が出来たかというと、イルのお母様が同年代という事で子供をよく連れてきてくれていた。
遠くのフォスター家にまで顔を出していたのだから、余程の子煩悩だ。
ただ、時々聞かされる「アメリア姉」と「オリヴィア」の話はあまり面白くなかった。
元気いっぱいに走り回る姿を嫉妬していただけなのだが、イルがあまりに二人の事を楽しそうに話す。
一番体調が悪かった頃に、苛立ちがピークに達した私は酷い事を言った。
「私は走れないんだから、そんなの聞きたくない」
彼は困った顔をして、部屋を出た。流石の私も、やってしまったと思った。
それからしばらく、イルがエトワール家を訪れる事は無かった。
次に現れた時は、顔や腕に細かな傷をつけたボロボロの姿だった。
「これ、病気に効く薬だ!」
そう言って差し出されたのは、瓶いっぱいに入れられた緑色の液体。
万病に効く薬草や木の実をかき集めて、調合したという薬。
勿論、イルにそんな知識は無い。
わざわざ王都まで出かけて、たまたま出会った銀髪の薬師に調合してもらったらしい。
薬師の言う事をちゃんと聞いて、材料をかき集めて。必死に作ってくれたのだ。
そんな怪しい液体を、きっと今の私なら飲まないだろう。
でも、疑いもせずに飲んだ。
八つ当たりをしてしまった罪悪感。私の身を案じて、材料を集めて調合までしてくれた気概。
それらを無下に出来るほど、擦れては居なかったのだ。
結論から言うと、それは滋養強壮の薬だった。
飲み続ける事で、いつか私の身体は元気になっていった。
かかりつけの医者に訊いても、特殊な調合をしているらしく再現は難しいとの事だ。
会った事も見た事もない銀髪の薬師に、私は感謝した。
勿論、イルにも。
「あの、ありがとう。ひどい事言って、ごめんなさい」
私がそう言うと、イルは太陽のような笑顔を見せてくれた。
この時、私は彼に救われた最初の人間になったのだ。
お礼として贈ったのが、ミスリルを彫ったアクセサリだった。
まだ紅龍王の神剣を継承する前だったので、それだけは鞘に飾られていない。
子供の作ったものだし、子供が受け取ったものだ。イルもきっと失くしているだろう。
ただ、その想いは失われていない。
イルは人を救う事に自分の意義を見出して、英雄を目指すようになった。
ちょっとやり過ぎな面もあるけれど、私は傍で支える事にした。
ただ、アメリアさんの妹。オリヴィアには子分だの揶揄される事がある。
思い出したら腹が立って来た。彼女は物事を斜に構えているというか、飄々としているというか、掴みどころが無い。
「……あ」
オリヴィアの事を考えていたら、手元が狂ってしまった。
予定していなかった線が一本、アクセサリに掘られてしまう。
元々デザインをイルに見せていた訳ではないので、バレる事はないのだけれど。
考える内容を間違っていた。私が考えるべきは、イルの喜ぶ顔。
助けられた人の喜ぶ顔。そして、これからもイルが迷わずに自分の道を進める事。
魔術付与という形で、私はそれをアクセサリに込めた。
……*
「おお、今回もいい出来だな!」
鞘に着けられた新たなアクセサリ。それを見て、イルはご満悦だった。
英雄に満足いただけたみたいで、私も徹夜した甲斐があるというもの。
「特に、このラインがカッコいいな!」
イルが指したのは、オリヴィアの事を考えた時に掘った線だった。
これからは、オリヴィアへの苛立ちも乗せて彫った方がいいのだろうか。
「ありがとう、イル。それと……」
私は、顔を背けながらイルにもうひとつ渡した。
「材料が余ったから、コレ」
渡したのは、指輪。ミスリル製の、私が彫った指輪だった。
指輪という形にしたのは失敗かもしれない。恥ずかしい。
「おお、今日は至れり尽くせりだな」
でも、イルは全く気にする事無く受け取った。
指輪を嵌めてはご満悦だ。
実は、同じ意匠で自分の分も作ってある。
それは、彼には内緒にする事にした。
いくらイルでも、見てしまったら私の意図に気付いてしまうだろうから。




