80.認識への不安
砂に潜る砂漠蟲。
地中を這いずり回るそれは、カッソ砦で戦った個体とは比べ物にならない速度だった。
本来のフィールドである砂であれば、これほどの速度で動くのかと息を呑んだ。
アメリアは安易に砂漠へ降りなかった事に胸を撫で下ろす。
この速度で動かれては、間違いなく位置を掴むより喰われる方が速い。
試しに魔力の塊を砂漠へと放ってみた。
砂に触れた瞬間、それは砂漠蟲に喰いつかれてしまう。
次は、砕けた壁の破片を砂漠へと放ってみた。
やはり、砂漠蟲に勢いよく喰らい付かれてしまう。
まるで釣りでもしているような気分だった。
周囲に人影がないからだろうか。
砂漠の表面に起きた変化をいち早く察知している様子が見て取れた。
その一方で、アメリアはひとつの仮説を立てた。
やはり、この砂漠蟲が『親』なのだろうと。
突然変異種を利用している者がいるのか、それとも人為的に生み出されたのかは定かではない。
ただ、この砂漠蟲は本来のものに最も近い性質を持っていると考える。
根拠となるものは、その活動範囲。
蒼龍王の神剣をアンテナに、ずっと奴の魔力を追っている。
その結果、砂中では乾いた砂以外を徹底的に避けている。そんな動きが見て取れた。
勿論、国境を越えてミスリアへ侵入してくる可能性を捨てて良い訳では無い。
カッソ砦に現れた個体も、産まれたのは砦ではない。
本能では砂より餌を求めて活動をしていた可能性も十分に考えられる。
だが、この砂漠蟲にとってそれは決して心地の良いものではない。
現在の行動を見ていると、それがよく判る。
餌に喰らい付くのは、あくまで住み慣れた砂漠でのみ。
それならば、対処の方法はある。
アメリアは、ルクスに言った「考え」を確信に至らせるべく動いた。
砂中で駆け回る砂漠蟲の進路を塞ぐように、水魔術で砂を湿らせる。
水で締まった砂を避けるように、砂漠蟲は進路を変えた。
国境を越えてこないのであれば、好みの地質があるに違いないとアメリアの睨んだ通りだった。
これなら、砂漠蟲の行動をある程度誘導する事が出来る。
隣のルクスに視線をやると、自分が頼んだ通りに魔術の詠唱をしてくれている。
後はその矛先を向けるべき相手を、きちんと引き摺りだしてやるだけだった。
水の城壁を砂中で発現させ、まずは砂漠蟲の退路を断つ。
魔術の届かない範囲に逃げられる事だけは防がなくてはならない。
そのまま進行方向に合わせて水の城壁を唱え続け、段々と袋小路に追いやる。
第一段階はこれでクリアした。水の壁に囲まれた砂漠蟲がどう動くか。
その行動次第で、アメリアの対応も変わってくる。
息をつく間もなく、その時は訪れた。
縦横無尽に走り回っていた蚯蚓は、道が防がれた程度ではその動きを止めなかった。
何者かが砂を泳ぐ邪魔をしている。その怒りの矛先を正しく向けるために、地中から勢いよく飛び出した。
「――来た!」
その一瞬を見逃さず、アメリアは魔術を放つ。
自分が最も得意とする水の拘束魔術、水の牢獄。
水の輪が、瞬く間に砂漠蟲の巨体を包んでは締め上げる。
詠唱を破棄し、発動速度を優先した魔術。
それでも何度も唱えて、反射的に出せる程に熟練された魔術。
明確な縛り上げるイメージを持った水の牢獄を砂漠蟲はその膂力で破ろうとしている。
しかし、それもアメリアの想定の内ではあった。
「水流よ。決して解けぬ鎖の環と成り、抗う力を奪い給え。
――水の牢獄」
もう一度、砂漠蟲の身体に水の牢獄を重ねる。
今度は、速度ではなくその拘束力を強めるために詠唱を加えて。
そのまま絞殺されかねないほどの力で、砂漠蟲は自由を奪われる。
必死の抵抗で、振り回した頭は別の生き物のように暴れている。
虚空に繋がっているかのような大口が、ぶんぶんと振り回された。
「ルクス様、今です!」
「――雷光一閃ッ!」
大きく開いた口へ目掛けて、ルクスは雷の魔術を放つ。
雷を収束させ、大きな光の筋が真っ直ぐに砂漠蟲の身体を貫いた。
稲妻弾よりも数段高い威力を重ねられたそれは、砂漠蟲の身体を突き破る。
アメリアの水の牢獄が雷を増幅させ、身体の内からも外からも破壊していく。
ビクビクと首を振り回していた砂漠蟲の頭は、黒く焦げて身体から崩れ落ちる。
皮肉にも、頭を落とした事で水の牢獄による拘束から解放された。
このままでは済まさないと、最後の力を振り絞るように砂漠蟲の頭はアメリアとルクスに向けて飛びかかる。
「っ!」
頭だけでも襲い掛かる執念には恐れ入った。
しかし、砂中を走り回っていた時とは違い、それは破れかぶれの一撃だ。
神剣を抜いたアメリアは迫りくる大口を真っ二つに切り裂き、床へと薙ぎ捨てる。
そのまま手をかざし、とどめを刺すべく魔術を唱えた。
「水重圧」
二つになった砂漠蟲の頭を、強烈な水が圧し潰していく。
バラバラと少しずつ朽ちていき、最後は砦の染みとなるように潰されて消えていった。
頭だけになっても動くような魔物だ。
気を抜いていけないと、再び魔力の流れを感知するよう感覚を研ぎ澄ます。
魔力と気配が完全に消えた事を確認して、アメリアは漸く「ふう」と息を吐いた。
「ありがとうございます、ルクス様。お見事でした」
「何を仰いますか。アメリア殿が居たからこそ、私は魔術を撃つことに専念できたのです」
お互いが顔を見合わせて、肩を竦めた。
……*
「結局、何が起きたのでしょうか」
ルクスの部屋で珈琲を飲みながら、彼は貯えた髭を撫でた。
問題の根源は退治をした。あの変異した砂漠蟲に襲われる人はもう増えない。
「……分かりません。ただ、ウェルカでの事件に似ている部分はあります」
「例の、コスタ公が引き起した事件ですか」
アメリアは医務室で倒した砂漠蟲。それが遺した琥珀色の欠片を眺めながら、こくりと頷いた。
内容は違えど、性質は似ている。この欠片も、魔物の『核』に近い性質を持っているように思える。
それらを目の当たりにした以上は、自分の知っている事を共有するべきだと思った。
「説明します、ウェルカで起きた事を」
ウェルカでの出来事を、ルクスも知らない訳では無い。
自分のお抱えの黄道十二近衛兵もいるので、精度の高い情報は手に入れている。
それでも、俄かに信じがたかった。
人間が魔物に変貌したという事も、魔王の眷属が街中に召喚されたという事も。
ただ、アメリアは決して自分の行動を脚色するような人間ではない。
それに、ダールがそのような蛮行に及んだ事も受け入れ難かった。
ルクスは彼と面識があった。
尤も、ルクス自身は黄道十二近衛兵を務めていた事もあり、直接相対する機会は少ない。
「あの男には出世欲より、愛国心が勝った男だという印象を持っています。
魔導具を次々と生み出すマギアや、高い魔力を持った妖精族。それらに強い対抗心を燃やしていました。
それが歪んだ形で現れたのかもしれません」
「だとしても……」
「ええ、どれも見た事が無い現象ばかりです。
研究所を去った後で、そのような事が行えるでしょうか?
設備や資金面でも、一体何が起きているのか……」
アメリアは下唇を噛んだ。カッソ砦も、似たような被害で疲弊している。
そのような状況で、ルクスを疑うような発言をする事に当惑の色を見せた。
しかし、ルクスはアメリアの様子に気付いていた。
その上で、きちんと口に出した。
「アメリア殿が、五大貴族を疑うのは当然です。
設備も資金も、隠蔽さえ五大貴族ならば可能でしょうから。
その上で、きちんと釈明させていただきます。
私は……。いえ、ステラリード家はそのような蛮行に及ぶ事は誓ってあり得ません」
ルクスの眼は真剣そのもので、嘘偽りは感じられなかった。
「……分かりました。陛下には私から、そう伝えておきます」
信じるほかない。そう思った一方で、アメリアはまたも頭を悩ませる。
自分が一度研究所に持ち帰った石の事を、相談するべきだろうかと。
そんなアメリアの思考を止めたのは、ノックの音だった。
ルクスの部下であるカッソ砦の兵士が、「失礼します」と部屋の中へと入る。
「どうした?」
「捕虜としたデゼーレの兵への尋問が終了しました」
「そうか、なんと言っていたのだ?」
確かに、今回の問題は魔物だけでは無かった。
混乱に乗じて、カッソ砦を落とそうとしたデゼーレの兵。
盗賊が火事場泥棒を働くだけなら言い訳でもできようものだが、兵士となればそうもいかない。
最悪、国家間での争いにだって発展しかねない。
デゼーレの人間にとって、カッソ砦が邪魔だと言い分は解る。
今は争っていないとはいえ、ミスリアには豊富な資源がある。
砂漠だらけのデゼーレが虎視眈々と狙うのも無理は無い。
事実、フレジス連邦国が小国家としての身を寄せ合ったのもデゼーレの侵略を警戒して力を合わせたという経緯がある。
「それが、意味の分からない事を……。
何でも、『ミスリアはじきに疲弊をして、防衛どころではなくなる。攻める好機がある』と唆されていたようでして……。
今回の混乱を見て、今がその好機だと思い、蛮行に及んだという事です」
アメリアとルクスは、揃って顔を訝しめた。
確かにウェルカではかなりの戦力を削られた、今回の件もひとつ間違えばカッソ砦が落とされていたかもしれない。
それでも腑に落ちない。そもそも、今回の件を持ち込んだのはデゼーレの人間ではないか。
じきに疲弊をするどころか、かなり直接的な行動に出ている。
いや、問題はそこではない。
疲弊をすると言い切っている人間がいるという事実が問題なのだ。
「……その唆した人物は、特定出来たのですか?」
アメリアの問いに、兵士は首を振った。
「いえ、その男は顔を隠していたようです。
ただ、デゼーレ特有の訛りが無い事からミスリアの人間なのだろうと話を鵜呑みにしたようですね」
「なんでそんな怪しい人間の話を鵜呑みにするんだ。馬鹿なのか」
毒づくルクスに賛同をしたい所だが、焦点はそこでは無かった。
ミスリアの人間が、他国に攻め入る事を唆したという事実。
砂漠蟲の件も、その人物が関わっているのだろうか。
だとすれば、見た事も無い技術で魔物を生成しているという点は合致する。
しかし、腑に落ちない点も同時に出てくる。
ダールはあれで、歪んだ愛国心を持っていた。
ミスリアを攻めさせるという狙いは、ダールの本懐とは逆になるのではないだろうか。
五大貴族を調査していた理由も、歪んだ愛国心の具現化という仮定によるものが大きい。
一枚岩ではないという事だろうかと、アメリアは頭を悩ませる。
(もしくは、一国だけの問題ではない……?)
アメリアはこの件を、ミスリア国内の問題だと捉えていた。
その前提が間違っているのであれば、もっと大きな範囲でものを見るべきだったのであれば。
兎にも角にも、隣国にミスリアが攻め込まれる可能性が出てきた。
まずはそれを、王都に伝えなくてはならない。
「ルクス様。私は一度、王都へ戻ります」
「分かりました。アメリア殿、デゼーレの者への尋問はお任せください」
「ありがとうございます。ああ、それと……」
ここまで来たなら、きちんと話しておくべきだろう。
アメリアはそう考え、邪神の事についても話した。
「そのような存在が……?」
「眉唾物ではありますが、もしそのような単語が出た場合は気を付けてください。
敵の形は未だに見えてきません。無理や無茶だけはなさらないよう……」
「それはアメリア殿の方ですよ」
ルクスが笑い飛ばすと、アメリアは照れくさそうに苦笑いをした。
カッソ砦を出たアメリアは、王都へ向かって馬を走らせる。
何かが悪い方へと動きそうな、嫌な予感が背中を湿らせた。




