79.蟲退治
医務室へとたどり着いたアメリアは、そこが本当に医務室であるのか確信が持てなかった。
壁、地面、天井と四方八方に開けられた穴。そこら中に飛を飛び散る琥珀色をした結晶の欠片。
部屋の中心に身を寄せ合い、互いの死角をカバーし合う兵士達の姿。
「現況はどうなっていますか!?」
アメリアの出現に、兵士達の強張っていた顔は僅かに解ける。
しかし、兵士達とは裏腹に彼女の心中は穏やかなものでは無かった。
「突然、結晶となった腕や脚から砂漠蟲が生まれて……。
元となった人間は喰われてしまって、それで……」
口を震わせながら説明をする兵士を、何とか宥める。
見境なく襲われ、傷つく民。突如、現れる魔物。
部屋に点々とする血痕が、食い千切られた四肢の一部が、ウェルカでの出来事を脳裏に浮かばせる。
同じ轍を踏む訳には行かない。あんな事件をもう再び起こす訳には行かない。
そう誓ったのに、アメリアの眼前に映っているものはあの時と酷似した光景が広がっている。
自然と、剣を握る力が強まっていた。
話を訊く限りでは四肢を喰われ、結晶体が生えてきた者から砂漠蟲が生まれているという。
その様子を目の当たりにしてしまったのだろう。
左脚が結晶体となった隣国の盗賊。彼だけが、皆と身を寄せ合う事を許されては居なかった。
「お、おれも……」
「お前は来るな! 脚から砂漠蟲が産まれたらどうするんだ!」
這いずって近付こうとする男を、全員が拒絶する。
その拒絶を孕んだ視線は専ら琥珀色の脚へと向けられている。
アメリアは切歯扼腕するばかりだった。
彼は他国の人間で、盗賊だ。しかし、アメリアにとってはそれが彼を見棄てる理由にはならなかった。
「フォスター殿!? 危険です!」
盗賊の男に近寄るアメリアを呼び止めるように、兵士が叫んだ。
「大丈夫です。貴方達はそのまま、周囲の警戒をお願いします」
「しかし……」
陣形を崩そうとする兵士達を、アメリアはその手で制した。
決して、彼らが間違っている訳では無い。
この状況で、彼らはその身を護るための選択を正しく選んでいる。
だからこそ、盗賊の男を救うのは自分の仕事だと強く思う。
一歩ずつ近寄る。
琥珀色の結晶は惹き込まれる様な美しい色で輝いていた。
「触れても、良いですか?」
「お、おう……」
男からの同意を得て、結晶となった左脚に触れる。
多少強く触っては見たが、男の反応は無い。やはり、感覚は無いらしい。
アメリアは神経を研ぎ澄ませ、周囲の魔力を知覚するように努めた。
ウェルカで魔物に変貌する人間には、魔力の動きがあった。
今回の症例でも同じとは限らないが、あの琥珀色の結晶からは魔力が感じられる。
試す価値は十分にあるとアメリアは判断した。
予想通りだったのは喜ぶべきなのだろうか。
魔力の流れは、人体から結晶へと流れている。
治癒魔術後に出現したというのだから、何かしら魔力が影響をしている事は予測していた。
そして、そこから砂漠蟲が出現するのであれば。
この琥珀色の結晶は、『卵』だと判断した。
噛み千切った四肢にそれを植え付け、治癒魔術という明確に自分へ向けられた魔力を得て成長させていく。
後は、宿主となった人間から魔力を奪った後に孵化をする。
砂漠蟲の生態をアメリアはよく知らない。
だが、自然発生している砂漠蟲とは明らかに違うプロセスを歩んでいるだろう。
幾度となく脳裏にウェルカでの出来事がちらつく。
今回の件も人為的なものだとすれば、ダールに仲間が居た事の証明。
それも、相当趣味の悪い仲間が。
色々と考えないといけない事はあるが、今は目の前の男を救う事が優先だ。
彼自身から魔力を奪っているのだとすれば、まず思い浮かぶ対処。
口にするのは少し躊躇したが、アメリアは真っ直ぐ彼の眼を見て言った。
「この左脚。結晶部分を切断させてもらってもいいですか?」
男は眼を丸くする。彼が近付く事を拒否した兵士達からでさえ、どよめきが起きた。
眼前の騎士は食い千切られた脚を、また斬り落とそうとしている。
青白く輝く刃の切っ先が、冗談で言っている訳ではないと真に訴えてくる。
このまま拒否をしても、自分の状態が好転しない事は理解している。
神経は通っておらず、自らの意思では動かす事もままならない。
自分の脚から魔物が生まれるかもしれない。先ほどから、力が抜ける感覚もしている。
それでも、自分の脚だ。再び失う事を決意するには、勇気が必要だった。
男は固唾を呑む。「頼む」という一言が、中々出てこない。
彼の背中を後押ししたのは、他でもない砂漠蟲だった。
「フォスター殿!」
部屋が大きく揺れると同時に、兵士が叫んでいた。
アメリアの左右、そして背後の床を突き破って三匹の砂漠蟲が現れる。
三匹がその大口を向けている相手は、揃ってアメリア。神器を持ち、この中で最も強力な魔力を持つ者を標的に定めていた。
「――氷結閉塞」
しかし、アメリアは気付いていた。砂漠蟲が地中から殺気を放っている事に。
巨大な身体をしならせ、その口腔にアメリアを閉じ込めようとした砂漠蟲の動きが止まる。
アメリアが唱えた氷結閉塞が魔物の身体に氷を纏わせる。
瞬く間に、氷に閉じ込められた砂漠蟲の標本が出来上がっていた。
神経を尖らせ、魔力の流れを感知していた際に地中で蠢く砂漠蟲の存在にも気が付いていた。
盗賊の左脚を調べながら、組み立てていた氷結閉塞のイメージ。
砂漠蟲の気配が床に近付くにつれて、アメリアはそれを強く固めていた。
結果、狙い通りに砂漠蟲の動きを止める事が出来た。
そのまま蒼龍王の神剣を振り、凍った身体を粉々に砕く。
最も近い位置で目の当たりにしていた盗賊は、命拾いをすると同時に確信をした。
自分の脚も、こんな化物が生まれてくる可能性があるという事を実感した。
他国の人間であり、盗賊である自分に手心を加えてくれるだろうかと思う所はある。
しかし、同時に感じてもいた。彼女は、その魔術を自分に向ける事は無かった。
今の流れで、きっちりと自分に影響が出ない範囲に魔術を使ってのけたのだ。
その事実に気付いた時、男は自然と頭を垂れた。
「おれの脚も……頼む」
アメリアは小さく頷くと、男の脚から生えている水晶を砕いた。
念入りに水晶と肉体の境目に不自然な魔力が流れていない事を確認したうえで、改めて男へ治癒魔術を唱えた。
三匹の砂漠蟲を倒した事で、室内に康寧の空気が流れる。
しかし、決してまだ解決したわけではない。
「この人はもう大丈夫です。すみませんが、後はお願いしてもいいですか?」
兵士へそう促すと、盗賊の男は医務室のベッドに寝かされる。
残った人間も、緊張の糸が切れかかっている。
下手に助力を求める事は危険だと判断したアメリアは、そのままこの部屋の守護に尽力を尽くすように命令をした。
その指示を出した以上は、これ以上犠牲を出すわけには行かない。
自分にはその責がある。
アメリアは大きく深呼吸を行い、蒼龍王の神剣の切っ先を床へと突き立てる。
瞼を閉じ、より感覚を研ぎ澄ませる。
地面や壁を這いずり回るような、不快な魔力の動きはもう残ってはいない。
他に身体が水晶となった者は居ないかを確認したが、全て医務室で経過を観察していたという。
少なくとも、砦に発生した砂漠蟲はもう存在していない。
ただ、先刻自分に結晶となった腕を見せてくれた女性の姿は確認できない。
彼女の身に何が起きたかを察したアメリアは、弔いの祈りを捧げた。
ルクスの方も、魔力の流れは感じ取れない。
魔術を使わない戦闘を繰り広げているか、もしくは既に終了をしているか。
彼の元へ向かう前に、アメリアにはやるべき事が残っていた。
蒼龍王の神剣を媒介に、詠唱を口ずさむ。
「氷精よ、その身を凍てつかせよ。万物の熱を奪い、人形と成せ。裁きとして奪うは、その刻。
――終焉の氷結閉塞」
アメリアが唱えた魔術は、砂漠蟲のが飛び出た穴を伝って砦の地下を凍らせる。
魔力の消費を節約する意図もあったが、イメージをより明確にしたかった。
凍り付いた穴は、砂漠蟲だけではない。
万が一でも、デゼーレの人間に利用させる訳には行かない。
「……それでは、後はお願いします」
それだけを言い残して、アメリアは医務室を後にした。
……*
「アメリア殿。やはり、この氷の魔術は貴女でしたか」
デゼーレの兵士、盗賊が横たわる中でルクスは傷一つ負ってはいなかった。
流石はステラリード家の当主と言ったところだろうか。
「ええ、砂漠蟲の対処は終わりました。
なので、助太刀と思ったのですが……余計なお世話でしたね」
要らぬお節介だったと苦笑するアメリアだったが、ルクスは「とんでもない」と高らかに笑っていた。
「私がこの狼藉者に追われている間に、問題を解決したのですから。
流石は、アメリア・フォスターといったところですかな」
「やめてください、ルクス様」
子供の頃から知っている人物に言われると、照れてしまう。
頬を赤らめながら、アメリアは両手をぶんぶんと振った。
「……それで、この者達はどうしましょうか」
今回の件にかこつけて、デゼーレの兵士が牙を剥いたという事実。
その件についての後始末は、恐らくデゼーレとの外交に影響が出るだろう。
「まずは、尋問をするしかないでしょう。
賊はともかく、兵がこのような蛮行に及んだのは理解に苦しみますが」
あるいは、混乱している今なら落とせる。本気でそう思ったのだろう。
甘く見られたものだと、ルクスは毒づいていた。
「そうですね。その件につきましては、ルクス様にお任せしても良いですか?」
「勿論です。カッソ砦の責任者は私なのですから」
「ありがとうございます。そうなると、残る問題は――」
「ええ、奴ですね」
捕らえたデゼーレの兵士と盗賊を縛り上げると、二人は砦の外へと赴いた。
……*
「さて、どうしたものですか……」
カッソ砦から見下ろす、デゼーレとの国境線。
砂塵が舞う中、それは勢いよく地中から飛び出していた。
砂漠蟲。
話の最初の挙がっていた、異常に発達した個体。
人体に『卵』を植え付け、仲間を増やす。
この個体を放置する訳には行かなかった。
「砦を落とそうとした馬鹿者の件も含めまして、後始末は私に任せてください。
国境を越えていようが、構いません。我が国に不利益が出る前に始末をしましょう」
ルクスの言葉には若干の怒気が含まれていた。
手を差し伸べたのに、それを無下にした者への怒り。
非常事態だからと甘く接してしまった自分に対しての怒り。
それらが混ざり合ったような感情だった。
「……分かりました。ただ、あの砂漠蟲を退治するにしても、砂漠に降りる訳には行きませんね」
眼に見える範囲だけでも、物凄い速さで移動をしている。
人を丸呑み出来るほどの巨体が、高速で動いているのだから戸惑うのも無理は無かった。
慣れない砂漠で足を取られている間に、丸呑みにされかねない。
もしくは、自分達が『卵』を植え付けられては本末転倒だ。
「ならば、どうなさるおつもりですか?」
「私に考えがあります。ルクス殿は、奴を攻撃する魔術の準備をお願いします。
出来れば、一撃で仕留められるぐらいの威力で」
アメリアはそれだけ伝えると、再び蒼龍王の神剣を突き立てる。
神経を研ぎ澄ませ、砂漠蟲の動きを魔力を捉える準備を始めた。