78.混乱のカッソ砦
カッソ砦に到着したアメリアを待ち受けていた光景は、彼女が思っているものとは大きく異なっていた。
隣国の盗賊団。その一員と思わしき者を自国の者が手当てをしている。
盗賊団だけではない。治療を受けている者の中には、デゼーレの兵士や一般人も混じっている風に見受けられる。
兎にも角にも、奇妙な光景だった。
「あの、これはどういう……」
慌ただしく動き回る衛生兵を呼び止めるのは気が引けたが、何か手伝える事があるかもしれない。
そう思ったアメリアは、事情を確かめる。
「はい……。って、フォスター様!?
ど、どうしてこんな所に!?」
衛生兵はアメリアの存在に気付くと、驚きのあまり持っていた治療具を落としてしまう。
アメリアはそれを拾い上げ、衛生兵に手渡すと彼は手を震わせながら受け取る。
突然現れた貴族に、緊張をしている様子だった。
「すいません。呼び止めてしまって。
見た所、デゼーレの方ばかりが負傷しているようなのですが……」
「ええっと、それが……」
衛生兵の話によると、デゼーレとの国境付近で現れた魔物が原因らしい。
砂の中で活動し、蚯蚓のように長い身体を持つ蟲。砂漠蟲。
活動の殆どを地中で過ごす為、視力は殆ど持たない。
代わりに発達した触覚と聴覚が、砂の上を歩く生物を感知する。
狙われた獲物は地中からの奇襲に対応できず、捕食されるという魔物。
「砂漠蟲ですか……」
名前こそ、かつて知識として頭に入れた事はある。
だが、アメリアもその実物を見た事は無い。
理由としては単純にミスリアでは砂漠蟲の棲みつく環境が整っていない事に起因する。
砂漠蟲は砂漠を好むというよりは、砂漠でしか活動が出来ない。
それも、極めて水分の少ない砂漠でのみ。
デゼーレの中部にある、砂漠の遺跡。
その周辺に巣があるとされ、遺跡の財宝を狙う冒険者や盗賊を捕食している。
逆に言えば、デゼーレの遺跡周辺にさえ近付かなければ遭遇する事はまずない。
ミスリアとの国境付近では砂漠蟲の生息環境は整っていない。
故に守護をしているカッソ砦からも、存在が報告された事は無い。
「はい。話を聞く限りは一匹だけなのですが、地中を高速で動いているらしく。
何人か、既に喰われてしまった人間もいるようです。
砂漠では追い付かれてしまうからと、この砦まで逃げ込んだ者をルクス将軍の指示で匿っている次第であります」
地中を拘束で動く砂漠蟲を相手取るのは、非常に困難だ。
目の前から消えたと思った瞬間には、既に背後に居る。
砂漠蟲相手では動き回っていても、立ち止まっていても的にされてしまう。
逃げるにしても、人間の走る速度より砂漠蟲が地中を走る速度の方が遥かに速い。
「正しい判断だと思います。いくら他国の者といえど、見殺しには出来ません。
私たちも、そういった人に救けられましたから」
そう、自分の愛する国が壊される。
抗っても、精神が削られていく。
心が折れかけた時に、救けてくれたのは他国の人間だった。
全員が善人では無い。性善説を信じたくても、現実としてそうなっている。
だけど、逆に言えば自分の身を省みないお人好しだっていてもおかしくは無い。
ウェルカで逢った彼らは、まさしくそれだった。
「アメリア殿! いらしていたのですか!」
野太く、大きな声が砦中に響く。
声の驚いて、顔を向けるとそこに居るのは筋肉の鎧の上から、更に鎧を纏った屈強な偉丈夫。
ステラリード家当主、そしてこのカッソ砦の責任者でもあるルクス将軍。
「ルクス様。お久しぶりです」
「ああ、いや。そんな、頭を下げないでください」
幼いころから世話になっている相手が頭を下げる様を見て、アメリアは恐縮した。
これは自分の実力ではなく、神器の威光によるものなのだから。
「ルクス様こそ、私のような小娘に無理をして敬語を使わないでください。
イザベラ様はもっと砕けて話してくださりましたよ」
「いえ、それを仰るならアメリア殿こそ」
お互いが顔を見合わせ、間を置いて同時に笑みを溢す。
困惑をする衛生兵に「後は私が話をしよう」と言い、持ち場に戻らせた。
「すいません。急に訪れた上に手を止めさせてしまって……」
「いえ、丁度良かった。アメリア殿の見解を訊きたいのですが。
ここでは何ですので、私の部屋で」
アメリアは静かに頷いた。
ここでは話し辛い何かがあると言う事だろうか。
……*
「――それで、何処まで聞きましたか?」
「砂漠蟲が出現して、逃げ込んできた方を匿っているぐらいしか」
「因みに、アメリア殿はどうお考えですか?」
ルクスの言う通り、アメリアには引っかかる事があった。
砂漠蟲が己の活動範囲を大きく越えている事もだが、それ以上に隣国の動きが。
仮に受け入れなかった場合、「国民を見殺しにした」とでも騒ぎ立てる可能性が無いとも言えない。
そういう意味でも、ルクスの判断は懸命だったと思う。
「救けなかった事を口実にミスリアへ攻め入るとは考え辛いですが。
それでも、今後の関係を考えると見殺しには出来ませんね」
「受け入れる事にも、危険があるとお思いですか?」
アメリアは、頷いた。
匿っている人間の大半は、盗賊なのだ。
このままデゼーレを送り返そうにも、件の砂漠蟲が邪魔をして国境を越える事が出来ない。
それだけではない。
デゼーレの兵士を治療の為とはいえ受け入れてしまっている。
帰国後は建物の構造や体制を、間違いなく報告するだろう。
極めつけは外に存在している、砂漠蟲。
あの砂漠蟲は例外だ。
本来の生息範囲を大きく越えて、活動をしている。
そんな個体が、砂漠を越えない保証がどこにあるというのか。
「デゼーレの動きも、受け入れた盗賊も、砂漠蟲も。
ああするしかなかったとは言え、良い様にやられている感がありましてね」
「……ルクス様は、これが人為的なものだと?」
「とんでもない。あの砂漠蟲自体は突然変異だと思いますよ。
ただ、デゼーレにそれを上手く活用されているような気がしましてね」
確かに、ルクスの言う通りだった。
ミスリアの視点で見れば全てが他国の問題にも関わらず、渦中に巻き込まれた形となっている。
「退治しようにも、国境を越えないと戦えませんしね。
そこが今は足枷……ですか」
「それだけではありません」
そう言うと、ルクスは一人の人物を呼び寄せる。
ぱっと見た所、風貌からデゼーレの市民女性のようだった。
砂漠蟲に襲われたのか、その肘から先は指までぎっしりと包帯が巻かれている。
「彼女の症状を見てもらえませんか?」
ルクスが頷くと、躊躇しながらも彼女は腕の包帯をゆっくりと解いていく。
指先が露わになり、先端が琥珀色の結晶となっている所で彼女はその動きを止めた。
彼女自身、それを受け入れられないと言った風に涙を流している。
「これは、一体……」
「彼女は、砂漠蟲に腕を食い千切られてしまったのです。
治癒魔術で止血を試みたのですが、時間が経つと失ったはずの腕がこのような形で出現して……。
感覚が無く、動かす事も出来ないようです。ただ、元あった形のように魔石のような結晶が……」
ルクスの話によると、同様の症例は複数の人間から確認が出来たらしい。
どれも、四肢を食い千切られた人物に治癒魔術を唱える事で補うように発現しているのだとか。
「アメリア殿は、どうお思いですか?」
正直、見ただけでは何も解らないというのが本音だった。
ただ、失われた腕から魔力が流れているのは感じ取れた。
つまり、ただの石ではない事は確かだ。
「今の方だけでは、正直なんとも言えません。
気は引けるのですが、同じ症状の方を見させていただいてもよろしいでしょうか?」
「分かりました、それでは医務室に――」
「――うわああぁぁぁぁぁ!!」
ルクスが席を立った瞬間の事だった。
カッソ砦に、大きな悲鳴が響き渡る。
「何事だ!?」
部屋を飛び出たルクスの眼前に、一本の丸い柱が出現する。
否。それは柱では無かった。
地中から飛び出してきた砂漠蟲が、真っ直ぐに身体を伸ばした姿だった。
「なっ……!?」
たたらを踏んだルクスだが、そのままでは終わらない。
持っていたミスリル製の剣を砂漠蟲の身体に突きさすと、そのまま雷の魔術を唱える。
剣を伝って内部から焼き尽くされた砂漠蟲は、そのまま崩れ落ちて通路へと横たわった。
「お見事です。ルクス様」
出る幕が無かったといった様子で、アメリアは感嘆の言葉を上げる。
だが、ルクスの表情は険しかった。
「……小さい」
ぽつりと、ルクスが呟いた。
「小さい? どういう事ですか?」
「報告では、人すら呑み込めそうな大きさの砂漠蟲だと聞いています。
これでは小さすぎます。それに、デゼーレの砂漠を越えてミスリアの地にまで……」
懸念していた、砂漠蟲が砂漠を越えるという事を成し遂げてしまった。
それ以上に、発見されたものより小さい個体。
つまり、最低でも砂漠蟲はもう一匹いる。
下手をすると、ミスリル国内に。
アメリアは飛び出したい気持ちを抑えて、状況の分析に努める。
まずは、ルクスが斃した砂漠蟲の形状を観察する。
人を呑み込むとまではいかないが、それでも人間の横幅ぐらいの太さはある。
観察を続けていると、光に反射して輝くものがある事に気付いた。
「これは、結晶……?」
輝いているものは、鮮やかな琥珀色をしている。
アメリアは背中が汗ばむのを感じた。これと似たものを、今しがた目撃したばかりだった。
加えて砂漠蟲からは魔物自身の紫色の体液のほか、赤い液体が混じっていた。
そして、砦に響いた悲鳴。
この場ではない別の所で、それは発せられている。
そこから結論まですんなりと行きついたのは、過去に同じ経験をしたからであろう。
仔細は違えど、アメリアはそれだという事を前提にした。
「ルクス様、悲鳴の方角はどちらですか!?」
焦るアメリアの様子を見て、ルクスはハッとした。
まだ、この件は何も解決をしていない。
「医務室の方です!」
「やはり!」
医務室に向かって二人は走り出した。
喧騒が、目的地に異変が起きている事を否が応でも伝えてくる。
「あの角を曲がれば、医務室です」
先導するルクスが通路の角を曲がろうとすると、突如死角から矢が飛んで来る。
ルクス咄嗟に身を屈め、鎧でそれを受け止める。
「チッ、外したか」
死角から現れたのは、隣国の盗賊と兵士。双方だった。
双方の眼光からは、明らかな敵意が向けられている。
「貴様ら……っ」
歯軋りをするルクスを嘲笑うかのように、隣国の兵士は言った。
「あの魔物にはこちらも困っていたが、ここの砦に侵入できたのは幸運だ。
ずっと厄介な砦だったんだ、これを機に落とさせてもらう」
「オレも、ここの制圧を手伝えばお咎めは無しって言われたんでな。そういう訳で、観念してくれや」
「……っ! 貴方達! 今はそんな時ではないでしょう!」
アメリアが蒼龍王の神剣を抜き、怒りを露わにする。
例えここでカッソ砦を落としたとしても、砂漠蟲はどうするというのか。
今でも、通路の向こうでは悲鳴混じりの音がアメリアの鼓膜を揺さぶっている。
「アメリア殿。医務室の方はお任せしてもよろしいですか?
この男達を招き入れたのは私の落ち度。まさかここまで馬鹿だったとは思っていませんでした。
申し開きの前にまずは、汚名をそそがせてください」
「ルクス殿、しかし……」
逡巡するアメリアを、ルクスが懇願するように叫んだ。
「アメリア殿、民を任せられるのは貴女しかいないのです。
……我が部下を、救けてはくれませぬか?」
剣幕に圧された訳ではない。ただ、優先順位を誤ってはいけない。
ルクスは、そう言っている。
「分かりました。……無理はしないでくださいね」
「それはお互いに。ですな」
奥歯を噛みしめ、アメリアはその場を後にした。
背中越しに聞こえる剣戟の音が、彼女の脚を急がせた。