8.魔女と怪物
黝い怪物を何度も魔導刃で斬りつけていく。
肉を焦がす臭いが絶える事なく、周囲に充満していく。
怪物は痛みを感じないのか、呻き声を上げながらもフェリーから目を逸らさない。
幾度となく再生しては、その不格好な巨体で向かってくる。
だが、愚鈍な動きではフェリーを捉える事は出来ない。
突進する度に軽く躱しては、反撃の一太刀を浴びせる。
「しつこい……ってぇの!!」
とはいえ、相手の再生能力も相当なものだった。
再生して、斬りつける。何度も繰り返される流れにフェリーもうんざりしてきた。
このままでは埒が明かない。何とか突破口はないものだろうか。
「オォアアア! アァァァアアァア!!」
それにしても、この怪物の再生速度は目を見張るものがある。
終わりの見えない消耗戦に並の相手だと心が折れてしまうのではないだろうかと思う。
ひょっとしたら不死身なのではないだろうか。そんな気さえしてくる。
(あたしと同じ……。いや、違う! ゼッタイ違う!)
自分と同じ不老不死ではないかと脳裏を過ったが、心がそれを拒絶した。
(あたしは成長が止まってるだけだし! 腕とか伸びたりしないし! 生えたりもしない!!)
口には出さずとも、否定の言葉を次々と浮かべる。
それにあんな風になってしまっては死んでいるも同然だ。『死』を望んでいるとはいえ、どんな形かは拘りたい。
兎に角、怪物は自分とは違う存在だ。それが何なのかという答えは出せないけれども。
「なんなのよ、コイツは!?」
怪物への攻撃を続けながら、マーカスを睨みつける。
彼の変わらない、貼り付けたような笑みがフェリーの苛立ちを加速させる。
「そんなに気になるなら、尋ねてみればいいじゃないか」
「……は?」
この男は何を言っているんだろう。
「えっと、あなたは一体なんなの?」
そう思いつつも、物は試しと言わんばかりに声を掛ける。
「あっはっは! まさか本当に話かけるなんて!」
「アンタぶっ飛ばすわよ!!」
素直に従ったというのに、マーカスに笑われてしまう。
もう、こうなったら操っているであろうアイツ自身をどうにかした方が早い。
怒りと恥ずかしさから、矛先を変えようとした時だった。
「……ケテ」
「……え?」
呻きや叫び。凡そ意味なんてない言葉しか発さなかった怪物の様子が変わった。
はち切れそうなほどに肉で張り詰めた頬が開き、口となる。
頬だけではない、腕や胸。身体のあちこちに無数の目や口が次々と現れる。
「タ……ス……ケテ……」
タスケテ。
怪物は確かにそう言ったように聞こえた。
頭を抑え、発狂しそうな自らの身体を抑えつけているようにも見える。
明らかに先刻までとは様子が違って見えた。
「ちょっと、どうしたの!? どういうことよ!?」
フェリーはその場で立ち尽くし、どうすればいいのか判らなくなってしまった。
さっきまで敵対していた相手に『救けて』なんて言われる覚えもない。
それ以前に言葉が通じる事に驚いているぐらいだった。
「タス……ケテ……。タスケテ……。オネ……ガイ……」
頭を抱え顔の口を塞いでも、腕にある無数の口から止まる事なく言葉が発せられる。
不気味で恐怖すら感じるというのに、その必死さが伝わる言葉を無視する事ができなかった。
「ふぅむ。まさかこういう反応になるとはね。面白いものだ」
マーカスは興味深そうに怪物の様子を傍観していた。
驚くフェリーとは対照的に、怪物の反応そのものを楽しんでいる節が見られる。
「ちょっとアンタ! どういうことなの!?」
「はぁ。君は質問ばかりだね」
ひとつため息を吐くと、マーカスは左手を口元へと近付ける。
「君の知りたい事は全部、彼女が教えてくれるよ」
「彼女……?」
マーカスはフェリーの質問に答えることなく、中指の指輪に向かって何かを呟いた。
取り付けられた石が鈍く光ると、怪物の様子が変わった。
「アアアアァァァァァァ!!」
怪物はその光に反応して、頭を激しく振りながらフェリーへと襲い掛かる。
「またなの!? それに彼女ってどういう――」
フェリーが言い切るより先に、怪物の振り上げられた拳が眼前に迫る。
魔導刃で受け止め腕を焦がすが、お構いなしに残りの腕がフェリーの胴体を捉えた。
「ッ……!」
身体が宙に浮いたところを、逆の腕で力の限り殴りつける。
防御が間に合わなかったフェリーは、そのまま庭の外壁まで吹っ飛ばされてしまった。
「けほっ、こンの――」
すぐに顔を上げ、態勢を整える。
「タスケテ。タスケテタスケテタスケテ……。オネガイタスケテ!」
開かれた無数の口から救いを求め、怪物が突進してくる。
フェリーは大振りの腕を躱し、アンバランスな身体を支えている怪物の脚を狙った。
魔導刃によって脚が斬り落とされ、その巨体を支えきれなくなる。
「何が『救けて』なのか……分からないのよッ!!」
構わず振り回そうとする両の腕を、懐へと潜り込む。
そのまま、魔導刃を怪物の胸へと突き立てた。
今までのやり取りから、これぐらいで死ぬとは思えない。
フェリーは気を緩める事なく、怪物の姿を凝視した。
何か弱点はないだろうか。
魔物だとどこかに心臓はあるし、マナ・ライドや人工的な物だとすればどこかに核となるものがあってもおかしくない。
「ア、アァ……」
案の定というか、予想通り怪物の動きは止まらなかった。
絞り出すような声と共に、フェリーの肩を掴む。
フェリーが怪物の姿をきちんと見たのは、これが初めてだった。
肉がパンパンに腫れあがってはいるが、決して筋肉質ではない。むしろ丸みを帯びている。
魔導刃で簡単に斬り落とせたのも、柔らかみのある肉だった事が関係しているのかもしれない。
腕だけではなく、手はどれをとっても細く長い指をしている。
他にも注意深く観察していくと、身体を構成するパーツが所々女性的だ。
(まさか……)
フェリーはマーカスの言葉を反芻する。
あの男は言った。この怪物を彼女と。
あの男はこうも言った。知りたい事は全部、彼女が教えてくれると。
浮かび上がった可能性から、思考が勝手に走りだす。
僅かな疑念が膨らむのを止められない。
フェリーの様子を察知したのか、頭の肉が顔をいくつも形成する。
全て形の違う女性の顔だった。
「オネ……ガイ……。タス……ケテ……」
同じ言葉が違う声で重なる。
瞳からは涙が零れ、肉の塊を伝う。
「――ッ!!」
背筋に悪寒が走った。
膨らみ切った想像が本当だと、本能が訴えてくる。
「アンタ、もしかして――!」
「気付いたようだね」
マーカスの反応で確信に至った。
目の前にいる怪物は……館から戻ってこない女性たちの成れの果てだ。
「なんでこんな……っ!」
「なんで……と聞かれても。ただ私は研究をしているだけだよ」
「研究……?」
一体何の研究だというのか。
「君に話したところで理解はしてもらえないだろう」
「当たり前でしょう! こんなひどいこと……!」
村の女性をこんな怪物に変えてしまう研究。
一体誰がこんな非人道的な事を理解するというのか。
「あぁ、すまない。そういう意味ではないんだ。
私のやっている事を理解できないだろうって意味だよ。
はじめは男を試そうとしたんだよ。それこそ屈強な犯罪者だったら、消えたとしても誰も気にしないだろうからね。
それがどうも上手くいかなくてね。女性だと簡単に吸収してもらえたものだから、つい私も夢中になってしまってね」
この男が何を言っているのか、フェリーには理解ができない。
貼り付いたような薄ら笑いが段々高揚して剥がれてきているのは見て取れたが、それで得たのは彼への嫌悪感だけだった。
「あたしだって、そんなことを訊きたいわけじゃないわよっ!
人の命をなんだと思っているのよ!」
「研究のためには金も人手も必要だったんだ。仕方がないだろう?」
ダメだ。会話が嚙み合わない。これ以上この男のペースに嵌ってはいけない。
話をするだけ無駄だと判断したフェリーが、狙いを彼女からマーカスへ矛先を向ける。
「ま、当然そうなるよね」
マーカスが再び指輪に語り掛けると、怪物がたくさんの腕でフェリーの身体を拘束した。
「ちょっと! 離して!」
怪物は涙を流しながらも、フェリーを放そうとはしない。『救けて』と訴えながらも、マーカスの命令に背く様子はなかった。
「これでも、君には感謝しているんだよ。
今までは呻き声しか上げなかった彼女が、『救けて』なんて言うと思わなかったよ。
言葉を話す知能が残っていたなんて、新たな発見だ。私ももっと話し掛けてみるべきだったかもしれないな」
「アンタ、本当にさっきから……!」
憤怒するフェリーを、マーカスは鼻で笑った。
「いやいや、きちんと彼女の方を向いてあげたまえ。
折角言葉を交わしたんだ。あまり私とばかりお喋りしていると、嫉妬されてしまう。
彼女は君に語り掛けているんだ。『救けて』とね。
君も彼女を探していた、好都合じゃないか。きちんと向き合って話すべきだよ」
確かにフェリーは、捕らわれた女性達を探していた。救けようとしていた。
こんな怪物になっているとは露知らず。
それはただ、ここにいる悪党を全員懲らしめれば済むと思っていた。
「オネ、ガイ……。タスケテ。タス……ケテ……」
いくつもの口から、救いを求める声がこだまする。
救ける?
どうやって?
もう、ヒトかどうかも判らないのに。
「……どうしたら、この人達を戻せるの?」
フェリーはマーカスへ問う。答えるはずなんてないと頭では理解しながら、それでも訊かずにはいられなかった。
「あるわけないだろう。村の女達はもう、彼女と同化しているよ」
マーカスはつまらなさそうにため息を吐いた。彼女から流れる涙の粒が大きくなったような気がした。
じゃあ、どうすればいいのかとフェリーは必死に頭を回す。
考える事が苦手でも、それでも今考える事ができるのは自分だけだと言い聞かせながら。
自身を拘束する腕がその力を増して、骨が軋む。それでも考える事を止めない。
苦しそうに歯を食いしばるフェリーの顔を、彼女が上向かせた。
いくつもの涙目が、フェリーと対面する。
「……シテ」
「え?」
聞き間違いであって欲しかった。
「コロ、シテ……」
「――っ」
確かに『殺して』と言った。聞き間違いではなかった。
「ダメだよ! 方法はきっとあるから! だから――」
彼女は肉塊となった頭を、優しく左右に振る。
「コロ、シテ。タス、ケテ」
「ダメ、ダメ! そんな……」
フェリーは口で否定しながら、今度は自分の心と対峙する。
もちろん、殺したくないというのが本心だ。
しかし、自分も不老不死という身で『死』という救いを求めている。
彼女もまた、それに近しい存在になってしまっている。
あの再生能力から『死』と縁遠い存在になってしまった彼女を殺すという事が『救ける』という事に繋がるのかもしれない。
その答えが解らない。いくら考えても自分には解らない。
だって、彼女達は犠牲者だ。
理不尽にその身と命を弄ばれて、挙句に会ったばかりの自分に殺される事が救いであっていいのだろうか。
自分とは違う。違うはずなんだ。
いつの間にか、フェリーは自分の目頭が熱くなっている事に気付いた。
彼女の頭から浮かんだいくつもの顔が、頷いた。
覚悟は決まっていると言わんばかりだった。
「ダメ。ダメだよ……」
そんな覚悟は要らない。欲しくない。
「うぅむ……。
君が彼女を殺せるとは思わないが、それでも万が一があると困るね」
マーカスが三度、指輪に何かを呟いた。
「ア、ア……アァァァァァ!!」
膨れ上がった頭が裂け、大きな口となる。
鋭利な牙が見えると、彼女の意思とは関係なくフェリーの肩に喰らいついた。
「――ッ!!」
鎖骨から牙が食い込み、給仕服を赤く染める。
彼女の涙が、大きな頬を伝ってフェリーの服を湿らせていく。
目で『殺してほしい』と訴えられるが、決断ができない。
自分は『死』に救いを求めているのに、他人に『死』という形で救いを与える覚悟が決まらない。
決められない。フェリーは怯えていた。
牢屋であった女の子たちにも、昼食を食べた店の少年にも、怨まれる覚悟がなかった。
そうしている間にも牙は伸び、深く刺さる。
痛覚と迷いがフェリーの握力を奪う。
「そうだ。まだ彼女に人を捕食させた事はなかったな」
マーカスは腹立たしいぐらいの笑みを浮かべながら言った。
「そのまま食べてしまっていいぞ。捕食でも血肉となるのか、私に見せてくれ」
不老不死のフェリーもさすがに食べられた経験はない。
もし消化でもされたら、どう再生するのだろうか。
それとも、マーカスの言う通り彼女の血肉となるのだろうか。
自分には彼女を殺す覚悟はない。
だけど、自分の『死』に救いを見出している。
案外、食べられるというのは悪い事ではないのかもしれない。
今ある事を受け入れるべきかもしれない。
フェリーが瞼を閉じたその時だった。
乾いた音が聴覚を、火薬の臭いが嗅覚を支配した。
この音は知っている。この臭いも知っている。
フェリーは反射的に目を開く。
その先には、よく知った姿がいた。
「フェリー。これはどういう状況だ?」
「シン――!!」
自分の幼馴染が。相棒が。そこに居た。